第16話 放課後ティータイム
「タアアァァッ!面ッ」
「ハッ」
ぱしん。ぱしん。
竹刀が擦れ、交わり、競る。軽快な音が、閑散とした道場に響く。素朴な打音と、燃え上がるような気勢。胴着姿の二人は、かれこれ三十分近く打ち合っていた。
道場の畳はところどころ窪み、三十分の間の激戦を物語っている。
二人は乱れた息を整えて、攻勢に移る。
「ハアアアッ!コァテェ!」
「面ッ!ツッ」
一人は覆いかぶさる波濤のような面打ち。
迎え撃つは、魚が躍るような、小手斬り。
ぱしん!
軽快な音のあと、玉響の静寂。小手斬りが寸余の差で決まり、面打ちの太刀筋はぶれて、肩口に止まっていた。
かすかに呻く声がする。痺れた手を無理やり動かして、竹刀を引いた。
「参りました」
「……強くなったわね」
告げる声も、返す声も、女の物であった。
***************
「陛下。申し訳ありませんが、寸時お側を離れてもよろしいですか」
「許可するわ。ちょうど紡もいるから」
「僕も寸時といわずお側を離れても」
「不許可。白記がいないのに、誰が私を守るのよ。少しは考えなさい」
騎士団の皆さんがいると思います……口には出さないけど、騎士団の一部から僕はかなり厭悪されている。自分たちのお株が渡り鳥なんかに奪われかけているんだから当然だと思う。僕としては荒砥さん麾下の騎士団とも仲良くしたいんだけどなぁ。
荒砥さんの方を見ると、少し申し訳なさそうに、頭を下げてきた。繊細と剛毅、硬軟の美を併せたような金髪が揺れる。
「わかりましたよ」
「でも、どこへ行くのよ?」
「友人に呼ばれておりまして。剣道部の女子部長なのですが」
「ああ……三年の浅瀬先輩だったわね。なら行ってらっしゃい」
「は。小野寺、頼んだぞ」
「頼まれました。終わったら肩でも揉んでくれると嬉しいです」
「それくらいなら安い御用だ。行ってくる」
お、これは棚から千両箱だ。張り切らずにはいられない。
魚住さんも荒砥さんも、隠岐さんもそうだけど、四六時中御令嬢に侍っているわけじゃない。それぞれ交友関係があって、一人でいる時間も当然ある。隠岐さんなんて、譲羽さんといるより僕にちょっかいをかける時間の方が多いくらいだ。そういえば譲羽さんとはしばらく会っていないなぁ。
「紡。背中を向けて」
「え?」
いきなり言われてたじろぐ。
一色さんが立ち上がって、迫ってきた。
「ちょ、何ですか」
「いいから背中を向けなさい」
「僕は鯵じゃないですよ」
「誰も背開きにしようなんて考えてないわよ!いいから向けなさい。
「うう」
齏かれてしまう。言いようのない恐怖を感じていると、首の付け根に圧迫感を識った。
指がぐりぐりと、僕の肩井を突いてくる。
「どう?肩もみなんて初めてだけど、うまくできてるかしら?」
「うん。物凄く」
それはもう、上手く入っている。もっと端的に言うと、痛い。物凄く。天性の勘か、ツボに入りまくっている。騒いで齏かれたり背開きにされたりしたら問題だから、騒ぎ立てるようなことはしないけど物凄く痛い。
「えいっ。どうかしら」
「意識が飛びそうです」
「そんな気持ちいいの?私に肩を揉まれるなんて、浄土の権力者でも味わえない極楽なんだから感謝しなさいよ」
「うーん」
痛みに転げまわる浄土より、健やかに過ごせる濁世の方がいいなあ。
一色さんが満足して手を離すころには、僕の肩甲骨周りの筋肉は麻痺していて感覚がなかった。
その感覚が戻ってくると、ちょっとした驚きが走る。
「あれ、気持ちいい」
「ふふ」
徐々に感覚が戻るにつれて、肩から腕にかけて、小さな灯がともったような温かさを感じる。ツボを刺激したから、疲労回復の効果は確かに感じられる。腕を回すと、しこりもなくスムーズに動かせる。
