第116話 そういわずに、せめて、この人の分だけは……

「結構時間かかったね」


「うん、でも動き出してくれてよかったよ」


 あの後荷馬車は、みんなで押して何とかぬかるみを抜け出すことができた。私たちは彼女たちを見送った後、他の馬車がはまることがないようにぬかるみを埋め固めてから出発したのだ。


「アレン様、ティナ様、ほんとにそのままの格好でよろしいのですか?」


 私たちの服には、あの子の馬車を押したときに跳ねてきた泥とワラぼこりが付いたままだ。


「着替えなくても平気。だよね、ティナ?」


「うん、大丈夫。ルーカスさん、このまま向かってください」


 お屋敷に戻っていたら、改めて出かける時間はないだろう。せっかくお酒を買うことを楽しみにしているルーカスさんに申し訳ない。


「それにしてもあの子、賑やかだったね」


「ルカ? ほんと、あんな感じ久しぶりだった」


 中学に通っていたころはああいう感じの子は何人もいたけど、こっちに来てからは見たことが無い。そういえばこちらでは貴族の令嬢として生活してきたから、普通の女の子として話しかけられたのは初めてかも。


「長いこと話していたみたいだったけど、友達になれた?」


「さっぱりした感じの子だったから友達になれそうだけど、これから会う機会あるのかな?」


「ティナもあの子もメルギルにいるんだから、きっと会えるよ」








 馬車は山近くの木造の大きな建物の前で止まった。


「結構大きいね。それにかなり古そう」


 この建物、お屋敷よりは小さいけど、メルギルで見てきた他の建物よりはかなり大きい。それに古ぼけた木の質感がいいよね。造り酒屋って感じがするよ。


「……ねえ、ルーカス。ここのお酒って蒸留酒だったよね」


 蒸留酒ってなんだろう……


「はい、アレン様。そのように聞いています」


「保存場所は別にあるのかな?」


「ねえ、アレン。どういうこと?」


「確か蒸留酒って、作ってから時間がたつと熟成して味が変わるって聞いたことがあるんだ。たぶん熟成させるための場所があるはずなんだけど……。もしかして知らないのかな?」


 アレンによると、蒸留酒を熟成させるために何年間も寝かせる事もあるらしく、それを考えるとこの大きな建物でも狭いらしい。


「中に入ったらわかりますよ。お二人とも早く行きましょう」


 そうそう、ルーカスさんの言う通り、さっさと中に入って聞いてみたらいいんだ。


 私たち三人はお酒という大きな暖簾のれんのかかった場所へと向かう。

 そこには開け広げられた入り口があって、中に入るとお店の中は土間になっていた。


「テーブルがあるね。あ、お酒も並んでいる」


 店内はそこまで広くないけど、テーブルと椅子が置いてあって、棚にはお酒の瓶が並んでいる。たぶん、ここで飲むこともできるんだろう。


「お店の人は……」


「いないね」


 明かりが点いているからお休みではないと思うんだけど……


「あれ、お客様? あっ、すぐ行きます!」


 店の奥から元気のいい声が聞こえてきて、そちらを見て驚いた。出てきた顔に見覚えがあったのだ。


「あれ、ティナじゃん!」


「ルカ! ここのお店の人だったんだ」


「うん、そうだよ。もしかして、買いに来てくれたの?」


 近づいてきたルカは私の手を取って喜びを表現する。そして、


「お兄さんたちもさっきはありがとう。おかげで助かりました」


 ルカは改めて姿勢を正し、ルーカスとアレンに対して礼をした。


「いえ、気にしないで、ねえ、ルーカス」


「はい、当たり前のことをしただけです」


「でも、助かったよ。おかげで明日から発売開始の限定品も運ぶことができたからね」


 ルカが運んでいたのはお酒だったんだ。ということは、アレンが言うように違うところに保管しているのかな。それよりも……


「限定品か……どんな味なんだろう」


 おっと、思わず声に出てしまった。


「飲んでみたい? ティナもお酒好きなんだ。仕方がないなー。恩人の頼みだからね。今裏でかめから瓶への入れ替えをしているんだ。椅子に座って待ってて、すぐに持ってくる」


 言葉をはさむ間もなく、ルカは店の奥に消えていった。


「相変わらずせわしない……座って待ってようか」


 アレンと一緒にテーブルがある方に向かっていくが、ルーカスさんが表の方を見て動かない。


「ルーカス、どうしたの?」


「アレン様、お気を付けください。誰か来るようです」


 私とアレンもその場で身構えていると、間もなく、店の入り口から厳つい顔をしたおじさんが入ってきた。


「おい! 外の馬車はお前さんたちのか?」


 うっ、なんだか怒ってる?

 でもおかしいな、危ない人なら外で待機している近衛兵の隊員さんが黙ってるはずないんだけどな。 


「はい、私たちの馬車ですがどうかしましたか?」


 近衛兵の馬車なので、ルーカスさんが答える。


「何日か前、これと似た馬車が領主の屋敷に入ったと聞いている。お前さんたち領主の関係者か?」


「関係者だとしたら、何か問題があるのですか?」


 そう答えるアレンの言葉には、何だかとげがあるような気がする。


「ふん。なら、ここの酒は売るわけにはいかねえ。悪いが、帰ってくれ」


 お酒を売らないって、このおじさんはここの人なのかな。でも、それは困る。明後日にはルーカスさんは帰ってしまって、明日は誰もここに来る暇がない。今日買うことができなかったら、ルーカスさんは手ぶらで王都に帰らないといけなくなる。せっかく楽しみにしているのにそれは申し訳ない。


「そういわずに、せめて、この人の分だけは……」


「父ちゃん、なにやってんの! ここにいるティナは私の友達なんだからね。ご領主さまの関係者だって関係ない。それに、さっき私と母ちゃんを助けてくれたのはこの人たちなんだよ。それを追い返すの?」


 おじさんに頼み込もうとしていたら、店の奥から両手に瓶を持ったルカが現れた。


「えっ! そうなのか?」


「そうですよ。私とルカが途方に暮れているときに、服や手が汚れるのも気にせずに手伝ってくれました。今のご領主様は、前の領主から助けて頂いた王家が使わしてくれた方ですよ。悪い方のはずは無いじゃありませんか!」


 ルカの横には荷馬車に一緒に乗っていた女性も立っていて、その両手にはルカと同じように瓶が抱えられていた。


「だって、お前……」


「だっても、明後日もありません! 皆さんお騒がせしました。こちらに一年物、三年物、五年物を用意してますので、ぜひ飲み比べてください!」


 私たち三人はようやくテーブルに着くことができた。

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