第32話 知る

 その日、僕は河川敷の橋の下で眠った。

 体中が痛んで寝た気がしない。

 擦り傷に吹きつける風が、何度となく眠気をさらっていった。

 朝日が昇ってから、僕は野良猫のように、橋の下から這い出した。


 結局行く宛もなく、マンションの前に来た僕は迷っていた。

 千里は多分、まだ家にいるだろう。

 自分の家に戻れないなんて情けない話だ。


 しばらくマンションの前をうろついていた。

 ロビーから出てきた住人が、通りすがりに不審者を見るような目で僕を見た。

 とりあえず、コンビニへ行こう。

 そう考えたとき、後ろから声をかけられた。

 八千がとぼけた顔で立っていた。


 「どうしたのその顔」

 「色々あって……酷いですか?」

 「酷いというか、誰かわからなかったよ」

 「……そこまで?」

 「うん。まあいいや。川俣君に会えて丁度よかった。これ千里に渡しといて」


 八千の手には、時空転送機が握られていた。


 「……いいですよ」


 受け取ろうかと迷ったが、これで家に帰る理由ができた。

 我ながらセコい考えだと恥ずかしくなったが、このままじゃ、一日中外をうろつくことになりそうだった。


 「初期化してあるから、パスワードは自分で設定してって言っておいて」

 「わかりました」

 「それじゃ、私行くね。やんちゃもほどほどにしなさいよ」

 「はい。それじゃあ」


 八千は歩き出すと、背を向けたまま、手をひらひらと振った。

 受け取った手前、家に帰るそぶりだけでもしておく必要がある。

 僕はマンションへ入ってエレベーターに乗り込んだ。

 ドアが閉まる。

 エレベーターが昇っている間、暇にまかせて時空転送機を眺めてみた。

 千里はたしか、両手で持って目をかざしていたはずだ。


 何気なく千里の動作を真似てみた。

 小さく電子音がして、光が放たれた。

 真っ白い箱に模様が浮かび上がる。女の子が好みそうな花柄に変わった。

 そして、welcomeと文字が表示され、ホログラムのような映像が流れだす。

 驚いた僕は、というよりも、これを誰かに見られてはまずいと思った僕は、箱を腹に抱えてエレベーターから飛び出した。

 走って非常階段へ向かい、踊り場に座り込んだ。

 ここならめったに人は来ない。


 箱を色々といじってみた。しかし、シャットダウンのし方がわからない。

 相変わらずホログラムは表示され続けている。

 見たところ、知らないOSだが、基本的な構造は今のものとそう変わらない。


 問題はインターフェイスだ。

 キーボードもないし、マウスもない。

 焦った僕は、腹立ちまぎれにホログラムを手で払った。

 手はホログラムをすり抜けたが、表示されているフォルダらしきものが動いた。

 どうやら、直接触って操作できるらしい。


 わかると同時に興味がわいた。

 手当たり次第弄る。階層を潜る。

 その先で旅行、学校、などと書かれたフォルダが出てきた。

 未来のものとはいえ、ただの女の子のパソコンだということを忘れていた。

 好奇心で踏み込んでよい領域ではない。


 罪悪感がわいた僕は、とくに何をするというのでもなく、画面をグリグリと弄った。

 そうしているうちに、どうもにも気になるものが目についた。


 『川俣』というフォルダ。僕の名前だ。

 迷った、が開いた。

 画像がいくつか入っていた。


 その中の一枚を適当に開いた。

 新聞記事のスキャン画像だ。

 僕は思わず目を見開いた。


 『今世紀最悪のテロリスト、主犯川俣をついに逮捕』


 見出しに、そう書いてある。

 心臓がドクンと音を立てた。

 他のデータを開く。

 そこには、僕の生い立ちや事件のあらましまで、様々なことが書かれていた。


 写真に写っている髭面の男は、今より年をとっているが明らかに自分だ。自分の顔を見間違えるはずがない。

 これが未来の情報だと言うなら、これが僕の未来なのか……。

 

 玄関まで、脇目もふらず走った。

 うまく鍵が回らない。何度も試した。

 そうしているうちに、中から鍵が開けられた。


 「川俣さん、よかった。どこ行ってたの。わたし、その、びっくりしちゃって。ごめんなさい」


 千里は僕を見るなりそう言った。

 僕は時空転送機を千里に押し付けて、玄関に上がりこんだ。


 「これ、どういうこと?」

 「これって、なに?……中を見たの?人のもの勝手に見るなんてダメだよ」


 平静を装っているが、明らかに動揺している。

 話をはぐらかそうとする千里に苛立ちを覚えた。


 「僕がテロリスト?千里はなにしに来たんだよ。なにが目的なんだ」

 「それは……その」


 千里が目をそらした。

 千里から目をそらしたのは、初めてだ。


 「でていけよ」

 「え?」

 「でていけ!」


 僕はもう一度、声を大きくして言った。

 千里は何も言わず、飛び出していった。

 静まり返った家の中に、僕の居場所はなかった。

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