第19話 物騒な招待状

翌朝は少し早めに起きて、裏庭で木剣を構えていた。

僕はガチガチの規則的な生活をしていないから、こんな鍛錬も毎日行なっているわけじゃない。そういうのは常在戦場をモットーにしている方がすればよくて、平和主義者な僕は日々の鍛練にあんまり意義を見出してない。

春酣はるたけなわ、でも初夏と呼ぶにはまだ、暁の空気が冷えている気がする。

裏庭は風間邸の厠くらいの規模だろうけど、常寸の木剣を振るうのには支障ない。あの物干し竿を振るう時も、このくらいのスペースでやった方が間合いに慣れる。

両手で拝むように、正眼に構える。正眼とは、相手の眼に剣先を向ける構えで、中段構えとも呼ばれる。静山師匠の道場では『善知鳥うとうの構え』と呼んでいた。善知鳥の善を賢と訳して、一番スタンダードで賢明な構えと訓えられた。多分、鳥としてより能の演目として有名なんじゃないかな。


「すぅぅ」


まだ冷たい、でもぬくみを含んだ空気を肺に納める。

顔も知らない綾森さんを思い描き、その向こうに透ける母親の仇とやらを見透かす。


ぶぅん!


声を上げずに振るう。住宅街で剣戟の気勢をあげるのは問題がある。気攻めは有効な手段だけど、残念ながら仇討違法な時代だから、あくまで秘密裏に行わなきゃいけない。まぁ、そんなのは形骸化して普通に刀や銃が出回っているけど。令和怖い。

時代劇では刀を交わらせて火花が散る、キーンと金属音が鳴る、って描写があるけど、戦いにおいて何度も刃を交わらせるのは悪手だ。一番いいのは一度も交わらせずに一太刀で仕留めること。次は、鍔迫り合いで押し込んで仕留めること。その次が、一度交わらせて、二の太刀で仕留める。この時、足払いや体当たり、目つぶしなんて手段を使うこともある。

綺麗事は、生きている人間が言えばいい。生死を分ける舞台上では、勝ち負け以外何もいらない。平和主義だって、死んじゃったら主張できないから、その時だけは平和に唾を吐くと決めている。


風や、地面のへこみや、暁光を意識しながら四十分くらい立ち回った。

汗ばんだ額を拭って庭石に座っていたら、頭上から声がした。

後ろに手をついて斜め上を見上げると、窓から周が覗いている。かわいらしいパジャマに、例のハチクマが滑稽な格好をしている。


『八、俺っち吉原で一日花魁やることになったぜ。荒熊太夫ってんだでありんす』

『荒熊?さっき関取が指名してたぜ』


色鮮やかな長襦袢を着て金笄をさした熊さんはさておき、寝癖がばねみたいにまいた周に声を返す。


「あまね~どうしたの~?」

「どうしたはこっちのセリフだぞ!朝っぱらから棒切れ振り回してどーしたんだ!」

「ちょっと仕事が出来たんだ!うるさかったなら謝るよ~」

「まぁ許してやるけど!でもなにーちゃん、あんまり危ないことして怪我でもしたら、ゼッタイ許さないからな!二度と口をきいてあげないぞ!」


と、こんな感じで、周のやさしさを味わいながら、いつもより早い朝は過ぎて行くのだった。



***************



化学の実習が終わって、実験棟から中央棟へ帰る途中。

実験棟は、化学系と物理系の棟がある。近くには、先生方の研究施設を束ねた研究棟、工場群、実験に使う薬品保管庫などが深舎の西側に集中している。

実験や実習の授業は酷く嫌われている。女の子は薬品や油の臭いが嫌だとか、そもそも危ないことは嫌いだとか、色々理由はあるだろうけど、皆が共通して言うことは

『西側へ行くのが面倒』

深舎は南北に通用門があって、そこから結構複雑な道がうねうね伸びて、大小さまざまな施設や棟に連絡している。そんな太い道が南北に走っていて、花屋とか、魚屋までいる。海が近いから、東京湾から採れたての魚が送られるんだ。

敷地内には大きな池とか庭園とか、林、洞窟っぽいものまであって驚きが絶えない。敷地内を探索するだけで三年間を終えられそうなほど。

ただ、バラエティに富んだ地形のせいで西側とのアクセスがとても不便なんだ。

中央棟から直角にまっすぐ進むと実験棟、研究棟が集まってるけど、その間には小規模な林道があって、よく言えばおしゃれだけど、樹の根っこや蜘蛛の巣に絡まれてやる気を失う人が多い。

ちなみに工場群はもう少し北側にあって、そこへも本当は林道を通らなきゃいけないんだけど、実は抜け道がある。昔、医務棟の休憩所として使われてた廃園から、工場の横に出られるんだ。僕のクラスはまだ工場を使わないけど、風間さんのクラスが切削加工の実習真っ只中らしい。


林道を抜けて、髪の毛にくっついてたねばねばする糸を手で払いながら中央棟の手前で止まる。

化学の後は昼休み。僕はこの前風間さんに大層なご馳走をいただいた植物園に来ていた。

もちろん能動的行動じゃない。普通に教室で、溝呂木くんと一緒に、スーパーの惣菜エビフライくらいに中身のない話をしながら午後を迎える予定だった。


僕は、ポケットにしまってある手紙に嘲笑われているような被害妄想を抱いていた。


『紡さーん?もしもし聞こえる?あ、これ手紙だったね。紡がいつまでもアドレス交換してくれないからこんな古典的手法で連絡しなきゃいけないじゃないか。

要件なんだけど、今日の昼休みに中央西棟の屋上VIPゾーンに来てね。話は通してあるから入れるはずだよ。通じなかったら、斬り捨ててかまわないから(笑)。

これは僕個人の依頼じゃなくて美華からの呼び出しだから、嫌な顔せずに笑顔で受けてあげてちょ。笑顔は大切だよ。笑う門には河豚来たるっていうでしょ。……う〜ん、親父ギャグって難しい。

