第4話 放課後四十雀

チャイムの鐘音と、窓の外の四十雀の鳴き声が混ざって本日の授業が終わる。

五月も半ばで、ゴールデンウィーク中の話題も聞こえなくなってきた。僕は小さく伸びをして溝呂木くんのそばに寄る。溝呂木くんは少し驚いたように眉を上げた。僕の方から近づいて話しかけることはあんまりないから当然の反応だと思う。


「よ、どうかしたか?」


気さくに声をかけてくれる。側に諸岡もろおかくんがいて、話してたみたいだ。


「気にしなくていいから」

「うん。気にしない」

「……ふん」


諸岡くんは僕のことが嫌いなようで近づくとあからさまに不機嫌になる。問題は僕にあるんだし、直接何かをされるわけじゃないから気にもならない。


「じゃ、部活行くわ」

「そっか。練習頑張れよ」


諸岡くんが教室を出ると、溝呂木くんが僕を見て話せと促した。


「ちょっと昼に面倒あって」

「そういや昼休みに戻ってくるの遅かったよな。……風間さんに何かされたのか?」

「怖いこと言わないでよ」


首を振ったら更に青い顔になった。


「ま、まさか風間さんに何かしたんじゃ」

「はは、まさか。僕は平和主義者だよ」

「いやでもつくね食わせてなかったか?」

「美味しいって言ってたよ」

「ならいいんだけどさ。頼むぞ、生きててくれよ。物騒な世の中だからさ、いつ身の回りの人間が死体になってもおかしくない」

「だねえ」


ここまで心配してくれる数少ない友達に、こんな話をするのは気がひけるんだけど、仕方ない。


「本当に物騒だよね。昼休み、風間さんから解放された後、怖い人に囲まれたんだよ」

「ええっ。大丈夫なのか」

「うんまあ、この通り」


少し大仰に手を広げると、少しだけ笑った。もちろん作り話だから、心配そうな顔を見ると罪悪感が鋸の歯のように心に食い込む。


「野烏くんの手下みたいなんだよね」

「野烏って、B組の野烏?」

「そ、それ」

「そりゃ、まずい」


心無しか風間さんの話題の時よりも顔が青い気がする。

溝呂木くんによると、野烏配下の不良は校外で活動することが多いらしい。確かに校内で強盗や暴力を振るったという話は聞あまり聞かない。


「掟みたいなのがあるらしいぞ。逆らったら野烏本人から制裁を受けるって」

「うわ怖い。印字打ちの達人だってね」

「印字?何だそりゃ」


溝呂木くんが首を傾げる。確かにメジャーな戦闘術じゃないかもしれない。

印字は簡単に言うと投石だ。腕力のみで投げる場合も、投石機を使う場合も、総じて印字と呼ばれる。鎧の上からでも衝撃を与えやすくて、弓矢みたいに矢が尽きる心配もない。石がなくなれば足元にいくらでも転がっている。日本では火縄銃が普及するまで、合戦において重宝された攻撃だった。

あの剣聖上泉信綱もその有用性を説いているんだ。


「へー。詳しいんだな」

「そう?」

「でも、そういえば野球部の江藤先輩が野烏と勝負して負けた話なら聞いたことがある」

「江藤先輩、って?」

「去年大会にも出たスラッガーの先輩だよ。今は入院中だけど」

「入院?まさか野烏くんが原因?」

「らしいぜ」


マネージャーに執拗に言い寄る野烏くんに激しく意見したらしい。先輩の意見なら少しは聞くだろうと思ったようだけど、実際は半顔で睨んできた。


『これ以上うちのマネージャーに付き纏うならこっちにも覚悟があるぞ』

『……けっ。誰が好んであんなのに付き纏うかよ』

『何か言ったか?まあいい。俺たちは今から夏に向けて全力で練習してるんだ。マネージャーだって同じだ、二度と近づかないと約束しろ』

『……じゃ、その練習とやらの成果を見せてもらいますかね』

『何い?』


巧みに江藤先輩を挑発して一対一の対決に持ち込んだ。四回投げて、野烏の投球を一回でも返せたら諦めてやると言う。現役相手にこの発言。当然江藤先輩は激怒してこの勝負を買った。


