第17話 片手の拍手

荒砥白記は、友人の浅瀬に頼まれ事をされていた。

三人いれば狭い四畳の室内に、猫の額のような床の間と、和紙に書かれた禅問。『片手の拍手を聞きなさい』と書かれている。

浅瀬の傍らに、長い髪を後ろにまとめた女が座している。禅寺を模した畳敷の室内だから、三人とも正座である。禅寺ならば結跏趺坐が正しいかもしれないが、女子高生が制服姿でアレをするのは少しアブノーマルなので、正座。

もっとも、騎士剣ディセイバーを携帯している時点で、一般的女子高生からは逸しているかもしれないが。


「この子、二年の綾森湖衣あやもりこころ。実力は私が折り紙をつけるわ」

「綾森です」


指をついて頭をを下げる。一つ一つの挙措が凛々しく、きびきびしている。とても好感が持てる見た目、雰囲気の人間だった。

浅瀬が、本題を切り出した。


「綾森は、事情があって剣を極めたいと考えているの。その努力は、並大抵なものではないわ」

「剣を……」


驚いた。

綾森の、意志の強さを示す鋭い眉や、挑むような目つき。本気だ。


「事情を聞いてもいいか」

「話してもいい?」

「いえ。私から話します」


綾森は居住まいを正し、しっかりした口調で話し出した。


「私は剣を学び、極めたいと考えています。理由は、復讐です」

「復讐?」


これまた、華の女子高生からとんでもない単語が飛び出した。

荒砥は怪訝に思いながら続きを聞く。


「荒砥さん。部の男子部員で、吹石盛作ふきいしせいさくを存じていますか」

「吹石……覚えている」


胴着の垂れにでかでかと書かれているので、苗字は覚えやすい。吹石は、実力はさほどでもないが実直で青い熱に溢れた姿勢だったと記憶している。


「せいさ……吹石は、私の幼馴染で、恋人です」

「そ、そうか」


荒砥はこの手の話題に頗る免疫がない。自身の初恋もまだであるし、男の友人もあまり多くない。小野寺紡をはじめとする、数名程度だ。

とはいえ、男女の仲を悉く「不潔だ!」と切り捨てるほど潔癖でもないので、少し頬を紅潮させながら話を聞く。

くすりと意地悪く笑う友人を怒鳴りたくなったがこらえる。


「復讐というのは、吹石の母親の仇討ちの事です」

「仇討ち……」


荒砥は、然と綾森の目を見た。相貌には聊かの揺らぎも無い。語る言葉に、騙りはなさそうだ。


「それで、剣を」

「恋人の仇討ちの助勢のために、何と俗なことと蔑まれるかもしれません。私情を交えた復讐に剣を使うなど、道に外れた行いです。それでも、それでも」

「……蔑みはしない。私は恋をしたことがないからわからないが、俗物とも思わない」


荒砥は正直な気持ちを吐露した。復讐、仇討ちなどと物騒な言葉を口に出しつつも、綾森の目はいつまでもまっすぐだ。まっすぐな想いに、俗も浄もありはしないだろう。


「そう言ってもらえて、励まされる思いです」

「それで、仇の名は」

「それは、まだ」

「何?わかっていないのか」

「いえ……」


分かっていないわけではないらしい。話せない事情でもあるのだろうか。


「まだ、知らされてないのです。名前は明かせませんが、とある情報屋から、仇の情報を買っていると思ってください」

「なるほど。その情報屋がまだ調べている最中だと」

「いえ、調べはついているはずなのですが、まだ聞いていないのです。その……」


言いにくそうに、口ごもる。荒砥は意図が読み取れず、何事か聞こうとした。

そこに、浅瀬が助け舟を出す。


「吹石のことよ。彼は、まっすぐで正直でいい子だけど、実力的にも精神的にも仇討ちができるまでの技倆に至っていない」

「あ…」

「それで、綾森は自分が可能な限り強くなって、吹石を助けられるようにしようとしている」

「そうか……仇は、強いのか」

「相当だと聞きました」


腕のいい情報屋、というと一人だけ心当たりがある。どうも胡散臭い女で、小野寺とも親交があったはずだ。荒砥としては、小野寺にはああいった胡乱な人間と関わってほしくないが、探索を依頼することもある手前、言い出せない。


