第23話 廃園の待ち伏せ

僕は、B組の前で張り込んでいると、少し不安になってきた。

今更ながら、かなり際どい行為をしているんじゃないかと。いや、物陰から他の教室を眺めて、特定の人物を追いかけようとしているんだから、実際、際どいんだろう。いや、ほぼアウトじゃん。


そんな事を思っていると、一人の男子が教室から出てきて、僕がいる方向に向かってくる。


「見下しやがって……今に見てろよ。泣き叫ぶまでいたぶってやる……ぶつぶつ」


通り過ぎざま、凄い恨み言を吐いていた気がする。誰の事を言っているのか知らないけど、あんな恨みを向けられるような生き方はしたくないなぁと思う。あ、でも、空気を読まずに生きてたらいつかはあんなふうに思われるのかも。


「嫌だなぁ、平和に畳の上で死にたいなぁ……お」


教室から、今度は女の子が出てきた。綾森さんかと思ったけど、違う。剣術を嗜んでいるとは考えられないほど、足が細い。

剣は重い鉄の板を振り回すわけだから腕に筋肉がつきそうな物だけど、実際に目にみえて発達するのは足腰の筋肉だ。

僕だって自分の身長に迫るような刃物を振るうわけだけど、ゴリラみたいな腕をしているかって、そんなことはない。むしろ細い方だと、溝呂木くんから屡々しばしば言われる。

僕は男だから制服である浅葱鼠色のスラックスを着用していて、ぱっと筋肉の付き方はわからない。少し恥ずかしいから、体育で着替える時も手早く済ませてるし。

でも、スカートをはいている女の子はそうもいかない。生足が露出している。隠しようもないんだ。変態的なことを言っている自覚は、ある。

生足を見れば、その人がどんな稽古をしてきたのか大体は把握できる。足の筋肉は、鍛錬の軌跡なんだ。僕もそれを知ろうと荒砥さんのふくらはぎや踝近くに視線を這わせることがあるけど、決して嫌らしい気持ちではないから勘弁してもらいたい。


やけにおどおどした、背後霊におびえたような女の子は僕から見て右手側に小走りに向かった。

間もなく本命が姿を現した。

一目見て、彼女だと確信できた。余計な脂が一切ない足と、武芸と真摯に向き合っている者特有の、キリリと精悍な顔つきだけでそう判断できる。

ただ、扉を閉めたり歩いたり、ひとつひとつの動作がわずかにぎこちない。やっぱり、来る復讐の時に緊張を強いられているんだろう。


僕は、首を振って、訴えかけるモラルを茹でた蕎麦の水気を切るように飛ばした後、二人の後を尾行した。


「でも、誰もいない工場ってなんか怖いよな」

「工場内じゃなくて、更衣室のロッカーに忘れただけだよ」

「なら私は入れないな」

「別に気にしなくていいだろ。誰もいないし、俺たちが脱ぎ出すわけでもないんだし」

「その場で問題ないからと軽はずみな行動をするのはモラルに欠けるでしょ」


綾森さんのまっとうな意見が、さっき取りすがるモラルを払ってきた僕に突き刺さる。ほんとにごめんなさい。

流石に恥ずかしくなって、廃園まで見届けたら引き返そうと思った。

僕に気づく様子はない。

意外に思うかもしれないけど、名うての武芸者だからと言って尾行に気づけるわけじゃない。僅かな気配で異変を察知できるほど、普段からアンテナを立てている人なんてほとんどいない。

逆に、そういうアンテナをびーんと立てている人は、尾行されたり付け狙われたりする自覚がある危ない人の可能性が高い。たとえばそう、遺憾ながら僕のような。


三人が廃園に入って行った。廃園は、もともとここに建っていた医務棟の庭だったものが、移転取り壊しの後も残された形になっている。手入れもされずに伸び放題の雑草、傾いた黒柵に絡みつく棘蔓、鮮やかな椿の花。朝顔や夾竹桃が鬱蒼と繁る。ファンタジーの廃城に迷い込んだような、退廃的な風情のあるため、意外と人気だったりする。夏場は寮生の肝試しにも使われるとか。

