第14話 廃工場の戦い
「げほっ。この埃はどうにかならないのか」
「……文句を言うなら帰ってくれ。掃除してくれても構わないですが」
足を動かすだけで埃とも鉄粉ともわからぬ黒い塵が舞う。
神宮寺限徒は、炭鉱のような廃工場の不潔さに端正な顔を顰めた。
電気は通っておらず、手の届かない位置にある採光窓からの四角い明かりと、蝋燭数本、懐中電灯が視界を確保する。
鈍く揺れる燭焔の光が、その場にいる者共の肌を腐った大根のように生白く映す。
窓から採る光の筋に、埃が藪蚊のように可視化している。
野烏候吉は、こんな時刻に何の用だと言わんばかりに雇い主を不遜ににらんだ。
「どうした?急ぎの仕事でもできたか」
「どうした、だと?呼び出しをかけたのはお前じゃないか」
「何ぃ?」
神宮寺が投げ捨てた手紙を拾う。乱暴に開いて読むと、
『風間の娘の事で相談がある。急ぎ廃工場までこられたし 野烏』
野烏は手紙をクシャッと丸めて、ぼんと投げた。手紙は高く飛んで、手すりで仕切られた二階に落ちた。
「嵌められたな。自慢じゃねえけど俺はこんなきれいな文字は書けやしない」
「何だと、誰が」
「ここ数日身辺を嗅ぎまわってた山犬だろ……なぁ」
藪睨み目で周囲を睥睨する。この視線にさらされる部下は、思わず走って脱げだしたい衝動に駆られる。
野烏の手中でじゃりじゃり、と石が擦れる音がする。
前触れなく、手のひらから石が消えた。
ガッシャーン!
石は鉄バケツや椅が積んである山に激突する。山肌に穴が空き、頂上からバケツがからーん、と落ちた。
転がるバケツを足の爪先で止めて、山襞から小さな影が現れる。
「……誰だ」
「……渡り鳥、だよ」
小野寺紡の登場に、手下の何人かが刃物や催涙スプレーを構える。
だが、一人も動かなかった。紡が背負う、異様な得物に度肝を抜かれている。
野烏も細い目を見開き、掌中の殺生石をジャリリと擦った。
「何だ、それは」
「……」
紡が背負うのは、一振りの刀。黒漆の鞘、朱い下げ緒と流れ紋の塗柄。ごく一般的な刀剣の意匠だ。
異様なのはその長さ。
野太刀、豪剣の範疇を逸している。本身の長さ、四尺二寸(約百五十九センチメートル)。人間の身長ほどもある。
持ち上げるのも一苦労の逸物を、紡は狙いを定める狙撃手のように、鐺を野烏に向けた。
「お、おい……お前は……」
神宮寺が回らない舌で誰何する。
周りのどこかで固唾を飲む音が聞こえる。二階の一室から、ゴトリと足を踏む音も聞こえる。
答えずに、紡は一歩踏み出した。
「ちっ……」
野烏は後退する。
それは正しい判断だった。印字打ちは、相手との適切な距離感を保たなければならない。距離とは即ち、生死の間境。それを決めるのは、武器のリーチだ。相手がどれだけ踏み込めば自分に攻撃が届くのか。それを判断して、適切に動かなくてはならない。紡が提げる槍のような刀に、距離をとるのは正常だ。
一方、それは間違った判断だった。命のやり取りにおいて、後退は自分の士気を自分で下げる行為に他ならない。いかな武道であっても、勝敗を分けるのは技倆と、踏み込みの思い切りだ。技倆が劣る者が快勝を手にする時、それは身を擲って半歩深く踏み込んだ結果である。野烏は退いてしまった。
紡がゆっくり刀身を抜く。自分の腕より明らかに長いので、手繰るように抜く。鞘は地面にからんと置いた。
「くそ……虚仮脅しが」
「それが、先輩の肩を砕いた構えかな?」
