第97話 僕もお茶くらい入れられるよ

 コンコン!


「アレン来たよ」


 ドア越しに声をかける。

 すぐに足音がして、ドアが開かれた。


「ティナ、待ってたよ。……あれ、エリスちゃんは?」


「今、メイドさんにお茶を頼みに行ってる」


「そうなんだ、じゃあ、入って」


 私はゆっくりとだけど自分の足で歩いているアレンに導かれ、ベッドの反対側にあるソファーへと一緒に向かう。


「もう、杖はいらないの?」


「うん、部屋のいるときには使ってないかな」


 ソファーのところにアレンの杖が置いてあった。部屋の外に行くときにはまだ必要なんだろう。


「っと、忘れないうちに、これ」


 アレンの隣に座った私は、アルバンさんから預かった車いすの販売についての報告書を渡す。


「へえ、もうできたんだ」


 アレンは早速、受け取った報告書に目を通した。


「見やすくてわかりやすくまとまっている。エリスちゃんが調べた通り優秀な人みたいだね。どんな人だろう」


 アレンはまだアルバンさんに会えてないんだよね。


「今度連れて来るよ。アルバンさんも挨拶したいって言っているから」


「そう? わかった。爺やに言って談話室がいつ使えるか聞いておくよ」


 王家のプライベートな空間である王宮の奥には、限られた人しか入ることができない。私とエリスは、アレンのリハビリの様子を見るという建前があるから入ることができるけど、アレンの足が治ってしまったらここに来ることもできなくなってしまう。他の人と同じように談話室でしか会えないのなら、護衛の人もいるからこんな感じで話すこともできなくなってしまうんだよね。


「アレンの足が良くなっていくのは嬉しいけど、のんびりと話せなくなるのはつまらないかな」


「もしかしてティナは、これからボクと会うには談話室じゃないといけないって思っているの? ふふ、いいこと教えてあげる。ボクの足はティナが学校を卒業するまでは治らないことになっているんだ」


 アレンによると、なんでも侍医の先生とは打ち合わせ済みで、カペル家との養子縁組の発表まで足が不自由な事にしておくことにしたみたい。そうしておかないと、王家の仕事をしないといけなくなって、王都から離れないといけないかもしれないんだって。アレンは私からできるだけ離れたくないって言っているから、そういうのは我慢できなかったんだろう。


「なんだ、心配して損しちゃった。あ、それでここなんだけど――」


 もう一度アレンと一緒に報告書を見ていると、ドアの外で何かの気配がした。


 コンコン!


「お茶をお持ちしました」


 エリスの声だ。さては、メイドさんに頼まなかったな。しかし、エリスが気配を感じさせるとは珍しい……どうしたんだろう。


「はーい」


 まだ足元が覚束おぼつかないアレンに変わって、私がドアを念のために少しだけ開け、外の様子を見る。

 そこにはワゴンの取っ手を掴んだクライブから、ワゴンを取り戻そうとしているエリスの姿があった。


「クライブ様、それは私が!」


「いいからいいから。ティナ、入っていい?」


 事情がよくわからない私は、そのまま二人を招き入れる。


「えっと……クライブは近衛兵さんと訓練じゃなかったの?」


「さっき終わった」


 クライブはそのままワゴンを押しながら部屋の中に入ってくる。エリスはその横でどうやってワゴンを取り返そうかと頑張っているようだけど、なかなかうまくいかないようだ。


「エリス、これは?」


「部屋の外でドアが開くのを待っていたら、クライブ様が来られてワゴンを奪われました」


 なるほど、ノックをするためにワゴンから手を離した隙に、クライブがワゴンを取っちゃったんだ。


「クライブが来ているのは気付かなかったの?」


「わかっていましたが、忍び足で来られていたので知らないふりをしてました」


 エリスは私の耳元でこっそりと話してくれた。

 そして、エリスは再びワゴンを取り戻そうとクライブの方に近寄っていく。


「ねえ、クライブ。皇太孫殿下自らそういうことをすると周りの者が困るんだけど」


「エリスだって今は伯爵令嬢だよ。たいして変わらないよ」


 ふむ、そういえばそうか。


「ほら、エリスが自分でお茶の用意をしちゃうからこうなったんだよ」


「だって……お茶くらい自分で入れられます」


「僕もお茶くらい入れられるよ」


 クライブ……まあ、エリスが入れてくれたお茶の方がおいしいのはわかっているけど、今それを言うべきではないな。


「ね、エリス。人には役割があるんだから、それに従わないといけないよ。クライブだって、ワゴン押しているのがメイドさんだったらわざわざ取らないよ……ね?」


「う、うん」


「エリスちゃんもわかったよね。それじゃあ、せっかくだから今日はクライブにお茶を入れてもらおうか」


「あ、兄上……」


 クライブのお茶か……そういえば初めてかも。大丈夫かな?







 クライブがお茶の用意をしている間、エリスが口出ししたそうにしているのを目で止める。

 途中頭をひねりながら、一生懸命に人数分のお茶を用意したクライブが、私たちの前にカップを並べてくれた。


「ど、どうぞ」


 見た目はお茶だけど……

 アレンが手を伸ばした……言い出しっぺだから責任取ってくれるのかな。


「うっ! こんなことなら面白がらずにエリスちゃんに入れてもらえばよかった」


 アレンはカップに付けた口から舌を出し、渋い顔をしている。

 ……飲んでみないと始まらないので、私とエリスもカップに手を伸ばし同時に口をつける。


「あー……」


 アレンの感想もわかる。クライブが入れてくれたお茶は、飲めないことは無いんだけど、茶葉の蒸らし時間が足りなかったのか少し青臭い感じがするのだ。


「エリスが入れていたのを思い出して、同じようにやったつもりなんだけど……」


 あーあ、クライブったらしょげちゃった。お茶くらい入れられると言っていたけど、実際にやったことなかったのかな。


「く、クライブ様。今度教えて差し上げますので、落ち込まれないでください」


 エリスは俯いているクライブの手を握った。励まそうとしているのだろう。


「ところでティナ、道はどうなっているかわかる?」


 クライブとエリスが二人の世界に入っていきそうなので、アレンは私との業務連絡を優先したみたいだ。


「コンラートさんが内務省に尋ねてくれたんだけど、春になってすぐに作業を開始したみたいだよ」


「もう始めてくれているんだ。出来上がりは……しばらく先か」


 こちらの世界には機械が無いからね。人の手で作らないといけないから時間がかかるんだ。


「秋に兄上たちが行かれるときには、まだデコボコ道ですね」


 クライブはもう元気になったな……

 しかしデコボコ道か……

 うぅ、お尻が……

 クッションをたくさん積んでいったら大丈夫かな……




 それから約半年後。

 学校を卒業して間もなく、王家はカペル家とアレンとの養子縁組と、クライブとエリスとの婚約を発表した。

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