「事情は分かった。それで、私に何をしろというのだ。陛下の側近であるから長く時間を割くわけにはいかないぞ」

「判っているわ。一回、真剣勝負の緊張感を体験させてあげてほしい。それも、手加減なしの」


真剣での立ち合いは、命を賭ける場合か、演武つまり台本に沿った筋書きでしか動かない場合がほとんどだ。

本気でやりあって、なおかつ命を失わずに納める場合は、そこにとんでもない力量差が無くてはいけない。それこそ、万丈の絶壁のような。


「それができるのは、白記しかいないと思った。力を貸してもらえないかしら。この通り」

「お願いいたします」


二人で、揃って頭を畳にこすりつける。

そのまま、静寂が訪れる。呼吸も、衣擦れの音もしない。その中にも聞こえてくる幽かな、リズミカルな音は、心臓の拍動か、片手の拍手か。

綾森本人が必死なのは良いとして、同じくらい真剣に頭を下げる浅瀬の面倒見の良さに、思わずほっと息が出る。

荒砥が答えた。


「意志はわかった」

「では」

「だが、私は教えることができない」

「っ!」


綾森が動揺して瞳を震わせる。浅瀬が少し咎めるように訊いた。


「何か、気になることでもあった?彼女の話に偽りがないことは私が保証する」

「……私の剣は、騎士剣だ。騎士の剣は、自分より尊い方を守るためにある。尊い方の命を遂行するために振るわれる」

「復讐の瞋恚に毒された剣は、教えられない、と」

「まず、私自身が使えない、使えないものを教えるわけにはいかない。そんなことをしても、逆効果だ」

「でもっ……そうね。ごめんなさい。私が浅慮だったわ。白記に嫌な思いをさせるつもりじゃなかった。ごめんなさい」


申し訳なく、また頭を下げる。その後頭部や、綾森の震える顔を見ていると、胸が張り裂けそうになる。

思わず、言ってしまった。


「知り合いに、物凄い遣い手がいる。あるいは、彼なら」

「っ!そ、それは本当?」

「だが、受けてもらえるかわからない。いや、まず間違いなく断られると思う」

「どうにかできないの?」


そういわれて、彼の押しに弱い性格を思い浮かべる。首に縄をつけて引きずってきても、予想を超える働きをしてくれそうだ。真剣勝負というもので、彼以上に力を持つ人間を知らない。たとえ嫌々でも、十分綾森の役に立つだろう。

だけど、陛下の命令以外で彼を巻き込むのは心が痛む。

彼は、多かれ少なかれ下種な劣情や悪謀を秘めて、もしくはむき出しにして近づく男が多い中で、所かまわず吹き抜ける隙間風のように飄々と、分け隔てなく接してくれる。

陛下が彼にどんな感情を抱いているか、そういったものに疎い白記もうすうす勘付いている。そうでなくとも、ナーバスなところがある彼にこういったことを頼むのは気が進まない。


だけど、目の前にいる浅瀬香春だって、大切な友人だ。不断の努力で病弱を克服して、全国大会で素晴らしい成績を残した。今や部内で彼女と勝負になるのは、顧問数名のみであろうといわれている。

荒砥は自分の心の中で天秤がぐらぐら揺れるのを鳥瞰していた。やがて、その揺らぎが落ち着いたところで口を開く。


「彼には、よく頼んでおく。確約はしないが、良い知らせを持ってくるように努力しよう」

「そう……ありがとう」

「無理を言って申し訳ありません」


また、頭を下げる。

頭の中で、嫌そうな顔をする小野寺紡に同じように頭を下げながら、ふと乾いた音を聞いた気がした。

これが、片手の拍手か。

ぱしん、ぱしんと乾いた音。

それは、まるで竹刀が絡み交る音のようで、三人は一時禅の世界に迷い込み、各々の意志と葛藤を抱えて四畳を後にしたのであった。

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