左手に石を四つ、右手で投擲する。右手には既に握られているから、弾数は五。懐にはまだまだあるだろうが、補充する余裕はないだろう。
「いくぜ……弾け飛べっ!」
野烏の投石、紡の跳躍、着弾は殆ど同時に起きた。石は紡の足元に転がる鉄製のバケツに大穴を開け、紡の体は野烏がいた位置にある。その野烏は投石と共に横に跳び、既に二球目を投げる準備を整えていた。
紡は切り裂くような石を辛うじてよけながら、刀を構える。肘を曲げて、やや斜めに、刃先が野烏の右側の空間を向くように構える。野烏から見るとただでさえ長い刀身に幻惑され、距離感が掴みにくい。
「猪口才……」
焦った野烏は二つ連続して投げる。一つは囮、もう一つが本命。
だがその本命も予期していたように避けられる。
それでいい。野烏の口に野蛮な笑みが広がり、大本命の、切り札を擲つ。
紡は長大な刀身を頭上に掲げて迫っている。
「向かってくるならしめた物……脳天に隧道掘ってやる」
言葉通り、頭蓋を貫こうと風切り音を立てて石が飛ぶ。擲つ直前、紡が掲げる刀身に窓から入る外の光が反射して目が眩んだ。
(狙いは外していないはず……っ)
次に野烏の目に映ったのは、脳天からしぶく赤黒い血であった。光に舞う埃を真っ赤に染め上げる。
ただしそれは、自身の頭から溢れる血だった。
物干し竿のような長さの棟を血が伝う。血刀を提げる紡を、不思議な生命体を見るように、首をかしげて見た。
傾いだ首は戻らず、野烏はどさりと地面に頽れる。
地面には砕けた石の破片が転がっている。矢のような速さで飛来する石を真っ向から斬り割ったのだ。
血に濡れた長刀を提げるその姿は、同じく【物干し竿】と呼ばれる刀を操り空を飛ぶ雁すら斬り捨てたという佐々木小次郎巌流の如き姿であった。
「人に石を投げて、投げ返されることを考えてなかったのかな」
漏れ出た声は、痛切であり、呆れであり、哀しみであった。
一同、森閑として声も無い。
***************
「あ、あ、あ……」
「やばいやばい……逃げるぞぉぉぉ」
糸が切れたように恐怖の堰塞が決壊して、野烏くんを喪った烏合の衆が逃げ惑う。
「もう、遅いよ」
僕は野烏くんの骸に手を合わせながら呟いた。悪人でも、骸にはそれなりの礼をもたなきゃいけない。
それに、今後野烏くんを拝む人もいないだろうから……
轟音と共に、薄暗かった工場内が明るくなった。
夕陽と一緒に、金色に輝く麗しい騎士様がお出でになる。
「控えろ!」
荒砥さんの声が反響して、耳が幸せだ。決して大音声じゃないけど、戦場錆が効いているっていうか、鼓膜より心を震わせるような声だ。
「あ、荒砥……」
「控えろ。一色陛下の勅命で参上した。野烏の匪民よ、得物を捨てて投降せよ。従う者は、各々酌量する。まつろわぬ者は、騎士団の名のもとに断罪する!」
凛然と言い放つ荒砥さん。その背後には、彼女の直属、選りすぐりの女性騎士が控える。
ひとり、またひとり。ナイフやスプレー缶を投げ捨てて膝をついていく。野烏くんが消えた今、彼らによりどころはない。暴れるのにだってよりどころは必要なんだ。
騎士団が戦意を失った人たちを拘束する中、荒砥さんは悠々と、真っ青に震え上がる神宮寺くんに近づいた。
「あ、ああ……待ってくれ…」
「神宮寺限徒。貴様の行状は大方調べ上げた。女子への不埒な行為数多、人を踏みにじる背徳行為。それらを汲み取ったうえで、陛下は返事を下された………これだ」
銀細工の騎士剣を抜く荒砥さん。詰まった笛のような声を出す神宮寺くん。
