第26話 無色

 気がつけば、ゴミのような部屋でゴミのように埋もれて二日経っていた。

 変な時間に寝ては起きてを繰り返し、パソコンと向かい合っていると、時間感覚がおかしくなる。

 おまけにこの部屋には時計もなければ遮光カーテンに遮られて日差しすら入らない。

 僕はただ、根拠もなく今は朝なのだと決めつけていた。

 部屋をでたのは学校からの電話にでたときとトイレだけだ。楓先生から二週間の停学が言い渡された。僕はこれといった不満もなく、その罰を受け入れた。

 千里が途中で何度か様子を見にきて声をかけてきた。

 僕はそんな千里をほとんど無視するような形でやり過ごしていた。


 一日中寝るか座っているかしていると、体を動かしたくなる。

 しかし、部屋からでるという行為が、とてつもなく重く感じられた。

 今、この家にいるのは僕だけではない。

 迷った挙げ句、再びパソコンに向かうことにした。


 中央通りで玉突き事故、淫行で教師逮捕、通り魔事件犯死刑確定、首相に不正献金疑惑、中東紛争、量子コンピュータ開発着手、十三時二十四分新着二件。


 「川俣さんそろそろ部屋からでないと腐っちゃいますよ」


 十三時二十五分新着無し。


 「川俣さん」


 『あああああ』の検索結果、約 5.660.000件。


 ドアが開く音が聞こえた。

 キーボードを叩く。黒い背景のサイト。

 暗転したモニターに白い髪が映る。

 戻る、戻る、戻る。

 ブラウザがフリーズした。

 モニターから手が伸びて、ヘッドホンにかかった。

 聴覚が開ける。


 「起きてるなら無視しないでください。もう」


 千里の声だけが、現実だった。


 「ごめん」

 「暇なら買い物に行きませんか?新しい服欲しいんです。こっちに来てからずっと同じ服なんですよ」

 「一人で行けないかな。一応僕は今停学中なんだけど」

 「今更なに言ってるんですか。行こうよ川俣さん。お願い」

 「どうしても?」

 「どうしても」

 「……わかった。行くよ。その代わり、僕の用事にも付き合って」

 「いいけども、用事ってなに?」

 「体育館」


 嫌がると思ったが、千里は嬉しそうに了承した。

 家を出て電車に乗る。

 街へ行くのは憂鬱だった。

 平日の昼間なら、人が少ないかもしれない。少なくとも、電車の中には人がいなかった。


 時々、千里と僕が並んで座っている姿が窓に映る。千里が隣にいることが、どこか不思議だった。

 予想通り、街は週末に比べると、人が少なかった。それでも、心地の良い場所ではない。

 女性が服を買いたいと言えば、買いもしないのに店をうろつき一軒二軒と梯子した挙げ句、どこにでも売っているような、値段だけ立派なシャツを買う。そんなイメージがあった。

 ウィンドウショッピングなど始められたら尚更たまらない。僕は恐る恐る千里の様子をうかがっていた。

 千里はショッピングに来たというよりも所要を済ませに来たといった感じでスタスタ歩き、そのままウニークショップのビルへ入って行った。


 「ここでいいの?」

 「うん、どうして?」

 「いや、べつに……なんでもない」


 ガコンと音を立ててエレベーターのドアが開く。

 店内は静かだった。

 暇そうな店員がこちらを見て、いらっしゃいませと声を張り上げる。

 過剰なほどに照らされた店内を歩いていると、嫌な記憶が蘇ってきた。

 僕は、前を行く千里の背中を眺めながら、女性服コーナーに人がいないことを願った。幸いにも中年女性が一人、冬服を物色しているだけだった。

 ニコニコしながら洋服を眺めていた千里は、僕の方を振り向いて言った。


 「去年の冬凄く寒くてね、耳当てをしていたの。そしたら友達が、耳当てなんて子供っぽいって笑うんだよ。確かに子供っぽいっかもしれないけど、耳当ては暖かいんだから合理的だと思うの。川俣さん、どう思う?」


 馬鹿みたいな質問をする千里の顔は真面目だった。

 真面目どころか、思いだして腹を立てているようにすら見えた。


 「こ、子供っぽいって言えば子供っぽいっんじゃないかな。けど暖かいよね。僕も昔はしてたよ」

 「やっぱり子供っぽいっんだ……。じゃあ今年からマフラーにします。耳が凍傷になったら責任とってください」


 そう言って千里はグレーのマフラーを手にとった。


 「……いや、責任はとれないけど」


 と呟いた僕の言葉は無視された。

 マフラーを抱えてジャケットコーナーに歩いていく千里を見ていると、とんでもない疑問が湧いてしまった。

 そういえば、千里はこっちに来て以来ずっと同じ下着をはいてるのではないのか。

 こまめに洗濯をしている様子ではあったが、それは非常に重大かつセンセーショナルな問題だ。

 迂闊に触れれば僕の人格が疑われてしまう。

 しかし、もしも、事情があって下着を買えない状況下にいるのならば、誰かが手を差し伸べてやらねばならない。

 そしてその役目を引き受けるのは僕しかいないのではないか。


 人の気も知らず、千里はのん気にコートを自分に重ねている。

 どう、と言わんばかりに僕を見た。黒いショート丈のトレンチコート。千里にはよく似合いそうだ。

 しかし、今はそれどころではなかった。


 「ねえ、川俣さん。変じゃない?」

 「う、うん。似合ってるよ」

 「ほんとうに?」

 「ほんとうに」

 「なんか嘘っぽい言い方。違うのにしようかな」

 「いや、そういう訳じゃなくて」

 「なに?」

 「……その」

 「その?」


 小声で言った。


 「下着、買わなくていいの?」


 千里は顔を真っ赤にして、硬直した。


 「来てすぐにちゃんと買いました。変態なんですか」


 怒鳴るように千里は言った。

 心配はご無用だったらしい。善意が生んだのは変態というレッテルだけだった。


 「もう、あっち行っててください」

 「はい」


 千里に追い払われた僕は、男服コーナーでとくに欲しくもない服を見ているふりをした。

 こういった時間つぶしは性に合わない。座って待てる場所はないかと探してみたが、どこにも見あたらなかった。仕方が無く物色を続けながら、何気なしに、トレンチコートを着込んだ千里の姿を想像してみた。

 黒いコートにグレーのマフラー、黒いジーンズに白い髪。見事にモノトーンだった。

 色がない。

 最近、千里と一緒にいることが普通だと思うようになっていたが、初めて彼女と出会ったときの希薄な印象は今でも変わっていなかった。

 いや、変わりようがないのだ。

 相変わらず僕は、千里のことを何も知らない。この際、未来から来ただとか、そういうことはどうでもいい。

 千里が僕といる理由。なぜ、千里が僕と一緒にいるのか。なぜ僕を探していたのか。僕には知りようがなかった。

 今、女性服コーナーにいるはずの千里が本当に存在しているのだろうか。そんな不安が顔をだす。

 そいつを待っていたかのように、色々と嫌な想いが押し寄せてきた。僕はそれを振り払うように、物色に専念した。


 赤い手袋。雪の結晶を象った模様が縫いこまれている。この手のものでは珍しく作りが良い。

 値段も手ごろだった。僕は手袋を手にとって、レジへと向かった。

 すばやく会計をすませ、上着のポケットに押し込んだ。

 レジの近くでただずんでいると、千里が山ほどの服を抱えてやってきた。

 上下一式を一通り揃えたのではないかと思えるほどの量だった。

 僕は千里の会計が終わるのを待って、袋を半分受け取った。千里はありがとう、と言って横に並んで歩きだした。

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