第136話 僕のエリスをよろしく
「うーん、いい匂い。もうここまで漂ってきているよ。今回の演習では楽しみしていたのに食べさせてもらえなかったんだ」
食堂で席についた私たちの前には、オードブルの新鮮な野菜が並んでいる。その中に香味が強いものは無いから、クライブが言っているのはアレンが言うところの特製クルの匂いのことだろう。
「仕方ねえだろう。材料が揃わなかったんだから。しかし本当にいい匂いだな。これなら食欲が落ちたやつにいいかもしれん」
ほんといい匂い。私たちが普段食べているのと全然違うよ。
それにしても、海軍で演習前にクルを出せなかったんだ……もしかして、去年領主がお父さんに代わったせいかな。ようやくだもんね交易が動き出したのは。
「さあ、皆さん、お待たせしました。こちらは妻のアメリーが腕を振るった料理です。どうぞ、お召し上がりください!」
お父さんの合図で、懐かしい人たちとの楽しい
「うーん、味も深い。これはここだから出る味なのか?」
ハンス船長が特製クルを前に
「これを使って頂いたら、皆さん近い味を出せるようですよ」
お母さんがクルの元が入った
「それで、アレンはこれを俺たちに買ってほしいと言うんだな」
「はい、王都でもクルの元を売る予定ですが、海軍では特製のクルが食べられるとなったら、志願者も増えるのではないですか?」
なるほど、海軍でしか食べられなかったクルをみんなが食べるようになったら、海軍に入る人が減っちゃうんじゃないかって思っていたけど、これなら大丈夫なのかな。
「使い始めたはいいが、あとから他でも食べられるとなったら困るんだかな」
「これに入っている香辛料は友人のところでしか栽培されてなく、さらに増産もなかなか難しいらしいんですよね。量的にも海軍で使ってもらうのにちょうどいい位しか採れないみたいなので、他のところにまで回せないです」
カペル家としては海軍に納入が決まると、船員には定員があるから毎年ほぼ決まった量のクルの元を安定して
「安定的に材料が揃うなら船員にクルを振舞うことも増えるだろう。そのあたりはどうなっている?」
「今の海軍の水準で毎週一回クルを食べてもらえるくらいなら確保できます」
「毎週一回……今に比べて格段に多くなるが、この味ならみんな欲しがるかもしれんな。わかった他の船長たちとも相談してみよう」
「そう思って、今来ている皆さんの分のクルを用意してあります。船に戻ってから作ってみてください」
実は、今回海軍が寄港してくれるのに合わせて、クリスタたちに頼んで新鮮な魚を各船に送り届けている。本当ならみんな陸に上がってもらって料理を振舞いたかったんだけど、演習中だからそういうわけにはいかなかったんだよね。だから、食事くらいは新鮮な物を食べてもらおうと思ったんだ。さらにアレンは、お土産として特製クルの元を持たせようとしているみたい。
「これを食っちまったら誰も嫌とは言わんだろう。ただ、あまり出せんぞ、予算があるんだからな」
「もちろん、通常の一食分とそう変わらない値段になるようにしますよ」
どうやら話もまとまったようだ。そして、
「兄上ってやっぱりすごい……」
私の耳にクライブの呟きが聞こえた。
食事が終わったあと、アレンの部屋に四人で集まった。
「ふぅー、満足。兄上は毎日こんなに美味しいものを食べているのですか?」
「アメリー義母さんの料理だから美味しいよ。羨ましいでしょ」
お母さんは私がメルギルに来てからは、領主の奥さんとしての務めは経験を積ませるという名目で私に任せっきりだからね。今では厨房の主みたいになっているよ。
「いいなー兄上は、いいお屋敷に住んで美味しいご飯を食べられて……」
「あはは、この屋敷いいでしょ。でもここはいつか立て直さないといけないんだ」
どうしてというクライブに舞踏会が開ける広間が必要だと伝える。
「それって、屋敷の中に作る必要があるんですか? これだけ敷地があるんだから、別棟で建てられてはいかがです?」
目からウロコだった。他の貴族の家がそうしているからそうしないといけないとばかり思っていたけど、土地が狭い王都ではホールを借りて舞踏会をやっている。同じ建物内に作る必要はないのかもしれない。
