第24話 立ち合いpart1
道場は敷地の北東にある。
東といっても、南北の門を繋ぐ大通りから少し外れた場所にあるだけ。でも、簡素、質朴な建物が多くて砂敷の舗装されていない地面と柏の細木が、風流人の隠居所のような瀟洒な雰囲気を醸している。
近くには茶道部の書院茶室、書道部の墨の香漂う部室などがあって、目に穏やかな風景だ。国内有数の敷地面積を誇る深舎だからこそ見れる風景。
「ここだね」
格子戸を押して開けると、細長い庭に入る。左手から鋭い掛け声が聞こえた。
裂帛の気勢は、まず間違いなく女の子の物だ。
なんとなく懐かしい気分に浸りながら壁を見つめていると、後ろから声がかかった。
「あら、貴方は……」
振り返ると、僅かに焼けた肌に切れ長の眼と柔和な笑みが印象的な女性が立っていた。
僕は顔を上から下に向けて、足を見た。
「もしかして、浅瀬先輩ですか?」
「あら、知られていた?」
「いえ」
立派な脚でしたので、と喉まででかけて、なんとか飲み下す。初対面の女性に、足の話も無いだろう。
「君が、小野寺紡くんであってる?」
「はい」
「そうなの……」
そういって、今度は浅瀬先輩が僕の頭からつま先まで目線を映して、返し刀のようにまた軌道をなぞった。
目が合う。少なからず不安の色が感じ取れる。
どういう紹介をされたのか分からないけど、僕のみてくれとはかなり乖離した風貌を想像していたみたい。
「その、失礼かもしれないけど本当に」
「腕は私が誓って保証する」
荒砥さんが来た。
今日はあまり風が無くて、さらさらたなびく髪はみられない。その代わり、常時はストレートに流している髪を、今日は高い位置で結んでいて、金獅子の尾のように自若としていた。
「疑ったわけじゃないのよ。ただ、綾森は白刃に慣れていないわ。だから体験させようとしているけど……」
生兵法が呼ぶのは大惨事だ。
それがわかってるからこそ、僕は犯罪的行為までして綾森さんと吹石くんの振る舞いを観察していたんだ。
相対しないとわからないことが殆どだし、刃を交えないと気づかない事だらけだ。
それでも、他人を知る第一歩は見ることだから。
見ないことには、一目惚れすら出来ないじゃん?
「でも、松阪先生もいるし大事はないわよね
。疑うようなことを言ってごめんね」
「あはは。過度に期待されるより気楽でいいですよ」
期待は重荷の詰まったカバンみたいな物。背負わされちゃ
「二人と先生はもう中にいるわ」
「そうか。小野寺、一応言っておくが、この先のことは他言無用」
「言いふらすわけないよ……女の子と斬り合ったなんて」
「馬鹿なことを聞いた。忘れてくれ」
その時、一際おおきな気勢が壁を突き破るように聞こえてきた。
迎え入れられるように建物に入る。右手の靴箱に靴を預けて、靴下も脱ぐ。不作法だけど、その場で持参した足袋を履く。不作法はいつものこと。
「左側が稽古場ですかね?」
「そうよ。あ、そこの扉は師範や賓客用」
そう言って左手にある入り口を指す。
道場の出入り口は西を向いていて、稽古場の高座も同じく西にある。
部員は一度建物の奥まで直進して、男女の更衣室に進む。着替えやトイレを済ませて、入り口から向かって左にもう一つ扉がある。部員はそこから入って、高座に一礼する。
そう言ったことを説明されながら、僕は左じゃなくて右に曲がった。
要は廊下が左に腕の長いTの形をしていて、短い腕の方に曲がったんだ。
※注 この辺りの間取りは分かりにくいかと思いますので、後から簡単な見取り図を公開いたします。
女子更衣室の向かい、なぜか鍵がかけられた扉がある。
でも、鍵は既に外されて、造作もなく入ることができた。
「物置……?」
どう表現すべきかわからないけど、僕にはこの空間をそうとしか表現できなかった。
紅錦の幣とか、長几とか、熊手みたいにおおきな軍配まである。
「物置は物置でも、軽く文化財レベルの物が置いてあるから気をつけてね」
「うひゃあ」