「た、助けてくれ……俺は、本当に、純粋な気持ちで一色様に」
「問答無用。返事、しかと受け取れ!」
喉笛が裂けた。神宮寺くんが喉を抑えて、自分で首を絞めるような格好で独楽みたいに回る。
「うわああぁぁぁ」
「……地獄へ落ちろ」
荒砥さんが吐き捨てる。女性として、軽蔑を通り越した憎しみを感じてたんだろう。
「団長!皆、縛り上げました!」
「……ご苦労だった。指定した場所に放り込んでおけ。……お前たちは先に出ていろ」
「はっ」
場にいるのが、僕と荒砥さん、二つの死骸だけになった。
荒砥さんが僕の肩をぽんと叩く。
「気に病むな。誰かがやらねばならないことだ。巻き込んだのは申し訳ないと思うが………」
「なんだかんだで、最終的にやる気を出しちゃったんだ。この臭いだけは、どんなに洗っても消えないからね」
「……私も同じ臭いだな」
「荒砥さんは良い匂いだよ」
「む……?そう、か」
僕たちは、先ほど音がした二階の部屋を見上げながら話す。
あっちも、片がついてるかな。
***************
「何が起こっているんだ……」
「ふぁ、ふぁ」
二階の一室、グリースと錆の臭いが充満する部屋の中で、神宮寺直実と浅草幸茂は
直実の右手には紙片が握りつぶされている。
紙にはこう書いてあった。
『今夕、風間の娘を工場内で監禁する予定。お二方にもその場をお見せしたく、先に二回の窓から忍んでいてください 野烏』
工場内で事故があったとき、窓から脱出できるように縄梯子が掛けられるようになっている。
高慢ちきな風間の娘が埃塗れの床で無様に泣くのを、二階の高みから覗く……それは直実の性癖をくすぐる、心地よい誘いだった。
しかし、どうしたことだ。
床に倒れているのは、自分の息子とその飼い犬ではないか。
「社長!まずは、逃げないと。ふぁ、ふぁしごへ、、ふぁやく!」
「あ、ああ……誰だ?」
梯子がかかる窓からの光を背に受けて、陰に彩られた女性が立っていた。
見紛うはずもない。
「お前は、屋敷のメイド……くそっ、謀ったな」
「神宮寺様。浅草様。戯れが過ぎましてございます。総帥様も、非常にお怒りのご様子……」
「何を……固陋、老害、老い耄れの勘気など惶るるまでも無い!」
魚住堅芽は、埃も寄せ付けないメイド服を纏っている。挙措は完璧、慎ましく、穏やか。眼球は氷山のように冷たく、尖り、視線が具現化したような小刀を携えている。
「ご警告は致しました。御命頂戴いたします」
「ふざけるな!」
「こんのぉぉ」
側の棚にあった油まみれのトンカチを翳して、浅草が巨体を押し寄せてくる。
堅芽の小太刀は白魚のように空を泳ぎ、浅草の頸動脈を裂いてすれ違う。
背後で鉄板敷きの脆い床を揺らして倒れる気配を感じながら、コートの裏に手を突っ込んでいる直実を狙う。
直実の手が、隠し持っている携帯拳銃を掴む前に、死神の指先が心の臓に冷たい痛みをもって触れていた。
「……ふぅ」
僅かに吐息を漏らした堅芽は、二人の息がないことを確かめると部屋から出て、手すりの下を見下ろした。
「あ、魚住さん」
紡と白記がいる。
三人は血を浴びた上着を脱いで、放り捨てた。日は落ちかけているが、空気は温かい。
少し時間が経てば、風間の息がかかった者が駆け付けるだろう。全ては闇へ葬られる。
三人の長い影が伸び、梅雨前の風が薄着の肌を撫でた。
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