第15話 タイムマシン

 中洲を見回すと、焼け焦げた草の欠けらが僅かに残っていた。あの日以来一度も浸水していないらしい。

 中洲の真ん中に目をやると、石の影に白い箱が見えた。


 「千里さん、あれじゃないの?」


 千里は一度振り向いてから僕の指差す方向に向きなおした。

 そうして「あった!」と声を張り上げた。


 それはどう見てもただの箱で、とても時空転送機なんてハイテクな代物には見えない。

 それでも実物を目の前にすると、ただの白い箱が急に禍々しい物に見えてきた。


 とるに足りなくとも確かにあった僕の日常や常識を、この箱一つで否定されてしまうような気がした。

 今までこいつと千里の存在を絡めて考えていた僕は馬鹿だった。

 この箱の前では、千里の問題なんて些細なことだ。


 「本当にこれなの?」

 「これですよ。川俣さん約束忘れてませんよね」

 「ま、まだ本物だと決まったわけじゃないし。とにかく向こうに戻ろう」


 荷物を置いていた場所に戻り、ウェーダーを脱いでタオルを羽織った。

 千里が水筒からお茶を汲んで渡してきた。

 体が温まる。千里の機転に感謝した。

 冷めない魔法瓶とタイムトラベルする科学の箱。今は魔法のほうがありがたい。


 箱を手に取り眺めて見たが、どう見てもただの箱にしか見えなかった。


 「これ、どうやって使うの?」

 「生体認証がかかってるから、わたし以外の人には動かせないんですよ。こうするの」


 そう言って指先をぴたりと当てて箱を持ち上げ、中を覗き込むように目をかざした。


 「あれ、あれれ、起動しない。壊れちゃったのかな。防水のはずなのに、どうしよう」


 今度は本当に困っているようだった。

 僕はそれが動かなかったことで、とりあえず安心した。


 「未来の道具にしてはちゃちだね」

 「これパソコンも兼ねてるの。わたしのデータ達が死んじゃいます」

 「まあ、目的の物も見つかったことだし帰ろうか。今後のことはその後で考えよう」

 「……はい」


 千里は箱を見つめながら半べそかいていた。

 帰る途中でスーパーに寄って食材を買い込んだ。

 落ち込んだままの千里を見かねて鯛焼きを買い与えると、少し元気をとり戻したようにみえた。

 千里は袋から鯛焼きをとりだして、お腹にかじりついた。


 「なにその食べ方。未来ではスタンダードなの?」

 「川俣さんだって魚を食べるときお腹から食べるでしょ。だからこれが正しいんですよ」


 納得しそうでしなかった。

 腹の欠けた鯛焼きを見てもやもやしているところに、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、どこかで知った顔の男が立っていた。

 しかし、どこで知り会ったのか思い出せない。

 全力で記憶を振り絞ると、そのまま思考が停止した。


 「川俣……君だよね」

 「あ、はい。そうですが」


 この人は僕の名前を知っている。

 なのに僕が聞き返すのは全く失礼だ。

 嫌な汗がでてきた。


 「旭高校の浩平だよ。覚えているかな」


 名前を聞いてすぐに思いだした。

 地区選の決勝で試合した男だ。


 「ああ、はい。地区選であたった」

 「そうそう。川俣君、最近試合で見ないけど、部活やめたの?」

 「その、やめたという訳じゃないんだけど、なんとなく試合にでる気になれなくて」


 浩平は僕の脇に立つ千里をちらりと見た。


 「そういえば、この前、公園でジョギングをしていたら四人組のチンピラに一人で絡んでる男を見かけたんだよ。面白そうだから見物していたらあっという間になぎ倒して逃げて行ったんだ。まるで通り魔だな。たいした腕前なのにどこで道を間違えたんだか」


 千里を連れている僕に配慮したのか、脅されているのか分からなかった。

 とにかくあれを見られていた。

 そしてこの男は思ったより嫌らしい性格をしている。


 「へえ、怖いですね。それで四人は無事だったんですか」

 「声をかけたら立ち上がってどこかに消えたから大丈夫だろうね」

 「……ははは」


 新しい不安が増えたかわりに、古い不安が一つ消えた。


 「いや、川俣君が試合にでてないとつまらなくてな。ここいらじゃ真面目な相手はいても真剣な相手がいないだろ。格闘技の醍醐味は勝ち負けじゃなくてスリルだと思わないか。俺は君とやった時が一番楽しかったよ」

 「はあ」

 「まあ、たまには試合に顔をだしてくれよ。君まで通り魔になられちゃ困るからね。なんだったらうちに練習に来てくれてもいいし。それじゃあ、邪魔したね」

 「はい。それじゃあ」


 よくわからない男だが悪気はなさそうだ。

 試合に出て欲しいということなのだろうか。しかし、僕は試合にスリルなど求めたことはない。

 日頃抑圧されている精神と肉体が、試合では存分に酷使することができる。

 それだけだ。

 言わばストレス解消でしかない。

 やはり、そんな調子で試合に臨むのは気が引ける。


 「川俣さん格闘技やってるの?」

 「やってるってほどじゃないよ」

 「ふーん、似合わないね」

 「そうだね。僕もそう思う」


 僕の青くなった頬に千里の目線がいった。

 千里は少しだけ悲しそうな顔をして目をそらした。


 「どうしたの」

 「なんでもありません」


 そう言って千里はてくてく歩いていった。いつもより歩調が早い気がした。

 僕はポケットを探って鍵を取りだした。少し抵抗を受けながら鍵が刺さる。ゆっくり回すとカチンと鳴って錠が開いた。

 抜くとき、中のどこかに引っかかる感じがする。

 一度修理屋に見せたほうがいいのかもしれない。

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