錦の手触りを確かめようと伸ばした手を、熱々の薬缶に触れたように引っ込める。恐る恐る覗けば、なるほど桐の御紋や三葉葵が縫い込まれている。
「学園黎明期、この道場で天覧試合があったの。学園に現人神から政府の元勲からが訪れるとあって、その時に用意された物や下賜された物が保管されているの。その桐紋は明治天皇、葵紋は徳川家達貴族院議長の椅に掛けられた座布ね」
天皇陛下や元勲のお尻に敷かれた布かぁ。それはさぞかし価値が高い……高い、んだろう。少なくとも僕がいつも座ってる座布団よりは。
確かに、床や棚を改めて見ると埃もかぶっておらず、整理整頓、清潔が保たれている。
「万が一があっちゃいけないから、ここの管理は先生方と、歴代部長のみにまかされてるのよ。他の部員は立ち入り厳禁と言ってあるわ......」
浅瀬先輩はそのまま奥のどん詰まりにある棚の前でしゃがんで、何事かごそごそし始めた。
カチッという何かが外れる音が二回聞こえて、棚がゆっくり半分に分かれる。
映画でよく見る、秘密の扉が現れた瞬間だった。
「おお……」
「この部屋のことも、他言無用の中に入れておいてね」
「わかりました」
浅瀬先輩、僕、荒戸さんの順に部屋に入る。
部屋の中には、道場らしからぬ景色と芳香があった。
畳と、藺草の香り。
普通、剣術道場は板張りの上で修行する。
畳の部屋は、修行の一環で坐禅や茶を嗜むときに使われることがある。
でも、畳にぼこぼこと出来たひずみを見る限り、そう言った類じゃなさそうだ。
「来たか」
吹石くんと綾森さんは黙想で正座していた。
それを巌のように見つめる男性が松阪夏丈先生。三回だけ歴史の授業担当になっただけだけど、太い眉、厚い唇、体から発する跳ね飛ばすようなオーラを感じる。
「……」
先生はそれっきり何も口を聞かない。
吹石くんと綾森さんは白一重の道着、黒の袴で揃っている。先生は藍染の刺子だ。
僕と浅瀬先輩は、当然だけど制服のまま。
「着替える?」
「このままで」
短く答える。
綾森さんの目が開いた。
眼窩から流れ出すような、溶岩のように熱い意志が感じられる。
吹石くんも目を開いて、立ち上がる。こっちは気遣うような、探るような、そしてどこか達観したような、不思議な感覚を受けた。
松阪先生が、黒鞘󠄀を渡される。両手で受け取って、三寸ばかり抜いた。そのまま、立てて錆がないか確認する。
「長さ、重さは問題ないか」
「問題ありません」
「うむ」
同じように、二人にも刀を渡して確認する。
綾森さんは一度確かめるように柄をきゅっと握って、問題はないと答えた。
吹石くんは扱いに慣れていないのか、少し戸惑ったようにこれで大丈夫と答えた。
松阪先生が部屋の中央に立つ。錆の利いた声で告げた。
「これより、立ち合いを開始する。作法、構え、技は問わない。但し、私の制止は必ず聞くように」
その声で、この秘密の畳部屋は世界から切り離された異空間へと変貌した。
合図はないから、そろりと構える。まず、僕が八双に構えた。
当然だけど、いつもの物干し竿じゃない。あんな長いものは屋内戦には使えない。
その分、柄頭が蟀谷の位置に来るくらい高く掲げる。自然、左半身ががらあきになる。このまるで側頭から一本角が生えた構えを、『落雁の構え』と呼んでいた。美味しそうだけど、お菓子の方じゃない。
綾森さんは正眼。定石通りだ。
吹石くんは、ワンテンポ遅れて構える。構えを見て、少し驚いてしまった。爪先を八の字に開いて、右足の七寸くらい先に刃を向けている。
摺り上げ狙いか、隙を見て腿や腰を斬るか。
「参ります」
「……」
唇の動きで何かを言ったのはわかったけど、耳は言葉を受け取らなかった。
声も、心臓の音も聞こえない、ただ一つ聞こえる音は、僕と吹石くん綾森さん、三人分の呼吸音だけだ。
「すうぅぅぅ……ヤアァァ!」
空気を裂く声。綾森さんの足が生死の間境を越えた。
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