第22話 人それぞれの世界

 遠ざかる千代の背中を眺めていた。


 千里がいなければいつものように、暗い気持ちで別れたかもしれない。

 再び歩み出すと、千里が一歩下がって僕の横に並んだ。


 「川俣さん、わがまま聞いてくれてありがとう。断られるんじゃないかと思いました」

 「べつにいいよ、夕飯くらい。そういえば千里さん、未来から来たってこと千代に話した?」

 「話しませんよ。なるべく秘密って言ったでしょ。それに、変な人だと思われたらどうするんですか」

 「……まあ、そうだね。言わないに越したことはないよ」


 「川俣さん」

 「なに?」

 「ずっと気になってたんだけど、その千里さんっていうの変です。やめてください」

 「えっ、じゃあ……千里ちゃん」

 「普通に千里でいいですよ。どうして敬称つけるの」

 「そんなこと言われても。自分だって川俣さんと言ってるじゃないか」

 「わたしはいいの。わたしからしたら川俣さんはおじいちゃんなんだから」


 よくわからない理屈だ。儒教の呪いは、未来でもきちんと生きているらしい。

 孔子が知れば、きっと喜ぶだろう。

 僕にタイムマシンがあれば、今すぐ教えに言ってやるところだ。


 「そういえばさ、その、千里って何歳なの?」

 「十七歳ですけど」

 「えっ、僕より年上じゃない。じゃあやっぱりさん付けでいいんじゃ……」

 「いいんです。この時代の人の方が大人っぽく見えますし」


 千里が年上だとは、思いもよらなかった。改めて見ても、自分よりも年下に見える。もしかすると、八千はもっと年上なのか。

 人間は徐々に幼稚化していると、何かの本で読んだ気がする。未来の人は、見た目が幼いのかもしれない。


 千里がまたパーカーの紐で手遊びを始めた。

 家に帰る前に、コンビニへ寄って豆乳を買った。千里はコーヒーゼリーを買っていた。

 台所の下の棚、右から二番目を開いて、大きめの鍋を取りだす。

 ずっと使っていなかったせいか、埃っぽい。そのまま洗って乾かした。

 千代はまだ来ない。

 コンセント型のIHヒーターを食卓に置いて鍋に備えた。千里は手伝いもせず、テレビでアニメを見ていた。

 蛙が偉そうに喋っている。


 「えっと、その、千里。食器取ってもらってもいいかな」

 「うん、大きいの?」

 「大きいの三つと小さいの二つにおわん一つ」

 「今持ってくからちょっと待ってて」


 千里はテレビの前から動かなかった。他の蛙がでてきてなにやら盛り上がってる。


 「観てるならいいよ。僕が取るから」

 「それはダメです。もう少しだけ待ってください」


 アニメが終わるまで千里は動きそうにない。

 隣に腰を下ろして一緒に観た。途中から観ても話がよく理解できなかった。


 ちょうどエンディングが流れる頃、インターホンが鳴った。受話器越しに千代の声が聞こえた。

 鍵開けてあげて、と言うと千里は了解であります、と言って玄関へ走っていった。

 扉が開く音がして、家の中が騒々しくなる。千代を連れて戻って来た千里は、どっさりと荷物を抱えていた。


 「おじゃまします。川俣君の家来るの久しぶり。中学生のとき以来かな。案外綺麗にしてるんだね」


 千代は居間を見回した。


 「いらっしゃい。この前片づけたばかりだから。そのうちまた汚くなるよ。それにしても凄い量だね」

 「川俣君、いっぱい食べるかと思って」

 「あ、ありがとう」


 千代は荷物を置いて腕をもんだ。白い腕が少し赤くなった。


 「そういえば、携帯かけたんだけど通じなかったよ」

 「ああ、壊れてるんだよ。どうせ使わないから忘れてた」

 「ちょっと、悲しいこと言わないでよ」

 「川俣さん友達いないの?」


 千代の言葉を聞いて、千里が俊敏に反応してみせた。


 「僕だって友達くらいいるよ」

 「信じちゃダメだよ、千里ちゃん。川俣君は寂しい人なんだから」

 「そんな嘘つかなくても。千里のこと友達だと思ってもいいですよ」

 「嘘じゃないです。今日だって八尾さんと話しました」

 「あれ、川俣君、佳菜子と知り合いなんだ。佳菜子の様子どうだった?」


 千代の交友関係についてはよく知らない。

 八尾の友達だということに少し驚いた。八尾が誰かと話しているところをほとんど見たことが無いからだ。


 「どうって、いつも通りだったけど。そういえばちょっと暗かったかな」

 「実は増田君と色々あったみたいなの。私もあまり詳しくは知らないんだけどね」

 「ふーん。八尾さんはそういうのと無縁な人だと思ってたけど。色々あるもんだね」

 「他人ごとみたいに言わないでよ。友達なんでしょ」

 「それより食べよう。お腹すいた。千里、お皿運ぶの手伝って」

 「はーい」


 三人で鍋をつつくと、中学生の頃に戻ったような気がした。千里が間に入ってくれるので、千代との会話も苦痛にならない。


 高校に入って初めて、千代がどんな学校生活を過ごしているのか知った。

 僕と話ている時、千代はあまり自分の話をしない。

 千代から見た学校生活は、楽しく充実して、魅力的なものだった。彼女の話を聞く限りでは、学校は面白いところのように聞こえる。

 自分はなぜそう思えないのだろうかと考えてみたが、理由はわからなかった。


 皆箸をおいて、鍋を終えた。千代も千里も、満足そうにしている。

 二人の様子を見て、僕も満足した。


 千代が帰ると言うので、千里と一緒に見送った。千代は玄関で千里との別れを名残惜しんでいた。


 「それじゃあ、川俣くん。千代ちゃん。今日はありがとう。また一緒にご飯食べようね」

 「うん、約束だよ」

 「そうだね。たまには」

 「また、そういうこと言う。それじゃあ、おやすみ」


 千代は、いつもより笑顔で帰っていった。

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