「なるほど、気付かなかった。お義父さんと話してみよう。これで一つ、肩の荷が下りたよ。クライブ、さすがだね」
「いえいえ、僕は兄上に比べたらまだまだ……」
あれ、クライブの様子が……
「クライブ、何かあったの?」
「……ティナ、兄上、聞いてもらえますか。実は――――」
ふむふむ、話を聞いてみたけどこれは単純に経験不足じゃないのかな。最初からできるわけないんだから、そこを気にしちゃいけないのに……
「――だから、僕なんかより兄上の方が……」
「クライブ待って。ボクね、今できることをやるだけで精一杯なんだ。先のことを考えている余裕は無いんだよ。さっきクライブがお屋敷について話してくれたでしょう。ボクたちが気付かないところを教えてくれて、ほんと嬉しかったんだ」
アレンはクライブの手を握りじっと見つめる。
「……兄上、ごめんなさい。少し気弱になってました。兄上が起き上がられただけでよかったのに……僕って欲張りですね。えへへ、兄上の顔を見てホッとしたのかな。でもあまり無理されないでくださいね。今日浜辺で会った時、顔色が悪くてびっくりしたんですから」
え、そうなの? ……私、気が付かなかった。
「そう? ボクの顔色が悪かった? ……太陽の光の加減じゃないかな。……ほら、何ともないよ?」
アレンは腕をブンブン回している。
「あ、あれ? たぶん僕の気のせいですね。確かに今はいい顔をされています」
よかった、今日は天気も良かったから、明るいところから急に暗いところにでも行ったんだろう。……きっとクライブの気のせいだよね。
「えーと、僕、少しエリスと話していいですか」
「もちろん、ゆっくり話しておいで」
クライブはエリスを連れて部屋の端っこに行った。ちょっとでも二人っきりの雰囲気を味わいたいのかな。
「ねえ、アレン。体の調子が悪いの?」
隣に座るアレンに声を掛ける。その横顔はいつもと変わらない様子だけど、数年前まで眠りっぱなしだったんだ。もしかしたら、今になってどこか悪いところが出てきたのかもしれない。
「平気だって。あれは、クライブの見間違いだよ。おかしかったら言うから心配しないで」
「絶対だよ」
「わかっている。ボクはティナとずっと一緒だからね。ティナも具合が悪くなったらちゃんと言うんだよ」
「もちろん」
その後、夜も更けてきたので私とエリスはアレンの部屋から出たんだけど、クライブはお風呂を済ませてからもアレンの部屋に戻り、夜遅くまで話をしていたんだって。なんだか妬けちゃうね。
翌朝、クライブとハンス船長を見送りに浜辺までやってきた。
「もう少しでお二人は結婚でしょう。僕は来ることはできませんが、代わりにエリスが見守ってくれるそうです」
「はい、私はティナ様をちゃんと嫁がせるまでが仕事だと思っております。お任せください」
エリスがどんと胸を叩く。
「うん、任せた。それで、クライブたちはいつ頃になるの?」
「たぶん再来年くらいかな。海軍が秋まででしょう。騎士団がそれから半年。最後に近衛兵を半年済ませないと一人前と認められないんだ」
うー、王族も大変だ。
「クライブの結婚式にはたぶん私たちも呼ばれるから、その時が来るのを楽しみにしておくよ。ねえ、アレン」
「うん、もしかしたら三人で行くかもしれないけど、よろしくね」
三人ってお父さんのことかな。たぶん行くことになると思うけど……
「アレン様、双子かもしれませんよ」
双子……!!!
「あはは、ティナったら顔が真っ赤。あ、そろそろ時間かな」
お土産のクルの元を小舟に積み込む作業も終わったみたい。ハンス船長が手を振っている。
「クライブ、気を付けてね」
「兄上もティナもお元気で、そして僕のエリスをよろしく」
クライブはウインクをして小舟に乗り込んでいった。
「クライブ、元気そうでよかったね」
「うん……さてと、クルの元を作らなきゃ。これからはお義母さんに任せっぱなしにはできないから工房を作ろうと思うんだ。ティナ、ルカちゃんたちにお願いしてもらえるかな」
「任せて!」
さあ、忙しくなるぞ。まだまだ寒い日は続きそうだけど、きっと春はすぐにやってくるね。
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