第15話 本当に手に入れたいもの

「よお」

「おはよ」


血で血を汚した次の日からも、平日であるからには登校しなくちゃいけない。

あれから数日。朝、学生の義務として教室に馳せ参じる。今日は意図せず早く来てしまった。教室には溝呂木くんと、他に三人いる。溝呂木くんは僕を見ると興奮気味にやってきて、聞いた。


「お前聞いたか?あの野烏と神宮寺が同時に退学したんだと!」

「へえ〜散々悪い事やってたみたいだからね、不思議もないんじゃ」

「散々やらかしても処分できないから厄介だったんじゃないかよ。どしたんだろーな?神宮寺は、親父の会社が他人の手に渡ったって聞いたけど……野烏は、巣でも変えたんかな?カラスだけに」


それはどっちかっていうと渡り鳥ぼくじゃないかな。烏は西方浄土に導く鳥とも言われるし、あの世に飛び立ったんだよ、きっと。


「まぁ、何でもいいじゃん。平和になった。それが何よりだよ」

「お前はぶれないな……それが小野寺の良い所でもあるんだけど」

「それで、悪い所でもある」

「わかってるならよろしい」

「わかってるよ……簡単に変えられる物じゃないけどね」


そりゃ、いつかは変えなきゃいけないんだと思う。現に今も、諸岡くんに睨まれてるし。何だろう、どうして僕と諸岡くんの折り合いはこうも悪いのかな。会話を邪魔しようなんて気持ちはこれっぽっちも無いのに、邪魔者になってしまう。


「そういえば、風間さん最近来ねえよな」

「そりゃね。そもそも風間さんがわざわざ出張ってくるなんて、普通はないもんでしょ」

「そうだけどさ……割と結構な頻度でお前を呼び出しに来るだろ。なぁ、うまく口説けば連絡先ぐらい交換できるんじゃないか?」

「うーん」


うーん、嫌だなぁ。連絡先を交換したら、面倒な依頼が電波に乗って飛んでくることになる。ちょっと電波が嫌いになりそうだ。なんだかんだで優しいから、温かい言葉もかけてくれるし、でも我儘お嬢様だからこっちの都合は無視するし。僕は小市民だから彼女たちの依頼を断れないし。

平和のためにも、連絡先は秘匿の方針で行こうかな。


「風間さんの連絡先だぜ。一派からすれば垂涎の的だぜ」

「もらったら暗殺されそうで怖いなぁ」

「それよりも、ケータイ狙った強盗に襲われるんじゃねえか?」


会話に、一人男子が割り込んできた。確か、蓑田みのだくんだったはず。顔をまじまじと見たのは初めてかもしれない。おのでらとみのだで五十音順の席も離れてるし。

蓑田くんの予想は結構ありえると思った。


「でもロックかけてるだろ?」

「指紋認証は指を翳せば解除できるし、顔認証も顔面さえ傷つけなけりゃ死体でどうとでもなる」

「怖っ!お前発想が怖ええよ」

「馬鹿、人をサイコパスみたいに……サスペンスでやってただけだ」


僕は想像する。

背中から刺され、薄れゆく意識の中で、眼前に翳される自分のスマホ……もしくは指先に触れる無機質な感触……

鳥肌が立った。

うん、絶対に連絡先は秘匿だ。国家機密レベルで隠さなきゃ。



***************



僕は忘れてた。

この世に絶対なんてないってことを。

国家機密なんて、お嬢様の前には何の意味もなさないことを。


昼休み、溝呂木くんが立てたフラグを回収しに、風間さんと魚住さんが襲来した。

カニカマポテトを食べていた僕はなすすべもなく連行されて、教室の連中の飯の種になった。許すまじ。

今日は例の空き教室じゃなくて、中央棟四階から空中廊下で繋がる中央西棟に連れていかれる。これも正確には中央棟で、中に植物園があって、生物の実習にも使われるし、虫を気にしない人の憩いの場になっていたりもする。

『潮風が入らない様に、扉は必ず閉めてください』

の紙が貼られた扉を開けると、草と土の香りがする趣深い空間が現れる。植物園は三階四階と屋上に設けられていて、それぞれ空調が効いた部屋に、数種類の草や花が植えられている。

屋内は鉢植えや盆栽などがいくつも飾られている。中央棟から四階に入って、最初に目にする盆栽は深舎の盆栽部が丹精込めて形造って、さいたまで行われた世界盆栽大会でも注目を浴びた「灸草」という作品だ。


