第27話 決意と覚悟と、悲劇の予感
「にーちゃん!にーちゃん!聞いてるのかっ!」
ぺちん、と僕の頬から可愛い音がする。
ソファにだらしなく寄り掛かった僕を覗き込むように周が見ていた。
「あ、ごめんね。どうしたの」
「どうした、って、すっごく馬鹿な顔してたから心配してやったんじゃないか!」
「馬鹿な顔?」
どんな顔だろう。最近、生垣に囲まれながら妖精とお話ししたり、女の子と刃を交えたりと珍事はいっぱいあったけど、だからといって馬や鹿や八や熊にはならないと思う。
「い~や、すっごく馬鹿な顔してた!シャツを裏返しに着てビーチパラソルくるくる回しながら夕方の永田町を歩いてる無職おじさんくらい馬鹿な顔してた!」
「そんなに」
「帰りも遅かったし……最近、朝から素振りしてたから何かあるとは思ってたけど、何か危ない事するんじゃないよな?にーちゃん、そんなことしないよな?ねぇ……」
僕の服をきゅっと掴んで身を寄せてくる。ハチクマのだぼっとしたシャツが、僕のお腹におさまる。僕も男にしては低身長だけど周もミニマムだ。本人に言うと落雷のごとく怒るから、絶対に口には出さないけど。
とりあえず、周に悲しい思いをさせるわけにはいかない。僕は、大丈夫、大丈夫と頭を撫でながら。そういえば女の子に体を預けられるのはきょう二回目だなぁと思い出す。
僕が馬鹿な顔をしていたのも、今日の事をずっと思い出していたからだと思う。
***************
吹石くんの申し出は本気だった。僕に稽古をつけてくれと、足に齧りつかんばかりだった。
「俺は、こころに守られてばかりだ。どんな時も、こころの助けを当てにしてる。今まではそれでいいと思ってた。でも、小野寺さんの戦いを見て、考えが変わったよ。こころだって、いつでも俺を守れるわけじゃない。もしもの時に、こころのせいにしながら死んでいくなんて、嫌だ!」
三道の亡者も跣で逃げ出すような、血唾を吐くような言葉だった。
迷った。僕に、誰かを導くなんて大それたことができるのか。居場所も定められない渡り鳥に、師匠なんて大層な肩書が与えられていいのか。
僕は迷った。迷った挙句、血迷った。
首を、縦に振ってしまった。
振った後で、どうしようもない荒波のような後悔に浚われそうになったけど、僕を指す松の葉の鋭さは、すこしだけ柔らかくなった気がした。
***************
周の顔と、蛍光灯の白い光をどっちつかずの焦点で見やりながら、これからのことを考えていた。
僕は、吹石くんの稽古を指導することになった。その申し出を聞いていた綾森さんも、夢から醒めたように同じく頭を下げてきた。
綾森さんの件は、荒砥さんに預けることにした。そうした方がいいと思ったのはあるけども、でもやっぱり逃げたってのは間違いない。でも、吹石くんから逃げることは許されない。
僕は、不安そうに揺らぐ周の目をみつめて、聞いた。
「ねぇ……僕が、誰かを、望む結末に導くことができるのかな。誰かの助けになることが……」
「い、いきなりどうしたんだよ……とうとうやっぱりバカになったか?」
「やっぱりって。いや、こんな事聞くこと自体馬鹿なのかもね」
判り切ってることじゃないか。
今日だって、良かれと思ってやったことは、綾森さんの顔を歪ませただけ。
今まで、同じような間違いを何度犯した?間違いを犯して、それを自覚していて、それでも一向に改善できない人間が、師匠?問題児の間違いじゃないか。
やっぱり、この話は流そう。僕が嘘つき者になるだけの話だ。少し平和から遠のくけど、身の程知らずの大罪を犯すよりは……
「ほんとーに、にーちゃんはバカだよな」
「ははは、もう言わないでよ。さ、お風呂に入ろうかな」
「はぁぁ。何にもわかってないな。そんなバカなにーちゃんに、妹様が一つだけ教えてやるぞ!」
周をどけて立ち上がろうとすると、小さな手で押さえつけてきた。そして、まっすぐな瞳で、まっすぐな言の葉を言い切った。
「周は、にーちゃんにずーっと助けられてきた!とーちゃんもかーちゃんもいなくなって、暗闇のどん底だった周を光まで導いてくれたのは、どこのにーちゃんだよ?そんなこともわからずにウジウジしてるにーちゃんは大馬鹿だ!」
そうして、周は胸を抑えつけていた手で、僕の頬をぺしりと打った。
「ふん。馬鹿なこと言うにーちゃんはこうしてやるんだ」
「……痛いなぁ。こんな暴力的な子に育っちゃって」
「ふんだ。にーちゃんが間抜けでノロマで……優しすぎるだけだ!じゃ、あんまり馬鹿なことばっか考えるんじゃないぞ!」
そう言って、どたどた音を立てて階段を上っていった。
頬が、まだヒリヒリする。
「にーちゃんにずっと助けられてた、ね」
僕も、ずっと周の存在が救いだよ。
声に出してみようと思ったけど、喉から溢れたのは泡が弾けるような奇妙な嗚咽だけだった。
***************
こうして、僕は仇討騒動に巻き込まれることになった。
結果的に面倒なことになったわけだけど、もう後悔する気持ちはない。決心はついたし、僕自身が助勢するわけでもない。何より、二人の助けになりたいという気持ちは、確かに僕の心の中に芽生えていた。
周の言葉で、二人を助けることに躊躇いはなくなった。
それから、僕は平日二、休日一で吹石くんの指導をするようになった。
数回見て、仇討はきっと成功すると、確信できた。
吹石くんだけなら技倆が足りない。綾森さんだけなら余裕が足りない。
でも、二人が肩を並べれば、加算以上の結果が出せる。なぜなら、二人の剣は、補い合っていたから。
吹石くんは、下から足への攻撃を、パターンを変えて愚直に。きっと、地獄の獄卒が相手でも竦むことはないんだろう。
綾森さんは、そんな吹石くんを、確かな技術で全力でアシストする。彼女の剣は、つまるところ騎士剣なんだ。吹石くんを、守る剣。だから、彼女の事は荒砥さんに託した。それは逃げだったけど、正しかったと思う。
ここまで来て、僕は安心しきっていた。
もう、何も起こることはないと油断しきっていた。
でも、話は仇討ちでおさまるものじゃなかった。
僕たちが悲劇を体験するのは、もう少し後の事だ。
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