ま、なんでもいいや。とにかく来てね。来なかったらガチバトルだよ♡


P.S.そろそろまた、血の華を咲かせて欲しいな』



きっと、この手紙を書いてるとき、隠岐さんはとってもいい笑顔だったんだろうなぁ。河豚が鰯みたいに群れを作って泳いでくるよ。

不満タラタラの前置きとか、本当に話を通してあるのか不安になる本文とか、犯罪性丸出しの追伸とか、行きたくない要素が詰まったアンハッピーセットだったけど、行くしかない。


僕はVIPゾーン、屋上庭園の一隅を占める、明らかにハイソサエティな地帯と対峙した。

目を奪われる大輪のバラや活力的なアオイが出迎えてくれる。けど、入り口を警護する厳めしい男子は歓迎していなさそうだ。


「止まれ。学生証を検見する」

「はい」


小柄だけどドスの効いた声に怯えながら、学生証を提示する。

要塞の番兵のような男(多分彼も学生なんだと思う。学年はわからない)は腰に紐で結んだ手帳を取り出してぺらとめくる。


「小野寺紡……先輩、と」


一年生なんだ。ませてるなあ。頬に傷まであるし、声はなんか酒焼けしてるし。


「な!譲羽様から特別招待を受けてらっしゃる……間違いない、隠岐先輩の実筆も……」


驚愕と羨望の表情を浮かべて、ぼくを見てくる。


「お前、いや小野寺先輩は、何者……いや、私が知る必要もないか……しかし、妖精様にこのような一般人を近づけて良いものか……?邪意はなさそうだが……むしろ他人の邪意に振り回されそうな雰囲気だが……」


ぶつぶつと、逡巡しながら僕を解剖するように見てくる。

気持ちいいものじゃないけど、少し安堵した。この人は、上からの命令に隷従するんじゃなくて、譲羽さんを守るためにここに立っているんだと知ったから。


「譲羽さん、愛されてるんだなぁ」

「む、何か言ったか……あ、通さねばならんか。いやしかし」

「おい!何をしているのだ」


ゾーンのバラの垣の陰から、象のような巨躯の男が現れた。身長二メートルはあるだろう。バラの垣は、外から覗かれないようにかなり高く造られているけど、手を伸ばせばその天辺まで届きそうな巨体だ。


「あ、加藤田さん!いやじつは」

「む。お前は、小野寺ではないか」

「あはは、どうも」


僕はこの人を知っている。

譲羽派の一員で、このVIPゾーンの造園を学生身分で唯一任されている凄腕の生垣職人だ。名前は加藤田庄太夫かとうだしょうだゆう


「加藤田くん、久しぶりだね。昼休みから作業?」

「いや、この見た目だからな、厄除け代わりに歩かされてるんだ。ま、こうして枝振りが乱れてるのを直したりはしてるがな」

「え?え?」


番兵の人が戸惑っている。最初のドスの効いた感じはもうない。


「そういえば、譲羽様に呼ばれてたんだろ?おい、入れてやるぞ。いいな」

「あ、はい。でも、大丈夫ですか」

「安心しろ。こいつは、譲羽様と昵懇の仲だ。渡り鳥、って言えばわかるか」

「え!あの渡り鳥がこの……なんだか冴えない」


あ、そっちのあだ名だけ知られてるんだ。これだけ規模の大きな学園になると、たとえ噂の人物でも名前を知らないなんてことはある。特に学年が違えば尚更だ。


僕は加藤田くんに案内されて、譲羽さんと、隠岐さんが佇むスペースに着いた。


「お、つむぐ〜!」


めざとく僕を見つけた隠岐さん。加藤田くんは、見回りに戻っていった。

僕は隠岐さんに会釈して、円卓に近づく。


「紡くん。来てくれてとっても嬉しいわ。最近会えなくてさみしかったの」


譲羽さんの、優しくあどけない声が鼓膜を撫でる。

【華の妖精】とあだ名される、どこまでも無垢で可憐な、純白の妖精が目の前にいる。


「座って?少しだけおしゃべりしたいの」

「じゃ、遠慮なく」


僕は譲羽さんの目の前に座った。

色素の薄い透過しそうな肌、古嶺の根雪のような髪、空気に浮きそうなほど華奢な肢体。

風間さんの麗俐、一色さんの美貌とはまた違う、庇護欲を根刮ぎ掻き立てられるような、そんな人だ。


「あれれ?ボクの時とずいぶん扱いが違うなあ?ボクがお話ししようとするとすぐに逃げ出すのに」

「それは、隠岐さんですから」

「うわー差別だ」

「敬遠してるだけです」


実際、隠岐さんのことは尊敬しているところもあるんだ。主に、情報屋として。この学校には何人も情報を売って稼ぐ人がいるけど、その中でもずば抜けて優秀。正確性と仕入れの速さなら神集くんも負けないけど、彼の情報は女の子関係に限定されるからなあ。


「紡くん……先週のことなんですけど」


無邪気に話し出す譲羽さんを見て、今日は厄介ごとを持ち込む気はないと察した僕は、素直に美少女との会話を楽しむことにした。

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