第114話 へぇ、それは楽しみ。早く着かないかな

「ねえ、アレン。ほんとにやるの?」


 ドアのそばに立っているルーカスさんに聞こえないように小声で話す。


「明後日にはボクたちは王都に出発するでしょう。それにもう少ししたらルーカスと一緒に町に出かける。ボクが手伝ってあげられるのは、今くらいしかないんだ」


 確かに今のままだと一人で乗れるようになるイメージがわかない。馬に乗ってしまえば何とか操れそうなんだけど、誰かの手助けが無いとその馬にさえ乗れないのだ。


「わかった。でも余計なことはしないでね」


「もちろんだよ。……ふわぁー、ちょっと眠いかも」


 そう言って、アレンは急に目をこすり出した。


「ティナごめん。出発まで少し寝るからあとから迎えに来て」


 アレンはソファーに横になり、すぐに寝息をたて始める。


「アレンったら、もう寝ちゃった。えっと、それではルーカスさん、私は今のうちに用事を済ませてきますね」


「はい、いってらっしゃい。……あのー、アレン様でしたら、私が起こして差し上げてもいいですよ」


「いえ、私が来ます。アレンに頼まれたので……」


 私が近づかないとアレンは起き上がることができないからね。


 ルーカスさんにドアを開けてもらい、アレンの部屋の前の近衛兵のお兄さんに挨拶して、自分の部屋に向かった。







(誰もいないよね)


(……いないみたい)


 部屋でズボンに履き替えた私は、デュークと一緒に馬小屋に来ている。見渡しているけど周りに人影は見えない。


(それじゃ、入るよ)


(うん)


 デュークが私と一つになっていく。


(うまくいくかな)


(たぶん、コツを掴んだらティナもできるようになると思うんだ)


 馬房に入り、カペル家所有の葦毛あしげの馬を一頭表に出す。本当は黒鹿毛くろかげの子がいいんだけど、今日は持ち主のエディがいないから鼻を撫でてあげるだけにした。もちろん勝手に馬小屋に来ているわけじゃないよ。エディから時間がある時には馬に会いに来てくださいって言われているからね。普段から顔を出してスキンシップしているんだ。


「あれ、ティナ様じゃないですか。馬を表に出してどうされました?」


 葦毛の子を杭に繋ごうとしたら、後ろから声をかけられた。


「え、エディ、今日は森に行くんじゃなかったの?」


 エディは午後から屋敷の使用人と一緒に、山菜取りに行くと言っていたはずだ。


「これから向かいます。荷物運びにセトを連れて行こうかと思って」


 ちなみにセトというのは、さっき鼻を撫でてあげた黒鹿毛の子の名前。


「これから乗る練習をしようと思ったんだけど……」


「そうですか……。僕はまだ集合まで少し時間がありますから、見て差し上げます。もし一人でやって、馬が暴れたら危ないですし」


(デューク、どうしよう……)


(ああ言ってくれているんだし、断ったら変に思われちゃうよ)


「じ、じゃあ、お願いできるかな」


「それでは、この子を押さえておきますね」


 そういうとエディは杭に繋ぎかけた手綱たづなを自分で握り、私に馬に乗るように促す。


(とにかく、一度私がやってみるね)


 私はエディから手綱を受け取り、左足をあぶみにかける。


 まずは左手に力を入れて、右足で地面を蹴って、左足に力を入れて体を馬の方に持っていく!


「あ、惜しい!」(……)


 今までと一緒であと少しで乗ることができなかった。体は元の位置のままだ。


(ねえ、ティナ。ボク、原因がわかったかも。やり方は今のままでいいから、上の方を見てやってみて)


 デュークは私の体を操って、やり方を教えてくれるんじゃないみたい。


「もう一度やってみる!」


 デュークに言われた通り、視点を馬の上を見るようにして……あれ、乗れた?


「やったー!」(やったー♪)


 視点が高い。笑顔のエディが下に見える。


「できたみたい」


「これで、一安心ですね。それじゃ、僕はみんなのところに向かいます」


 エディはそう言ってセト号を馬房から出し、慌てて森に向かって行った。


(なんで、急にできるようになったんだろう)


(最初、ティナの視線は手綱と鐙の方を向いていたんだよね。きっとそれで体が上がらなかったんだと思う)


(そうなんだ、気が付かなかった。でも、視点を上げただけで乗れるようになるとは思わなかったよ。試しにもう一度やってみる)


 馬を降りて、視点に注意して、再度挑戦してみたら同じように乗ることができた。


(もう大丈夫みたいだね。このまま馬を走らせてみる?)


(いや、やめておくよ。そろそろアレンのところに戻らないといけない時間だし)


 私は葦毛の子を馬房に戻し、アレンの部屋まで急いだ。






「おや、ティナ様。その服で行かれますか?」


 今の私は、馬に乗るためにズボンを履いたままの格好なんだけど、これはどちらかというと下働きの子が着るような服装に近い。


「はい、この服でいきます。領民の方々に私たちの印象があまり良くないようなので……。アレンは?」


「アレン様はずっと、そのままソファーで眠っておられますよ。よほど朝からティナ様に付き合うのが堪えたんでしょうね」


(ふふ、だって)


(そんなに眠たくなかったよ!)


「それじゃ、アレンを起こしてきますね」


 すでに私から離れているデュークと一緒にアレンの元へと向かう。


(よく寝ているね。デューク、今日はありがとう。助かったよ)


(どういたしまして)


 デュークがアレンに重なった気配を感じてから声をかける。


「ほら、アレン、もう時間だよ」


「ん? もうそんな時間。ふわぁぁー、よく寝た。おはよう、ティナ」


 アレンったら、いい役者っぷりだ。







「ほぉ! それではティナ様は一人で乗る練習をされていたのですか?」


 街へと向かう馬車の中で、ルーカスさんに馬に乗れるようになったことを伝えた。


「最初は一人でするつもりだったけど、エディがちょうど来て見てくれました」


「うーん、乗れるようになったのはいいことですが、慣れないうちは馬が暴れたら大変なことになります。次は誰かに声をかけてくださいね」


「ごめんなさい。エディも同じことを考えていたようで、時間がないのに付き合ってくれてたみたいです」


 ルーカスさんにも、エディにも、デュークが一緒だったなんて言えないよ。


「次からはボクが付いているから危ないことはさせないよ。それで、ルーカス。今から行くのはどういうところなの?」


「王都で人気のお酒を作っている所なんですが、酒屋に頼んでもなかなか手に入らないんですよ」


「人気って、そんなに美味しいの?」


「それはもう!」


「てぃ、ティナも飲んだことあるんだ」


 思わず口をはさんでしまった。


「うん、ウェリス家にお父さんが来た時に、コンラートさんが用意してくれたんだ」


「もしかして、ティナがもうお酒を飲まないって言っていたことがあったけど、その時の?」


「う、うん」


「確か……ぐいぐい飲んで気が付いたら朝だったって言っていたよね。どんな味が気になる。試飲させてくれるかな」


 うぅ、恥ずかしい。あの時は初めてお酒を飲んだから加減がわからなかっただけで、今ならうまく飲めると思う……たぶん。


「先に買いに行った隊員の話によりますと、味見はできるようですよ」


「へぇ、それは楽しみ。早く着かないかな」


 馬車は、ゆっくりとした速度で丘を下っていく。

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