第33話 尾行

 つけられている。

 気のせいではない。


 十メートルほど後ろにいるメガネをかけた男。一時間前にも見た。

 もう二時間もこうして歩いているのに、常に後ろに誰かがいる。

 さっきまでは、コートを着た中年の男だった。その前は若い気だるそうな男、そして、その前にメガネの男だ。

 三人、交代でつけて来ているのか。


 異変に気づいたのは、来た道を引き返した時だった。


 僕はただ、家に居たくないという理由で目的も無く外を歩いていた。

 目的がないのだから、もちろん進むべき方向も定まっていない。

 なんとなく、来た道を戻ろうと思って踵を返した。

 後ろに一人、男がいた。


 不審な行動をしている自覚があった僕は、気まずさを隠しながら男とすれ違った。

 その時、ほんのわずかだが、違和感があった。

 間合いに入ったとでもいうのだろうか。

 迂闊に踏み込むことのできない、緊張した空気を感じたのだ。

 最初は、気のせいだろうと思った。


 それから、背後に気をはって、見通しの良い道を選んで歩いた。

 少ししてから別の男が現れた。

 それからずっと、どこに向かって進もうと、後ろに人がいる。


 試しに、誘い出してみることにした。

 このまま路なりに進むと、行き止まりになる。

 そこで全てがわかるはずだ。


 土手の裏側にあたる壁が見えた。その壁を左に曲がると行き止まりだ。

 角を曲がって待ち構える。

 しばらくして、メガネの男が姿を現した。道の脇に立っている僕を見て、男は明らかに動揺していた。

 男はそのままそ知らぬ顔で、僕の前を通り過ぎようとした。しかし、その先にはもう道はない。


 「何か用ですか?」


 立ち止まった男の背中に向けて、言葉を投げかけた。

 誘いこまれたことに気づいたのか、男は驚いた様子もなく無言のまま僕を見た。この場合、沈黙は一つの答えだ。


 「さっきから、人の後ろをつけていますよね」


 問いかけながら、歩み寄った。

 男の表情は依然として変わらない。ずっと無表情だ。


 あと一歩で、間合いに入る。

 後ろの足を前へ送った瞬間、男は姿勢を低くして走りだした。

 僕の脇を抜けようとする男の服を掴み、引きずり倒す。

 腕を固めて、膝で背中を抑えつけた。


 「なんのつもりだって聞いてる」


 もう一度、言った。

 それでも男は、答えようとしなかった。

 さらに体重をのせる。

 肺が圧迫されて、苦しいはずだ。

 男が短くうめき声をあげた。


 口を割らないのなら、方法を変えるしかない。

 固めていた腕を捻りあげて、徐々に力を込めていく。

 黙っていれば、心より先に腕が折れるだけだ。


 それでも男は、口を堅く閉じたまま、うんともすんとも言わなかった。

 本当に折ってしまう気はない。後味が悪くなるのは目に見えている。折る、という意志を信じさせるためには、限界まで力を加える必要があった。

 その境界は、関節の剛性によるとしか言いようがない。数グラムの力の違いによって簡単に崩壊してしまう。

 関節の軋みに神経を集中させた。

 限界まであと少し、という所で、後ろから腕を引っ張られた。


 脇に回った腕を振りほどいて、振り返る。

 尾行していた残りの二人だ。

 いつの間にか囲まれていた。

 集中していたせいで気づかなかった。


 相手は三人。しかも、簡単に倒せそうな相手ではない。

 逃げ出したかったが、背中は行き止まりだ。追いつめたつもりが、追いつめられてしまった。


 二人は、メガネの男を起こして、距離をとった。

 立ち上がった男は腕をぐるっと回して、眉をひそめた。


 一番やり手そうなのは、コートを着た男だ。年配だが、目に余裕がある。

 こいつから叩く。

 そう決めて、他の二人に警戒しながら、にじり寄った。

 途端に、若い男が動いた。

 動きに警戒して距離をとった瞬間、三人は走って逃げていった。


 逃げると思いもしなかったので、追いかけるのも忘れて唖然としていた。

 何か妙なことになっているので、一旦家に帰ることにした。


 ソファーに座って、さっきの出来事を思い返す。

 助かったのか。いや、見逃されたというべきか。とにかく、三人は去った。

 それにしても、おかしい。

 三対一なら、あちらが圧倒的に有利だなのだから、逃げる必要はない。


 尾行されたのは事実だから、僕の何かが彼らにとって問題あるのだろう。

 しかし、少なくとも、危害を加える目的で尾行していた訳ではないらしい。それなら、誰がなんのためにこんなことをしているのか。

 狙われていたのが僕じゃないとしたら、僕に近い人間。

 つまり、狙われているのは、千里だということになる。


 千里は、家に戻っていなかった。

 どこに行ってしまったのか分からない。

 昨日は帰ってこなかった。

 連絡を取ろうにも、携帯も持っていないから待つしかない。

 未来に戻ったのかもしれないが、転送機は置いたままだ。


 焦るばかりで、何をするべきなのかわからなくなった僕は、部屋をぐるぐる回った。

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