#04 気づけば彼女のことばかり……

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将来のホテル経営のためにパリへ修行にきたエド、

ところがふとした拍子に思い浮かぶのは、

あのカウボーイハットの彼女のことばかり……


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「コーヒーのお代わりはいかがです、ムッシュウ?」

「けっこうだよ、メルシー」

 エドはいま、ホテルリッツのラウンジでコーヒーを飲みながら考えにふけっている。

 本音を言うと、あまりコーヒーは得意じゃない。本当はコーラがいいけれど、さすがにパリの一流ホテルでは……という妙な意地をはってコーヒーを飲んでいる。

 何しろ父からは、「世界から賞賛される、これぞ一流のホテルサービスというものを身をもって学んで来い」といって送り出された手前、部屋から一歩出るとつい肩に力が入ってしまうのだ。

 誰も見てやしないのに。

 それに本来、ホテルとはくつろぎの空間であるはずだろう?

 それは経営する側と利用する側との見方の違いだ。ぼくは経営する側に立つ人間なのだから、父の期待にこたえなくてはいけないのだから……。

 そう、エドことエドワード・ハートにとってのパリ滞在は修行のひとつ。イギリスを皮切りに、将来のホテル経営に必要と思う場所や人物を訪ねて見聞を広め、さらには実際に利用することで、最高のサービスとは何かを学んでくることが旅の目的だった。


 彼の父であるジョージ・ハートは、アメリカ西海岸で小さなホテル〈ザ・ハート〉を創業した。こじんまりしたホテルだが、豊かな客層に恵まれて経営はそれなりにうまくいっている。ジョージには〈ザ・ハート〉を一大ホテルチェーンに築き上げるという野望があった。

 エドは父と母アリシアのあいだにできた3番目の子で、上に姉ふたり、下に双子の妹たちという5人きょうだい。いやでもエドにかける父の期待はふくらんだ。

 だから、大学を卒業するとすぐに、エドは海外に送り出されたというわけだ。

 これまでに訪ねた先は、イギリスではロンドンのザ・サヴォイをはじめとする高級ホテルや、スコットランドやデボン州トーキーなど由緒ある保養地のホテルなど。

 父がその昔、老舗ホテルでの修行時代に培った人脈のおかげで、行く先々ですぐれた経営センスの持ち主や熱い経営者からいくつもの有益な話が聞けたのだ。

 フランスでは、まずはニースやカンヌにある4つ星のホテルを巡った。パリのひとたちが夏のバカンスを終えようとしている頃で、何もしない贅沢を味わう彼・彼女らの休暇の過ごし方、それをもてなす側のサービスの在り方も学ばせてもらったと思う。


 そして次の目的地がここパリ、しかも歴史に名を刻む人々が常宿にしてきた「リッツ」に、いまは滞在しているというわけだ。

「いまやパリの代表格といえばル・ブリストルのほうでは? このリッツもかつての栄光にしがみついて、もがき苦しんでいるようですからね」

 急に声を落として話すのは、アメリカ出身のバーナード氏だ。父と同じニューヨークでのホテル修行時代をともに過ごしたひとで、いまはパリに移り、ル・ブリストルでマネジャー職にある。休暇に無理をいって会ってもらうため、リッツのラウンジにご招待したというわけだ。

「このホテルをこよなく愛したヘミングウェイや30年以上も住み続けたシャネルが、いまの姿を見たらどう思うやら、と思いますよ」とバーナード氏はささやき続けた。

 たしかに、1898年にセザール・リッツによって創業したホテル・リッツも1970年代には経営難に陥り、破産寸前状態で1979年に競売にかけられた。それを買い取ったのがエジプト人実業家で、それ以来、あちこちに改装をほどこして、1987年に現代的なホテルに生まれ変わったばかりなのだ。

「歴史が絶えないのはよかったです。ただ、個人的な好みでいえば、かつての重々しく華やかな雰囲気をもっと残してほしかったですね。まあ、これからの盛り返しに期待していますよ。ライバルが元気でないと、こちらも張りあいがなくなりますから」


 近々にわがホテルをご案内しますよ、といって帰るバーナード氏を見送ると、そのままエドワードは席に残って、先輩の言葉をかみしめていた。

 どんなに一流のホテルでも陰りが見えるときはあるだろう。客たちに飽きられないようにホテルは日々進化を求められる。どんなに伝統を重んじるといっても、その伝統を守るために今までどおり何一つ変えなくていい……というわけにはいかない。

 自分が描く理想のホテルとはどうあるべきだろうか、とエドワードも将来の経営者としての自分の姿を想像してみた。

 それには何よりもパートナー、伴侶となる女性の存在が大きいのではないか。

 母アリシアがいなければ、父の今の成功は成し遂げられなかったという、息子ながらに抱く確信があった。

 すると、どういうわけか、先日会ったばかりの、勝気そうな、カウボーイハットをかぶった彼女の顔が思い浮かんでしまうのだった。

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