「目に沁みるなあ。何でだろ」

「枝振りも撓りもありきたりなのに、目に訴えかけてくるのよね。不思議だわ」


それから、僕たちは屋上に出た。屋上には蓋がないから、根の浅い樹も植えられている。

学校の中とは思えない。生活のバラエティという意味で、この学校ほど楽しいものはないと思う。

ここでお弁当を食べる人もちらほらいる。恋人同士で来てる人もいるけど、多くは一人だ。眼鏡をかけたいかにもな文学少女が蜜蜂を愛でている。


「目移りは感心しないわ」


若干冷気を含ませて風間さんが言った。怖いから、素直に風間さんを見つめた。


「……そこまで凝視されると、心地悪いのだけど…」

「お嬢様に不躾な視線を向けるとは、万死に値します」

「困ったなぁ、詰みじゃん」


悩める僕を慰めているのか、蜜蜂がぶんぶん頭の周りをぐーるぐる。僕はそれを目で追いかけることにした。これで文句を言われたら、目を潰すしかない。それは避けたい。


「まずは、この度の依頼の報酬よ。思った以上に巻き込んでしまったから、上乗せしておいたわ」


魚住さんが仰々しく差し出す三方に、肖像画と数字の書かれた長方形の紙束が乗っている。

確かにいつもより多いなあ。


「遠慮なく、いただきます」

「問題はないわね」

「ですね。……三方、いりました?」


がさごそと嵩張るものをしまう魚住さんを見て、普通に封筒で良かったんじゃないかと思う。

風間さんは少し罰が悪そうにしている。


「お嬢様は少し格好つけてみたかったのでございます。この度、あまり出番が無かったので」

「い、言わないで頂戴!」

「なるほど」

「納得しないで!……調子に乗ったのは認めるわ。昨日寝る前に、お金を用意していたらふと思いついたのよ。演出として悪くないんじゃって」

「悪くないと思いますよ?コメディーとして」


憮然と口を尖らすお嬢様。このくらいの仕返しは許してほしい。


「余り揶揄わないで欲しいわ。これ、いらないならいいけど」


続いて取り出されたのは、重箱。螺鈿細工の、料亭やドラマで見かける凄いやつだ。

重箱は、料理を入れるもの。僕はようやく思い出した。


「もしかして、若狭湾の件?」

「ええ。鰤を押していたからメインにして、グジの松笠揚げ、飛魚の蒲焼き、鰆のムニエル……」

「ああ、一生ついていきます風間様」


胃袋を掴まれたら男は逃れられないというけど、この重箱ひとつで僕の危惧も虚勢も吹き飛んだ。


「それで、三方がどうかしたかしら?」

「まことに素晴らしい演出でした」

「本当?」

「嘘です。でもいただきます」

「ちょっと」


白い肉団子みたいなのを、制止も聞かずにつまんで食べる。カニカマポテトを食べてる最中に誘拐されたから、割り箸を持ったままだったんだ。よかった、落とさなくて。

口に入れると、肉汁とは違う風味の、濃厚なエキスが口腔に染み渡る。

弾けるように汁が溢れだす感覚は、田川さんの鶏つくね焼きを彷彿とさせる。でも、これはもうすこし柔らかくて、後引く脂味が薄い。あるのは磯風のような爽やかさ。


「アゴの団子?」

「ええ。つくねの御返しよ。好きなのでしょ」

「うん」

「今回はいきなり口につきこんだりしないの?」

「うん」

「生返事ね……なんて幸せそうに食べるのかしら」

「小野寺様の食道楽は筋金入りですので」

「そう、ね。世界の半分より、私との交際より、魚を選んだ男だものね」


若狭湾と言えば、グジ。綺麗な鱗焼きと、松笠揚げがある。ふっくらした白身魚だけど、味は、どこか甘い。淡白な中に、薄桃色の帯のような甘さが糸を引く。

僕は脳が五感に費やす神経を全て味覚に集中させていた。


「ところで、お嬢様。もし小野寺様が世界の半分を欲した時はどうするおつもりだったのでございますか」

「あげるわよ」

「……では、もし。もし、彼がお嬢様を望んだとしたら………」

「……無駄な問いよ。紡は、正しい意味で、過剰なまでに風間を恐れているわ。風間だけではない、一色も、譲羽も。紡は臆病であることで自分の心を守っているんだもの」

「……難しいものですね」

「ええ。どんなに恵まれた人間であっても、本当に欲しいものにはいつだって手が届かないのね」

「お気持ちお察しいたします」

「察してくれると思っていたわよ。堅芽」


無上の幸せを感じながら、僕は箸を置く。

重箱の中身は大体手を付けた。胃袋ストレージに空きがあれば箱ごと喰らいつくすんだけど、僕みたいな弱小個体には限界がある。

目線を前に向けると、風間さんと魚住さんが何か深い話でもしていたような顔をしている。


「ごちそうさま。美味しかった」

「そう。まずいと言われたらどうしようかと思っていたわ」

「風間の料理人のご飯で満足できない人は、餓死するしかないと思うよ」

「こちらも、厨房の責任者をひき肉にせずに済んで安堵したわ」

「僕も安堵しました」


これで不味いなんて言った暁には、奇妙な味のする肉団子を食べさせられ羽目になるだろう。意味怖。


「ところで、二人は何の話をしてたの?複雑な顔してるけど」

「……手に入れたいものが、手に入らない話」

「え」


風間の力をもってして、手に入らないものって何だろう?銀河系とかかな。


「ねぇ紡。あなたが一番手に入れたいものは何かしら。よければ聞かせて頂戴」

「答えなければ、命の保証はいたしません」


物騒なメイドさんの発言に背筋が粟立つ。よければ、のやさしさを全て破壊してしまった。


手に入れたいもの。何だろう。

一番に思いつくのは、母さん父さんと、周と、楽しく笑いあえた、歪んでいない日々。でも、それは手に入れたいものじゃない。取り戻したいものだ。

僕が、今望む、大きな希望。何だろう。


そんなの、答えは一つじゃないか。

最初から、毎日のように口に出している。

僕は二人を見つめて、答えた。




「平和、かな」


呆けたような二人の顔が、徐々に穏やかな笑みに変わっていく。

その頭上を、蜜蜂が旋回していた。

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