第11話 後悔

 僕はアイスコーヒーを、千里はよくわからない甘そうな物を頼んでいた。


 喫茶店でコーヒー以外の物を頼む人もいるんだな、と感心した。

 中は思ったよりも混雑していた。

 ようやく二階の端っこに席を見つけ、並んで座わる。窓際のカウンター席なので目を合わせずにすむ。


 買い物を終えてしまうと、とくに話すこともなくなった。

 飲み物に集中していれば、無言でいるのも気にならない。

 千里はパーカーの紐を指でくるくるしていた。

 手遊びの多い子だ。


 「コーヒーっておいしいの?」

 「苦いよ。それはおいしいの?」

 「キャラメル・カプチーノだよ。甘くて美味しいです」

 「それにもコーヒー入ってるよ」

 「知ってるよ、そのくらい。馬鹿にして」


 なにやら機嫌が良さそうだ。

 訳もなく笑った顔が可愛かった。


 「ちょっとお手洗い行ってきます」


 そう言って、千里が席を立った。


 「どうぞ、ごゆっくり」


 にこやかに千里の後ろ姿を見送った。

 和んでる場合じゃない。

 今こそチャンスだ。


 僕はコーヒーの残りを一気に飲み干すと、急いで食器を棚に下げて店を出た。

 背中から覆い被さってくる罪悪感を振りほどくかの如く、必死に走った。

 一度たりとも後ろを振り向いたりなどしなかった。

 そして、そのまま電車に飛び乗り家へと帰った。



 「ただいま」


 いつも通り返事はない。

 薄暗い廊下を手探りで歩み、電気をつける。

 冷蔵庫からコーヒーを取りだして部屋へ駆け込んだ。

 途中でソファの上に畳んで置いてあるスウェットが目に入り気持ちを暗くさせた。


 僕を待ってスタンバイしている忠実なコンピュータを呼び起こし巡回先を回る。

 一通り目を通すと、すぐにやることがなくなった。

 また禁断症状に見まわれた僕は、雑談フォーラムを開いて情報の海に埋没していった。


 休日は人が多かった。

 情報は人の目に留まって、始めて情報になる。

 僕は次々に現れる文字を情報たらしめるために、右から左へ読み流していく。

 まるで情報の奴隷だ。


 二時間ほどそうしていたところで、インターホンがなった。

 動悸がした。

 ただでさえ嫌いなこのピンポーンという音が、いつもより恐ろしく耳に響く。

 布団をはおりヘッドホンをして音楽を流し、モニターだけに意識を集中させた。

 こと居留守に関しては積年の経験からプロだと自称できる。

 息を潜めて画面に向かっている間に、だんだんうとうととしてきて、ついには眠ってしまっていた。


 目を覚ますと十九時を回っていた。

 晩御飯を用意しようと冷蔵庫を開けたが、食材がなにも残っていなかった。

 二日続けて夕食を抜くのは、燃費の悪い僕にはつらい。

 親愛なる筋肉達の悲鳴が聞こえてくる気がする。

 コンビニへ行こうかと考えた矢先に、籠城中だったということを思いだした。


 忍び足で玄関へ向かうと、音を鳴らさないようにドアに張りついて聞き耳をたてた。

 全神経を内耳に集中させる。

 人がいる気配はない。

 のぞき穴に光が通っていることを確かめてから、左サイドにポジショニングし、そのまま体をスライドさせて外を覗いた。


 目視できる範囲には誰もいない。

 ドアを開けて慎重に外にでる。

 やはり誰もいなかった。

 少し拍子抜けだ。


 鍵を閉めてそのままコンビニへと向かった。

 弁当に朝食用のパンと暖かい缶コーヒー。素っ気ない店員の受け答え。

 昼間とうって変わって、夜は自分の時間だという感じがする。

 徘徊する不審者も、酔いつぶれたサラリーマンも、痴話喧嘩するカップルも、全てが好ましく見える。


 上機嫌のまま、散歩がてら公園へ寄り道した。

 はく息が白い。明日は寒くなる。

 缶コーヒーで手を暖めながら歩く。

 手頃なベンチを見つけて、腰を落ちつけた。


 プルタブを上げると、カシュッと音を立ててふたが開いた。

 少し温くなったコーヒーをチビチビ飲む。

 こうしていると、少しだけ寂しさが紛れた。


 こんな自分にも居場所があるのだと思うことができる。

 それでも、何か物足りない感じがした。

 物足りないのはいつものことだった。

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