第28話 高座の赤い滝
吹石くんの母親を強姦して、惨殺した仇の名前。
一体どういう情報網から他人の母親の仇の素性がわかるのかと驚嘆した。
「またまた、大袈裟だなぁ。ほんとに、今回はボクの手柄とは言えないんだよ。篠上には、前々から譲羽が目をつけてたんだよね」
ユズリハの会に所属する、駒川改心流篠上道場。当代総師範である幽遠こそ、仇なんだという。
「腕は確かなんだけど、とにかく素行が悪いの何の、そこいらのヤーさんとかチンピラが里芋みたいに可愛く見えるよ」
「里芋って可愛いの?」
「他の芋より小さくてコロコロしてるじゃん」
相変わらず隠岐さんの感性は独特というか。
「まだ二人には言ってないんだよね。どう?もう伝えてもよさそうな感じ?」
「う〜ん。そうだね。元々基礎は出来上がってたんだし、伝えることは伝えられたと思うよ」
「さっすが!半月でそこまでいけるなんて」
「でも、駒川改心流かぁ」
結構有名な流派ではあるけども。柄を突き出すように、峰を肩に乗せて寝かせる構えが有名だ。
「実はさ、譲羽でも対処に困ってたんだよね。篠上は結構な名門じゃん?しかも古流武術の継承者を始末しちゃうと、文化芸術のし庇護者として、ちょっとね」
「……だから、仇討ちにとっても協力的なんだ」
ピンポーン、とふざけて笑う。
VIPゾーンでの意味深な言葉もこれを指していたみたいだ。
「それから、これは余談だけどさ……」
そういって、耳にこそっと唇を近づける。
妖艶な表情を作っているけど、素直にドキドキするには経験という名の枷が邪魔をする。
「篠上道場は……」
「小野寺!」
隠岐さんの耳打ちをかき消す大声が聞こえる。
憔悴しきった荒砥さんが、隠岐さんを跳ね飛ばすように退かして僕の肩をバイクのハンドルを回すようにぐらんぐらんと揺する。
「わああ」
「探したぞ!来てくれ、早く来てくれ!ほら!」
いつもの毅然とした余裕がない、切迫した声色で僕を引っ張る。
力が強い。足を止めたら腕だけ単体で持っていかれそうだ。
「ちょ、どうしたってのさ」
「隠岐か。今は構っている暇は……いや、お前も来い!この際役立つだろう」
「そんな乱暴な!」
隠岐さんが戸惑ってる姿はレアだ。腕が解放されるならスマホに収めるんだけど。
荒砥さんの鬼気迫る表情も、美しくて希少な光景だけど、こっちはスマホに収めようという気にはならなかった。
***************
連れて行かれたのは、剣道部道場だった。
ここを訪れるのも慣れたものだ。活動がない日に、白石の庭で汗を流したものだ。久しぶりに、ちゃんとした環境で行う稽古は、懐古というより斬新な感覚を覚えた。隠岐道場が閉鎖になってから、道場稽古も絶えて久しい。
いつもは清々しい気配を漂わせる木造藁編の建物から、今日は瘴気のような毒々しい雰囲気が揺らいでいる。
つんのめるように入ると、汗の香りの中に、覚えのある嫌な臭いが混ざる。
血の臭い。そして、鼻を焦がすような死臭。
賓客用の扉が開いていて、そこから漂ってきていた。
靴を揃えもせずに脱ぎ捨てて、皆中へ入る。
「浅瀬!松阪先生!小野寺と、頼りにできそうな情報屋を連れてきた!」
隠岐さんの説明をうまくごまかして、その場に踏み込む。
死臭と血の臭いの根源は、道場の高座に横たわっていた。溢れた血が高座の木目をつたって赤い滝のように段差を流れ落ちた跡がある。その跡は既に乾いているけど、死体の周りの血の池はまだ固まりきっていなくて、ジェル状の、赤というより黒い塊を作っていた。
「ああ……」
僕は、その死顔を見て、激しい動悸に、果てしなく嫌な予感に苛まれた。
短めの髪、落命してなお死を怯えるような表情。口が半開きで、歯が赤く染まっている。無念よりも恐怖が色濃く残るその顔に、確かな見覚えがあった。
「紡の知り合い?」
「うん……話したことはないし、一度顔を見たことがあるだけだけど……」
流石に隠岐さんも少し蒼褪めて、重い口調で聞いてきた。
正直、殆どかかわりはない女の子だし、これからも関わることはないと思ってたけど、これはとてもまずいんじゃないか。主に、吹石くんと綾森さんにとって。
「大谷方子さんだよ」
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