#11 きみに折り入って頼みたい……

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エドワードの警告を余計なお世話と思ったエリザベス、

ところが画家から思わぬことを頼まれてしまい……


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 まったく、失礼なことを言うひとね……いったい何を言いだすかと思ったら!

 そう思いながらもエリザベスの頭の中では、エドワードの言葉が繰り返されていた。

 彼から見れば、わたしは世間知らずのまま旅するお気楽娘に見えるのかしら? 初めて会ったときは笑顔がすてきなひとだと思ったけど、あの言い方、まるで兄さん、いいえ、父さんみたいだわ。自分のほうこそ、危ない目に遭いかけたくせに。トラブルを救ってあげたのはわたしのほうよ! そうか、あのときの借りを返そうとしているのかしら?


 珍しく頭が切り換えられないまま、エリザベスはハロルドのアトリエに戻っていった。

 アトリエは賑やかなモンマルトルの丘から少し北にあるエリア、大通りから数本奥に入ったところに建つ、築百年は超えていそうな7階建てのアパルトマンだ。その1階と地下にある部屋をアトリエ兼住まいに使っているらしい。

「いま戻りました。遅くなってごめんなさい」

「全然かまわないよ。それより、迷子にならないか心配してたんだ」

「これでも、けっこう方向感覚はいいんですよ。一度いった場所なら忘れない自信があります。でもヨーロッパのような古い住宅街に入り込むと、たしかに迷いそうになりますけど」

「ああ、ぼくもパリに住みはじめた頃はそうだったよ。さてと、じゃあ制作に戻ろうか」


「よし。きょうはこのへんでお仕舞にしよう。おつかれさま。初めてのことで、きみも疲れただろう?」

「いえ、ぜんぜん大丈夫でした。同じ姿勢でいつづけるのがちょっと大変だけど」

「きみは姿勢がとても美しいよね。ご両親に厳しくしつけられたんだろうな」

「かもしれません。それに馬に乗るときは、姿勢がとても重要なんです」

「ああ、テキサスなら乗馬は必須だろうね。まさかロデオもやるのかい?」

「実は、地元の大会にも出たことがあるんですよ。小さい頃は、親の目を盗んで荒馬に乗ってて、見つかるとさんざん叱られましたっけ」

「そりゃすごいや!」といってしばし笑ったハロルドだが、急に顔を曇らせた。

「どうかしましたか?」

「いや、実はきみに折り入って頼みがあるんだ」

「はあ……なんでしょう?」エリザベスは突然エドワードの警告を思い出した。

「いや、なにね……」と話しだしたハロルドの頼みとはこうだった。


 このぶんでは下絵ができて彩色を終えるまでに4日はかかる。その間に、ぼくが描いた肖像画を注文主が待つアムステルダムまで届けて、その場で小切手を受け取ってきてほしい……というものだった。

「そんな大事なこと、とてもわたしには無理です!」エリザベスは即答した。

 絵を描いてもらう途中で、クーリエをやった経験を彼に話はしたけれど、あくまで大叔母の交友関係が前提のものだ。知りあってまだ数日しか経っていない、自分の身内とゆかりもないひとの金銭がからむ物品を運ぶなんてことは安請け合いできない。

「もちろん無理を言っているのは承知だよ。ただ、どうしてもこの数日間、ぼくがパリを離れるわけにいかなくなったんだ……」と彼はさらに事情を説明した。


 彼には唯一の親友がいる。同じく画家を志したアメリカ人だ。だが友は才能に見切りをつけてカフェで働いていた。その友が病に倒れた。不治の病とされているが明日、手術できることになった。その友には以前、ハロルドが大けがをしたときに大いに世話になったから、今度は友の近くにいてやりたい。だが肖像画の納品が明日の約束で、それを果たして小切手を受け取らねば、友の手術費が払えない……というのだ。

「ここだけの話だが、長くパリにいるくせにフランス人にはどこか心が許せなくてね。その友とよく言うんだよ、きっとおれたちは死ぬまで異邦人だな、とね。どうかお願いだ、同じアメリカ人の頼みと思って引き受けてくれないだろうか……?」ハロルドはそう問いかけてきた。

 ベスは、友人を思うハロルドの心根にうたれた。

「そういうことだったら……」と、彼の頼みを引き受けることにした。

「ありがとう! 助かるよ。アムステルダムまではパリから鉄道で6時間くらいだ、明日の午後に出発してくれたら、駅まで引き取りに来てもらうよう手配しておこう。ちょっと待っててくれるかい?」

 ハロルドは電話をかけるといって奥へ引っ込んでしまった。

 彼が戻ってくるまで、エリザベスは手持ち無沙汰で、アトリエにあった数点の絵をぼんやりながめた。

 うまいとは思うのよね……でも、やっぱり何かしっくりこないわ。

 でもそれは、自分の趣味にあわないだけだと言い聞かせるエリザベスだった。

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