第31話 真っすぐな人

 行く当ても無く、夜の街をさ迷っていた。

 広く、どこまでも続いてるかのように思える道。それでも、人がいて許される場所は、僅かばかりだ。

 道の先には終点がある。宛先のない人が道を歩くことは、許されていない。

 結局僕の行ける場所は、公園か河川敷しかなかった。


 人気の無い公園のベンチに座る。

 緑色の街灯が、あたりを照らした。

 僕は、風から身を守るように、縮こまった。ビルの明かりが遠くに見える。

 時々、楽しそうな女性の声が、響いてきた。

 目を瞑って音だけに耳を澄ますと、あたりに溶け込むような錯覚がおきた。


 風に混じって足音が近づいてくる。布ズレの音。吐息。

 すぐ近くまできている。

 目を開けた。

 トレーニングウェアを着た男がランニングをしていた。

 俯いて、そ知らぬふりをした。

 何かの間違いで、干渉されるのは避けたい。そんな心配を他所に、男は僕の前を通り過ぎていった。

 が、少しいったところで足音は止まった。

 そして、静かに戻ってきた。


 「おっす」


 声をかけられた。

 顔を上げると、そこには木下が立っていた。

 僕はほとんど無視するような形で目でうなずいた。


 「なにやってるんだ、こんなところで」

 「べつに」


 木下は、僕の隣に腰をかけた。

 この男には、距離感というものがないのだろうか。


 「さては彼女に振られたな」


 彼女じゃない、という言葉を飲み込んだ。

 気軽さが癪に障る。


 「ほっといてくれ」

 「いい機会だから戻ってこいよ。女よりスポーツのほうが楽しいぜ」


 僕はどうにも、うんざりした。

 おそらくなにを言ってもこの男には無駄なのだ。

 人の間合いにずけずけと入ってくる、そういうタイプだ。


 「しつこいな」

 「なんだ、怒ってるのか?俺はなにもしてないだろ」


 僕は返事の代わりに、立ち上がって、木下を見下ろした。

 空気が一瞬張り詰める。

 この男の気楽さを壊してやりたくなった。


 「よし、やろうぜ。うじうじ君を叩きなおしてやる」


 そう言って、木下も立ち上がった。


 距離をとって両手を前に構える。

 木下の構えは低い。重心を低く保ちどっしりと構える。

 拳の間から覗く目に、さっきまでの気楽さはない。まるで、獣を前にしているような気分だ。

 体が少し揺れた、と思った刹那、はじけるように左が飛んできた。

 わかっていても避けられない。固めた右手が弾き飛び、拳が頬を掠める。

 迎え撃つように、ローを放った。木下がわずかに脚を開く。太ももを反れて膝を打った。


 間髪入れず右が飛んでくる。ガードしたと思ったが、膝をついていた。

 木下が、脚を戻している姿が見えた。ストレートに続いた左のハイキックが、無防備な側頭部に直撃したのだ。

 地面が傾いて、上と下がひっくり返ったように感じる。

 追い討ちをかけるように膝が飛んできた。

 腕で受けて転がる。

 そのまま、かろうじて立ち上がった。

 膝が笑う。


 ガードを下げたまま、隙を見せて木下を誘ったが、一度立て直した相手に、無闇に飛び込んできたりはしない。

 つくづく嫌な男だ。


 焦りから前蹴りを放った。

 木下は腰を落として両腕で蹴りを受けた。守りに回って動きが鈍ったところに、体ごとぶつかっていった。

 バランスを崩した木下に、肘を叩き込む。そのまま首を絡めて膝を打つ。

 捕まれた。そのまま押し倒されてマウントをとられた。

 終わった。これで終わりだ。

 飛んでくる拳が、街灯の明かりを遮ったのを見たような気がした。


 「起きろよ。大丈夫か?」


 少しの間、意識が飛んでいた。

 木下に小突かれて、目を覚ました。

 興奮が冷めて冷静になると、殴られた所がひどく痛みだした。


 「大丈夫じゃない……痛い……」

 「負けたからな。これで少しは素直になったんじゃないか」

 「ほっといてくれ。僕はお前みたいなやつにはなれないんだよ」

 「お前の事情なんて知らないけどさ、悩みがあるなら人に話せよ。じゃあな」


 木下が視界から消えると、夜空だけが残った。

 星明かりが滲むのを見て、やっと自分が泣いていることに気がついた。

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