「またしてほしくなったら言いなさい。他の人に揉ませたら許さないわよ。白記にもね」
「そんなぁ」
「不服なの?」
「うううう」
千両箱、開いてみれば、地獄なり。棚から落ちてきたものに期待してはいけません。牡丹餅だってきっと古くなってるから捨てましょう。
席に座り直した一色さんが、話題を変える。
そもそも僕がここにいるのは、放課後のティータイムに付き合えと招逮されたから。でもさっきからお菓子ばっかり食べててお茶なんて見当たらない。飲み物はアップルサイダー。
「白記は浅瀬先輩に呼ばれていたわね」
「浅瀬先輩?聞いたことないです」
「意外ね。剣道部部長で物凄い実力者だから、知っていると思っていたわ」
「僕は剣の道を進んでいませんから。ただ剣術を少し遣えるってだけです」
剣道と剣術の違いだ。剣術は、ただの技術に過ぎない。戦闘技術、殺人技術。その中の一つに過ぎないから、人生という大木の枝葉にしかならない。
剣道は、道だから、その向き合い方によっては幹にも根にもなりえる。
少なくとも、僕は著名な剣客の名前は知っていても、剣道大会の優勝者は知らない。
「そんなものなの。まぁいいわ。
「そうなんだ。そういえば深舎の剣道部って男女別れていないんですっけ」
強さは知らないけど、人数はそこそこ多かったと思う。その中で部長を務めているのが女性となると、結構な傑物なんだろうなぁ。
「部活としては別れていないわね。でも、女子部長と男子部長でちゃんと二人いるのよ。そうじゃないと寄り添った訓え方ができないでしょう」
「そうですね」
ジェンダーレスが叫ばれているけど、男と女の体のつくりの差は大きい。そこの共有しあえない壁は、生半可に崩すことはできない。一色さんも、とても大きなものをぶら下げてらっしゃるけど、涎を垂らしながら見る男にその辛さはわかる物じゃない。僕が肩を揉まれている時も、実は一色さんの方が凝ってるんじゃないかと心配していたんだ。今度揉んであげようかな。怖いけど。
「そういえば荒砥さんは剣道をやってるんですっけ」
「イギリス人から、騎士流の戦い方をね。日本人に合うように改良はしたけれど、風格があって好きよ」
「ですね。格好いいですよね。ほんとに」
「時々剣道部に出向いて稽古に混ざったり、部長と組んだりしているわね」
「それは見てみたい」
少し、浅瀬先輩という人にも興味がわいてきた。荒砥さんが親しく付き合うんだから、きっと高潔で気品がある人なんだろう。
「最近の剣道部女子は粒ぞろいだって言っていたわ、騎士団に何人もスカウトしたもの」
「なるほど」
「ただ、白記から聞いたけど、男の方がよくないらしいわね………」
少し声を落として、一色さんが言う。
「実力が振るわないんですか?」
「……詳しくは知らないけど。大会の成績も振るわないけど、何より全体的に雰囲気が悪いらしいわね。あくまで白記の主観だけど」
「荒砥さんの直感なら無視はできませんね……もしかして、浅瀬先輩の相談っていうのはそれに関して」
「かもね」
同じ部屋で活動するグループが嫌な雰囲気だったらやりにくいはず。何せ、精神状態が重要な競技だから。
まぁ、僕には関係ないことだけど。
この時はそう思ったんだ。
だって、僕は剣術を遣えるだけの鳥で、剣道とは遠い存在だと思ってるから。
今この瞬間、荒砥さんと浅瀬先輩が話している内容が、僕を巻き込む新たな面倒の天籟だとは考えもしていなかった。
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