第21話 人と人の繋がり
午後の授業を受けるのは憂鬱だった。
学校には理解し難いルールがある。
出席しなければ欠席できるのに、一度出席したら、具合でも悪くないかぎり欠席することができない。
理不尽だ。
渋々教室へ行くと、僕の机と椅子が倒れていた。
これまた理不尽だ。
休み時間の間に、偶然誰かが倒したのか、些細ないたずらなのか。
この場に限っては、後者だろう。
しかし、昼休み教室にいなかった僕には、誰がやったのかわかるはずもないから、怒りをぶつける相手が見当たらない。
そもそも偶然の可能性だって捨てきれないのだから、怒ること事態が間違いなのかもしれない。
椅子を起こして席につくと、どこからともなく笑い声が漏れた。
きっと、僕に敵意を抱いているのは、僕を取り巻く社会そのものなのだ。この淀みきった泥沼は、同化しない僕を憎んでいる。
僕は、学校という社会に馴染まない異物なのだ。異物なのに、こうして毎日やってくる。
それが、彼らにとって、どうにも気にくわないのだろう。
異物があれば、自分が泥だということを意識してしまう。全てが泥であれば、自分が泥であることも、気になりはしない。
ジャージにサンダル姿の教師がやってきて、手前の生徒の服装がだらしないと注意した。
クラスに笑いがおこった。
重症だ。まったく救いようがない。
ようやく学校が終わった。
拘束を解かれた僕は、足早に教室を飛び出した。
玄関へ向かう途中で千代に呼び止められ、一緒に帰ろうと誘われた。とにかく早くこの病的な空間から抜けだしたかった僕は、千代の要請を即座に了承して学校をでた。
校舎から抜けだすと、少し気持ちが軽くなった。
「髪、さっぱりしたね」
自分の毛先をつまみながら千代が言った。
「うん」
「さっきのあれ、やったの増田君だよ」
「そう。やりそうだね、あいつなら。せこい男だ」
「どうしていつも黙ってるの?」
「誰がやったのかわからないのに、闇雲に怒っても仕方がないだろ。犯人が分かれば、そいつを軽蔑するだけでいい。分からなければ、みんなを恨むことになる。千代が教えてくれたおかげでみんなを恨まないですむよ」
「けど……」
千代は何かを言いかけてそのまま黙った。
千代の心配をよそに、僕はとても困っていた。
校門の前に、見慣れた白い頭が見える。千里だ。
今彼女に会うのはよろしくなかった。
千里は僕に気がついて、大きく手をふった。
僕は、横目で千代の様子を窺った。千代は不思議そうな様子で千里を見ている。
「川俣さーん。迎えにきたよ」
千里は笑顔でそう言った。
「千里さん、何でここにいるの?」
僕は小声で呟くように訪ねた。
「鍵持ってなかったから、散歩ついでに来ちゃいました」
「そ、そっか」
焦る僕をみて、千里はキョトンとしている。
千代といるときだけは会いたくなかった。説明するのが面倒だ。
「だれ?その子」
「えっと、色々事情があってしばらくの間預かることになったんだ」
「ふーん」
「櫻井千里です。はじめまして」
「川俣君の同級生の町田千代です。よろしくね千里ちゃん」
「はい、よろしくお願いします」
千代は、この怪しい状況をなにも聞かずにすんなりと受けいれてくれた。
しかし、正しく受け入れられたのかは分からない。
なんせ僕には信用がない。
「川俣さん、また嘘ついたでしょ。昨日言ったこと覚えてますか?こういうことなら私、家の前で待ってました」
「いや、千代はそういうんじゃ。今日はたまたまだよ」
「川俣君は嘘つきだから信じちゃダメだよ千里ちゃん」
「はい。もう信じません」
千里と千代は、僕をダシにしてすぐに打ち解けたようだ。
女二人できゃっきゃ言いながら先に歩いている。
華やかな光景を前にして、二人共僕に用事があったハズではなかったのかと言いたくなった。
「じゃあ千里ちゃんは川俣君の家に居候してるんだ」
「うん。昨日から正式に厄介になってるの」
「川俣君、だらしないから大変でしょ」
「そうでもないよ。ご飯作ってくれるし。けど、朝は私が起こさないと絶対起きない」
「川俣君ほっとくとすぐ学校休むから、千代ちゃんが来てくれ良かったかもね。けど意外だな。料理なんてするんだ。コンビニのお弁当ばかり食べてると思ってた」
「そうだ、千代さん。今日川俣さんの家で一緒に夕飯食べようよ。いいでしょ川俣さん」
散歩させられている犬を見ていたところに投げかけられた言葉を、僕は即座に咀嚼して答えた。
「えっ、あ、うん。いいよ」
「うーん、川俣君の家か。本当にいいの?迷惑じゃない?」
千代の目は、僕と千里の顔色を伺うように二人の間をうろうろとした。
千里の楽しそうな顔を見ると、断る訳にもいかなかった。
「……どうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しようかな」
「やったあ。千代さん好きな料理はなに?なんでも作るよ、川俣さんが」
「あの、千里さん。僕にもレパートリーというものがあるのですけど……」
「そうだなあ、川俣君の手を煩わせるのもなんだし鍋にしようよ。私も家から食材持って行くから」
「寒くなってきたし鍋ならちょうどいいね。鍋の季節だよ。んん、楽しみ」
「鍋か……うん、いいなあ」
これで夕飯の献立を考えずにすむ。
それに、鍋は一人だと手をだしにくい。
何年ぶりか舞い込んできた鍋のチャンスを逃す手はない。
「それじゃ私、一旦家に帰るね。千里ちゃんもまたあとでね」
千代は曲がり角を小走りで駆けていった。
楽しそうな千代をみるのは久しぶりだった。
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