ここまで見届ければ大丈夫かな。

綾森さんと吹石くんの顔や声は把握したし、隣を歩くとても可愛らしい男子とも良好な仲のようで、性格もなんとなく把握した。

これで、明々後日の立ち合いで気負わずに済む。


「土日で、少し鍛錬しよかな。怠けすぎた」


踵を返そうとしたとき、野猿のような甲高い声が聞こえた。


「キーーーッ!あの時の借りを返しに来たぜぇ」

「何だ、上坂か」

「キッ」

「お前、待ち伏せしてたのか」

「うるせぇ!お前もお前だ、たいして上達もしねえ癖になんとかの一つ覚えで竹刀素振りしてやがる。俺はよ、お前みたいな無様な男が大嫌れえなんだ。キーー、綾森みてえなクソ女はもっと気に入らない。お前ら、目にもの見せてやれ!」


あれが、上坂初湯くんか。

暴れ者だと聞いてどんな顔かと思っていたけど、案外童顔でカワイイ系に入るんじゃないかな。口汚い言葉を吐かなきゃ、だけど。


「おい、やめろよ!同じ部活仲間じゃないか」

「同じ?同じにされたくないな……おりゃぁ!」


胴着は付けてないけど、竹刀を持った上坂くんが綾森さんに突きかかる。ひらりと躱した綾森さんだけど、吹石くんや有岡くんと分断されてしまう。


「二人をさっさとぶちのめせ!人質さえとればこっちのもの……」

「下劣な!それでも剣の道を歩む者なの?」

「誰もそんな道歩いちゃねえよ。俺が持ってるのだって、剣じゃない。ただの竹の棒だ。人を殴るためのな」

「そうか……」


どこか痛むように、上坂くんの言葉を受け取る。

それを隙と見た上坂くんは、左に寄せた構えから右上腕を狙った。大会出場するだけあって、結構早い筋だ。

太刀筋を見もせずに、綾森さんは掌底を放った。


「アアッ!痛」


掌底は鳩尾に決まって、おまけに横薙ぎに上腕を狙った竹刀に入り込まれて、腕の半ばを肘鉄された形になる。

余りの痛みに呻吟して、打たれていないほうの腕で腹を抑えて雑草の上を転げまわる。

一方の四人は、普段から舐め腐っていた吹石くんに手古摺っていた。


「クソ、意外に隙がねえぞ」

「こいつ、こんなに粘り強かったか?」


戸惑っているところに綾森さんが助勢に入る。

一人は腕の関節を外されて、そいつから奪った竹刀で一人の胸板を突く。後ろの茂みに背中から倒れた男が咳き込んでいる。

その上に覆いかぶさるように、吹石くんが投げ飛ばした男が頭をぶつける。

最後の一人は、何語も判別できないような奇声を上げて走り去った。


「上坂。これ以上手出しをするつもりなら、浅瀬部長から松阪先生に報告してもらう。いくら無責任な大垣おおがき部長でも庇えなくなるだろう。忠告はしたわ」

「キイィ……わ、わかったよ」


唇を噛みながら、腹と腕を庇いつつ、ゾンビのように上坂くんは去っていった。


「ご、ごめんね……僕が、僕さえ手拭いを忘れなきゃこんなことには……」

「ばーか、涼介のせいなわけあるかよ」

「本当よ。むしろ、同じ部活のメンバーが、申し訳ない」

「全くだぜ。ほら、大切な人からもらったものなんだろ。埃塗れになる前に取りに行こうぜ」


無理にでも明るく振舞おうと、吹石くんが声を出す。その声が、本当にそこまで無理をしていないように感じられて、こういう人と一緒にいたら悩み事も吹き飛ぶだろうな、と思った。

そして、迂闊なことだけども、二人の仇討とやらを少しだけ応援したいな、そんな気持ちを芽生えさせてしまった。


「ああ、やだやだ。平和第一、私情第二、と」


原点回帰すべく呟いて、今度こそ踵を返そうとする。

その時、がさがさと音がして、椿の木の陰から何者かが現れた。

一瞬、亡霊かと思った。前髪で目が隠れて見えないし、唇の赤が薄くて本当に死人みたい。


でも、亡霊は確かに血の通った肉声で、昂奮したように笑いだす。


「あ、あはははは……綾森様、嗚呼、綾森様………やはりお美しい……心配して密かに護衛しておりましたが、いらぬお節介、いえ無礼でありました……うははは、お詫びいたしますぅ……ェィ!」


そう言って、亡霊は落ちていた枝を自分の手の甲に突き刺した。

彼が亡霊でない証である、赤い滴が垂れる。夕方の景色にも鮮やかな赤が、廃園を不気味な絵画に仕立てる。


僕は、絶対に深入りしちゃダメなものを見てしまったと、迷わずその場を後にした。

ストーカー、ダメ絶対。怖いもん。

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