「又聞きだけど、酷い内容だったぜ。一投と二投は手も足も動かなくて三投目も空振り。最後の球は先輩の肩を砕いたんだってさ」

「怖いなあ」


あの魚住さんが態々忠告に来るくらいの相手。江藤先輩には気の毒だけど相手が悪すぎた。


「マネージャーは辞めちゃったらしいし、あの後どうなったんだろうな」


溝呂木くんが憂える。友達が所属してるんだろうか。由緒ある我が校は規模もかなり大きくて、生徒数は三千近い。マネージャーの女子の行方までは溝呂木くんも聞いていないみたいだ。聞きにくいことだしね。


「関わりたくないなあ」

「そうだぞ。あれに関わっちゃ命がいくつあっても足りない」

「野烏くんって普段どこに屯してるか知ってる?絶対に近づきたくないから」

「いいや。さっき言ったけど、あいつら基本的に校外で活動してるからさ。野球部の件も野烏から喧嘩売りに行ったわけじゃないし....敷地内じゃなさそうだぜ。まあウチの敷地は広大だから確かじゃないけど」


野烏くん本人について回るのは難しい。となると、接触するべきなのは江藤先輩、マネージャーの女子あたりか。とりあえず僕は野烏くんの顔もよく知らない。風間さんを待たせるのも危ないし、早く報告まで仕上げたい。


「江藤先輩って入院中だっけ?どこの?」

「えと、確か人形町の【影武者クリニック】だったっけ」

「それ本当に病院?」


人形町の、旧芳町あたりにあるらしい。

江藤先輩のフルネームは江藤有一郎ゆういちろう、マネージャーは蒲池乞河かまちこいか


「どうしてそんなに聞くんだよ?なんか関わりあるのか?」

「単なる野次馬心だよ。まあ不謹慎だったかもね」

「へえ、珍しいな」

「嫌だな、僕にだって他人の噂が気になることはあるよ」

「じゃなくて、小野寺の口から不謹慎なんて言葉が出ることが」

「僕はそんなに失礼な人間だと思われてるんだ」


心当たりがあり過ぎる。

いきなり病院に行っても取り合ってくれないだろうし、蒲池さんを探ってみようかな。

そんな算段をつけていると、溝呂木くんが笑いながら聞いてきた。


「それよりもよお、風間さんとは何の話をしてたんだ?まさかとは思うけどラブい奴じゃないよな?」

「本気でそう思う?」

「まっさか。臍で天麩羅が揚げられるぞ」


鼻で笑われる。臍で揚げた天麩羅、少し見てみたい。食べたくはないけども。


「でもお前も運が良いのか悪いのか。こう、助兵衛心起こしてコロッといくんじゃないかって心配だよ」

「風間さん相手に?何度も言うけど、僕は平和主義者なんだって。風間さんがどんだけ美人でも、恋愛対象にするには危険すぎるよ」

「わかってるならいいけどさ。……小野寺」


そこで、少し声のトーンを落とした。さっきより笑みが卑しくなっている。


「前から気になってたけど、お前好きな女いるのか?」

「うーん」


げしげし小突きながら聞いてくる。少し面倒くさいノリだけど、こっちも嘘をついてまで話を聞き出した負い目がある。

それにまあ言って何か損があるわけでもないし。


「僕の好みは荒砥さん」

「荒砥……【騎士】の荒砥白記あらとはつき?」

「うん」

「まじかよ……平和主義者が聞いて呆れるぜ」

「そうかな?荒砥さんが隣に居ればどんな脅威からも守ってくれそうじゃん」

「ああ確かに。でもそれでいいのか、男として」


別に良いと思う。

とにかくまずは、なんとか自力で情報を集めてみよう。どうしようもない時は情報屋を頼ることもできるけど、正直彼女には接触したくない。野烏くんとは別の意味で、同じくらいに関わりたくない。


溝呂木くんにお礼を言って、どうか関わらずにいられますようにと祈りながら教室を出た。

背後から聞こえる四十雀の高い囀りが、僕の祈りを掻き消すように鼓膜を揺らした。

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