第16話 家族

 「ただいま」


 二人で言った。

 いつも通り返事はなかった。

 迷子が一人増えただけだ。

 薄暗い廊下を手探りで歩み電気をつけた。二度瞬いて、蛍光灯が光を放つ。

 千里は下駄箱にしがみついていた。


 「なにしてるの?」

 「最近、夜目がきかないんです」


 そう言って千里はいそいそと靴を脱いだ。

 玄関から離れたところに電気のスイッチがある。これは構造的な欠陥だ。

 出入り以外で玄関に明かりが必要になるなんてことはほとんどない。設計者に文句をつけたい気分になった。

 居間に入ってソファに腰をおろした。目を瞑るとそのまま眠ってしまいそうだった。

 僅かな振動を感じて目を開けると、横に千里が座っていた。

 千里は白い箱を手にとって、逆さにしたり叩いたりしている。

 何か話しをしたかった。

 それじゃなくても、話さなければならないことがいっぱいある。


 「晩御飯何にしようか」

 「おいしいものがいいです」

 「おいしいもの……何がいいかな」


 おいしいもの。難しい要求だ。おいしいもの。




 ソファで寝ると嫌な夢を見る。

 そしてたまにこんなふうに、夢の中で夢だと気づくことがある。

 しかし、意識はあっても夢物語には抗えない。

 理不尽な夢に翻弄させられる僕を、僕は遠巻きに眺めていた。

 昔の友人達が、一人また一人と家に帰る。自分だけ一人残されて強い孤独感を抱いたとき、目が覚めた。


 「あっ、川俣さん起きた。ご飯できてるよ。一緒に食べよう」

 「……ご飯。ああ、千里さんが作ったの?今行くよ」


 カレーの匂いがする。体には毛布がかけられていた。

 頭がぼやけてはっきりとしない。

 食卓につくと、顔をもみしだいた。

 どうも、千里が二人いるように見える。

 白い千里と、黒い千里。


 「え、どちらさまですか?」

 「わたしのお姉ちゃん」

 「姉の八千です。この度は千里がお世話になったようで」

 「あ、はい。はじめまして。川俣です。こちらこそお世話になっています」


 今僕の頭は考え事をするのに適した状態じゃない。とりあえず時間を稼ぐんだ。

 スプーンをとってカレーに手を伸ばした。


 「いただきます」


 言って僕は、無言でカレーをかきこんだ。


 「もっとゆっくり食べてください」

 「ご、ごめん」

 「おいしいですか」

 「うん、おいしいです」

 「よかった」

 「千里はカレーしか作れないけどね」

 「もう、やめてよお姉ちゃん」


 和やかに談笑している。

 どういうことなんだ、明日になったらお母さんが現れて、明後日はお父さんが現れるのか。

 冗談じゃない。

 自分の家でこんなに肩身が狭いと思ったのは初めてだ。

 寝ている間にいったい何が起きたのか。


 「あの、お姉さんはなにをしにこちらへ……?」

 「これは失敬、私はTwalk社で時空旅行のガイドをしています。母から妹が家に戻らないし連絡もつかないと聞いたのでフライトついでに様子を見にきました。おおかたここにいると検討はついてたので」


 姉まで未来人か。

 歳は二十代中頃だろうか、顔立ちが千里によく似ている。

 けど、千里よりも聡明そうだ。

 いや、それより自分が危ない状況に片足を突っ込んでいることを忘れていた。

 つまり、家に戻らない娘を心配した母親が、長女を派遣したらどこの馬の骨とも分からない男の家にいるところを発見したということだろう。

 ことの次第では大変なことになる。


 「わざとじゃなくてパソコンが壊れちゃたの。連絡しようと思ったんだよ」

 「壊れてない。あんたが下手な操作するから生体認証できなくなったの。まったく髪の毛こんなんにしちゃってどうするのさ。移動先ではセキュリティーのためにセンサーの感度が上がるって言ったでしょ。お姉ちゃん知らないからね」

 「そんなあ。たすけてお姉ちゃん。困るよ」


 おろおろしながら千里は訴える。


 「もう、仕方がないなあ。貸しなさい。一度向こうに送って再設定するから。お馬鹿」


 目の前でよく分からない会話が繰り広げられている。

 僕は、完全に蚊帳の外だった。食べ終わった皿を持って立ち上がった。


 「下げていいですか?」

 「うん、ありがとう。それで千里、観光はしてきたの?この時代なら駅の横にあるうどん屋さんがお勧めだよ」

 「それがまだなにもしてないの。ドタバタしちゃって。一度街には行ったんだけどね」

 「なんだ勿体ない。どうせ来たんだから帰る前にまわってきなさいよ。お金必要ならお姉ちゃんが申請してあげるから」

 「ほんとうに!?ありがとうお姉ちゃん。それなら他にもお勧めのお店教えてよ」


 背中に楽しそうな声が響く。

 カレーはほっておくと落ちにくくなるから、早めに洗わないといけない。

 スポンジを握り締めて丁寧に汚れを落とした。


 「というわけで川俣君、暫らくこの子を預かってもらってもいいかな。生活費はこちらで工面するから」

 「ええ、僕ははかまわないですけど。知ってるんですか、その、千里さんの両親は、彼女がここにいるって」

 「多分わかってるんじゃないかな。気づいてなかったらもっと大騒ぎしてるよ。まあそこら辺は心配しなくても大丈夫。それに君は安全そうだし」


 僕の質問の本意を見透かしたように八千は言った。


 「うん、川俣さんはいい人だよ」


 なんだか馬鹿にされているような気がした。


 「よし、今夜は私もここに泊まろうっと。そうと決まったらビールだ。買いに行くよ川俣君」

 「え、八千さんも泊まるんですか。というか僕はお酒飲めないですよ」

 「私が飲むの。ほら行こう」


 僕は半ば強制的に引っ張り出された。

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