第24話 大人と子供

 廊下に人が集まってきた。

 騒ぎを聞きつけた教師が、生徒を散らして僕を連行する。

 指導室に連れていかれ、座って待っていろと言われた。

 柔らかいソファに腰を下ろして部屋を眺めていると、楓先生が入ってきた。

 彼女は神妙な面持ちで向かいに座った。

 そして、僕の鼻血を見て、吹きなさいとティッシュをくれた。

 僕はそれを鼻の穴に突っ込んだ。


 「あなたが嫌がらせを受けていたこと、実は知ってたの。町田さんから相談を受けていてね。だから責任は先生と折半。けど多分停学は避けられないわね」


 つい直前までとはうって変わって、楓先生は軽くそう言い放った。

 本来なら退学になってもおかしくないかもしれない。その情状酌量すらも、僕にとって気に食わないものだった。


 「それは本来なら、増田が受けるべき罰ですよね」

 「それとこれとは別。あなたは彼を殴ったでしょ」

 「じゃあ増田にはなにか別の処分が与えられるのですか」

 「なにも、彼は被害者よ。せいぜい口頭で注意して終わりかしら。嫌がらせを止めたいと思うなら、あなたはどうして先生に相談しなかったの?」


 相談したらどうにかなるとでもいうのだろうか。

 せいぜい、自分は精一杯対処したけどどうにもならなかった、という免罪符が手に入るだけだ。


 「嫌がらせなんてどうでも良かったんですよ。ただ気にくわなかったんです。罪の意識が無い癖に、のうのうと生きていることが。誰も彼を悪だと言わない。だから、僕が代わりに教えてあげた」

 「……子供ね。川俣くんはもっと賢い生徒だと思っていたけど」


 鼻で笑うように楓先生は言った。


 「大人だからと言い訳して、無法から目をそらすような大人になんてなれませんよ。それに僕はまだ子供です」

 「あのね、大人は脳が劣化して心が鈍るんだから、惰性に生きるしかないの。悪気があるんじゃなくて、器質的な問題なのよ」

 「脳が劣化しているからって、何もしていない僕への嫌がらせを正当化できるんですか?」

 「子供だからと言い訳すれば暴力が正当化されるの?」

 「それとこれとは違います。増田は誰かに罰を与えられるべきだった。法が機能していないから、被害者だった僕がその役目を担っただけです。学校がしっかりとしていれば、僕はこんなことをしなくてすんだ」

 「学校のルールなんて不完全なものよ。あなたが法というなら、あなたのやったことは傷害罪。不完全な学校のルールに守られなければ、鑑別行きね」

 「それなら僕を警察に突きだせばいい」

 「若いくせに頭が固いのね。……もういいわ。今日はもう帰ってよく反省しなさい」


 話す気も失せた、といった様子で、楓先生は言った。

 その目はすでに窓の外を見ていた。


 「……失礼します」


 頭を下げて部屋をでた。


 ドアの向こうに部活顧問の須藤が立っていた。須藤とはろくに会話をしたことが無い。部活にも極たまに顔をだすだけだ。

 わざわざ小言を言いにやってくるとは思えなかった。


 「川俣」


 須藤は静かに僕の名前を口にした。

 言葉からは、なんの感情も読みとれない。

 この教師はいつもそういう話し方をする。初めて会った時からそうだ。

 僕は押し黙って次の言葉を待った。

 余計なことを話したくなかった。


 「俺はお前が部に入るというから、廃部する予定だったところを存続させてやったんだ。それをお前は潰すつもりなのか?」


 目を離さず、須藤は言った。


 「頼んだ覚えはありません。だいたい先生は、顧問として活動したことなんてないじゃないですか」

 「そうだな、俺は困らんよ。部が潰れようがお前が停学になろうが。ちょっとした善意が反古にされるだけさ。困るのはお前自身だ」

 「僕だって困らないな。元々体を動かすために始めただけだ。潰すなら潰してください」

 「ガキだな、まるで。大事な物を大事だと認めることができない。あげくの果てに壊そうとしちまう。それすらも自分の意志では決められなくて俺に委ねる。行っちまえ」

 「どう考えようと先生の勝手です。それでは」


 言って須藤に背中を向けた。

 須藤は最後まで目を離さなかった。


 増田なんかに構ったせいで次々と面倒が降りかかる。これだから人と関わるのは嫌なんだ。

 階段を一段降りる度に、泥沼にはまって行くような感じがした。

 僕は、ティッシュを抜いてゴミ箱に投げ捨てた。

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