第5話 夕陽と仙翁

噂をすると本人が現れる、なんてよく言われる。それは案外事実なのかもしれない。

さっき溝呂木君と話したばかりの荒砥さんを、下駄箱へ向かう途中の廊下で見かけた。


荒砥白記。【騎士】の称号を拝する、気高く美しく、そして強い女性。

魚住さんはメイド服を着ていたけど、荒砥さんは腰に長剣を佩いている。残念だけど騎士鎧や真紅のマントは着ていない。着ていたらドン引きするけど、引くほど美しいんだろうなと思う。校内で帯刀しているだけで十分異質かもしれないけど、荒砥さんから溢れる騎士道的品格が解決している。もちろん長剣を扱う技倆も半端なものではない。

さて、騎士とは護る存在だ。荒砥さんの護衛対象は、真っ赤な髪を荒ぶる火焔のように揺らめかせて、何事か言い合っていた。


「何度も言わせないで!あんたが誰であろうが興味はこれっぽちも無いの。その腑抜けた面を抱えてさっさと消えなさいっ!」

「そんなこと言わずにさぁ、お茶に付き合うだけじゃないか……ひいっ」


猫なで声で迫る男が、荒砥さんに肩を掴まれて悲鳴を上げた。恐怖じゃなく単純に痛いんだろう。肩甲骨がミシミシ言っている音が離れた僕のところまで聞こえてくる。


「わ、わかったよ。今日は機嫌が悪いみたいだし帰るね。でもこの神宮寺限徒じんぐうじきりと、一色様に近付けるならどんな代償も厭わないよ。神宮寺、だよ。覚えておいてね」


早口で言うと、そのまま奥へいってしまった。なかなか恰好いい人だったけど、よりによって【焔の女王】を校内ナンパするなんて。命は一つしかないのに。

失礼なことを考えたせいか、女王様が僕に気づいて近づいてきた。元々下駄箱へ向かうために彼女たちの横を歩かなきゃいけないから、接近は避けられないことだった。


「紡じゃない。何、見てたの?」

「まあはい。いつもながら容赦ないですよね」

「そうでもないわよ。機嫌が悪い時はその場で断罪してるし」

「ひゃあ」


断罪って何だろう。地獄の業火?煉獄車裂?熱湯百リットル飲み下し?

髪の色より鮮やかな赤の目を僕に向けてきた。大粒の柘榴石のようで、流石風間さんと覇を競うお嬢様なだけある美貌だ。

美しく、背景に火柱が立つような厳しさも兼ねる彼女の名前は一色誉紫いっしきほむら。広告宣伝業を中心にテレビラジオやエンタメ企画、オンラインゲームの運営など娯楽産業を主とする一色財閥の長女。風間さんと違って兄弟が多いらしい。


「それではこれで」


僕が難を避けて通り抜けようとすると、待ったがかかる。


「待って」

「……それでは、これで」


白けてくれるかな、と思ったけど荒砥さんに首根を掴まれるだけだった。ひんやりした手が心地いけど痛い痛い。首を圧迫されるのって本当に怖いよね。


「陛下は待てと仰せられている。時を借りるぞ小野寺」


そう言って力を緩めた。緩めただけで放してくれない。まあもう、お嬢様に待てと言われた時点で逃げられないことは理解していたけれども。でも、一つだけ気に入らないことがある。


「時を借りることはできないですよ」

「そうだな。言いなおす。小野寺、陛下に時を差し出せ」

「……相変わらず変に理屈っぽいのね」


荒砥さんは見た目通り生真面目。そして、至極素直な性質なんだ。純金より耀く髪、女性の中でも一つ抜けた長身。僕は背が低めだから多分抜かされている。


「で、どこへ行けばいいの?」

「例の部屋で」

「ええ……また」

「何だ?またとは」


荒砥さんが言う例の部屋、は昼休みに行ったあの曰くつきの、ついでに三重の鍵付きの教室に他ならない。下駄箱から大分遠ざかってしまうけど、もう仕方ない。


「なんでもないです。行きましょう」



**************


鍵を外して、本日二度目の空き教室。

この部屋で拷問だの性的暴力事件だのが起きたと様々な曰くが語られては消えたり編集されたりしていくけど、何か異様な雰囲気を感じるのは確かなこと。僕は安保闘争時代に学生運動の集会所として使われていたんじゃないかと思っている。根拠はないけど。三重に巻かれた仰々しい鉄鎖と南京錠なんてそれっぽい気がする。ただ、二重扉の方はどう見ても後付けじゃなくて元々の仕様だ。校舎が建てられた当時から何か特別な意味がある部屋なんだとは思う。


そんな部屋に僕達三人が踏み入る。一色さんは椅子の埃をぱぱっと払って腰を落とした。風間さんと対称的に思い切りの良い人だ。

荒砥さんはその側に侍る。もし今窓を突き破って風魔忍群の生き残りが襲ってきても一刀のもと斬り伏せるんだろう。

僕は一色さんの目の前に腰を下ろして話を促した。


「依頼は、あの神宮寺の事よ」

「さっきの?」

「そう。学年が変わってから散々に付き纏われているのよ。不愉快よ、全く」


額に皺を寄せて吐き捨てる。

一色さんも風間さんも、もう一人【華の妖精】もそうだけど、近付いてくる人間は余すところなく下心を持つ。例外はあるだろうけど、そう思わないとすぐに取り入られてしまう。だから一人、信用のおける従者だったり騎士だったりを側に置いて、隔絶した地位にいる。

そして、どういう事かわからないけど、小野寺紡ぼくは例外中の例外らしい。何で国家レベルの財閥の御令嬢の信頼を得られたのか、思い当たる節がない。

意識を神宮寺の話に戻す。


「馴れ馴れしく、ふしだらな男だ。少しだけ評判を探ってみたが酷いものだった」

「へー。どんな感じに」


口に出すのも憚るが、と前置きして神宮寺限徒くんの悪噂を聞いた。

女性関係がとにかく激しいらしい。三股四股は日常で、ひと月もすれば恋人の面子は完全に更新されているという。

他人の恋人も容赦なく寝取るけど、一番悪趣味なのは母娘丼を好む性癖がある事。それでも新規の恋人が後を絶えないのは、神宮寺工業の御曹司であるから。横浜に二つ、川崎に二つ、浦安に二つ、更に伊豆の下田にも大工場を持っている。主に瓶や甕を生産する大会社だ。


女泣かせの逸話を一つ語るたびに渋面を濃くする荒砥さん。五つ目を語り始めたあたりで止めた。


「そのくらいでいいよ。日が暮れちゃいそうだ」

「全くだ。あの気取った顔を思い出すだけで抜き打ちたくなる」


親指を銀色に光る金属柄に沿えて言わないでください。怖い。

同じく渋い顔で赤い髪の先を胸元でいじっている一色さん。僕はそれを見て、違和感を覚えた。あ、見たのは胸元じゃないよ。いつも通り御立派様です。


「神宮寺なんて一色さんの力があれば小指の先で突っつくだけで抑え込めるんじゃない?」

「それが微妙だから紡に頼ってるんじゃないのよ」

「私が説明する。神宮寺工業は風間財閥の傘下なのだ」


ここで風間の名前が出てきた。

風間財閥と一色財閥。どちらも日本を代表する財閥であるけど、表立って衝突するようなことはあまりない。幅広い分野で好成績を出している【畑違い無し】の風間と、エンタメや出版、ソーシャルゲームの運営など娯楽分野でのトップランカーである一色。上手い感じに住み分けはできていて、争っているのは財閥に寄生しようと群がって牽制しあう下々に過ぎない。これは御令嬢本人の口からきいたことだから間違いないんだろう。


「しかし、風間傘下の御曹司が陛下に擦り寄ってくるというのはおかしな話だ。汚らわしくも陛下に劣情を抱いたか、他の意図があるのか。それを調べてほしい」

「それは風間さんに聞いた方が早いんじゃ?」


そういうと、はぁとため息をつかれた。普段の気炎ではない、ぶすっと燻るようなため息だ。


「それはもうしたわよ。風間の飼い犬なんだから淑乃になんとかしろっていったわ。そしたらあの冷徹女、なんて言ったと思う?」

「肩たたき券を寄越せ?」

「それなら鼻で笑ってやるわよ。それから金槌で叩いてやるわ。淑乃がそんな可愛い事言うと思う?」


一色さんももうちょっと可愛い事言いましょうよ。金槌で肩たたきって、ブリキのお爺ちゃんじゃないんだから。茶化した僕が悪いのかもしれないけど。


「”自分の色恋の始末は自分でされては?”だって。何が色恋よ。色も恋も鯉もあったものじゃないわ。私は付きまとわれてるだけなのに......澄ました顔が気に入らないわ。紡、前から言ってるけどあんな女の手伝い辞めて私のところに来なさいよ」


一色さんは、このところ僕をスカウトしようとしてくる。何を血迷っているのだろう。僕はぱたぱた飛び回るだけの鳥なのに。焔の女王の懐に入ろうものなら、たちまち焼き鳥になって田川さんの店先に売られてもおかしくない。多分美味しくない。


「不服そうね。何が気に入らないのよ?私の側で白記と一緒に護衛させてあげるのに」


拗ねたようにそういう。

正直、荒砥さんと一緒に仕事ができるのはすごくそそられる条件だ。


「いやいや。一色さんに護衛はこれ以上必要ないでしょ。荒砥さんがいて、その下に勇猛美麗な騎士団が矛を構えてるじゃないですか」

「そうね。でも男手が足りないのよ。この世に男と女の二種類がいる以上、どうしても不便があるの。周囲で信用できる男なんて紡くらいしかいないから」


その言葉に荒砥さんが頷く。荒砥さんに信頼されているのはとても喜ばしいことだ。一色さんの信頼も嬉しくないわけじゃない。

一色さんが荒砥さんを向いて尋ねた。


「白記。紡の剣の腕は確かなのよね?」

「はい。見た目は細いですが、信じられない技倆です」

「戦ったら勝てる?」

「……板張りの上で、木剣を向けあうなら五分五分です。私の方が勝率は上かもしれません。ただし、木剣が白刃に変われば手も足も出ずに斬られるでしょう」

「……らしいわ。騎士団長のお墨付き。私の方ではいつでも迎える準備はできてるんだけど」

「期待が重い」


本当に重い。僕は意志が強いわけじゃないし、踏ん張り強くもない。そのうち本当に首輪と轡を填められて引きずっていかれないか不安で仕方がない。


「後ろ向きに考えておきます。……とりあえずは神宮寺くんを調べればいいんですね」

「ええ。仮にも風間傘下だからこっちが手を下すといろいろ面倒なのよ」

「任せた」


話はこういう風にまとまって、僕はまた一つ厄介事いらいを抱えた。部屋を後にして、鍵の始末は二人に任せる。廊下は窓から差し込む夕陽で茜に染まっていた。

どん詰まりの秘密の部屋と階段のまでの半ばにある机に花瓶が乗っている。活けられている赤い花は仙翁だ。

夕陽の茜と仙翁の赤。絵画のような空間を極力乱さぬように歩いて、今度こそ帰路についた。

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