第9話 元の場所に戻してきなさい

 料理を皿に盛りつけて、戻ってくるのを待った。

 彼女に調子を狂わされて忘れていたけど、まだ肝心なことを何も話していない。

 名前すら聞いていないのだ。

 着替えて戻って来た彼女は開口一番にこう言った。


 「ご飯できた?」


 僕はお前の家政婦じゃない。

 という言葉を心の奥の奥にしまいこんで、話を切りだすタイミングをはかった。

 彼女は平安時代の女官みたいに、裾を引きずっていた。


 「服のサイズ合ってないね」

 「うん。けど、ゆったりしていい感じです」

 「ならいいけど。まあ座って」

 「はい」


 服の上から椅子を掴もうとして手を滑らせた彼女は、袖を捲って椅子を引き直した。


 食卓を挟んで向かい合う形になった。

 目を見て話すのはどうも落ち着かないが、幸いなことに彼女の意識は目玉焼きに釘付けになっている。


 「いただきます」

 「待って。食べる前にちょっと話そう」


 僕がそう言うと、彼女は空中で箸を止めて渋い表情で睨んできた。

 ここで負ける訳にはいかない。

 僕は、言葉を続けた。


 「えっと……君は昨日あそこで何をしていたの?」

 「あ、わたし櫻井千里と言います。千に里と書いてちさとです」

 「櫻井さんね」

 「千里でいいですよ」

 「ああ、はい。じゃあ千里さんは昨日あそこで何をしていたの?」

 「川ですか?」

 「川です」

 「ううん……わかりません」


 全く要領を得ない。

 曖昧な返答をしながら、ちらちらと目玉焼きとアイコンタクトを取っている。

 とりあえず名前がわかったことで満足することにした。


 「……食べようか」

 「良かった、冷めたらどうしようかと思いました。いただきます」

 「いただきます」


 箸を手にとり、食べ始める。

 ベーコンはやはり固くなっていた。

 僕はとくに話すこともなく黙々と箸を運び、すぐにごちそうさまを言った。

 千里はまだ半分も食べていなかった。

 箸を置く僕を、千里は不満げに見ていた。


 「もっと味わって食べないとダメですよ。作ってくれた人に失礼です」


 作ったのは僕なのに失礼もなにもないだろう。

 千里の言葉を聞き流して、別の質問を投げかけた。


 「おいしい?」

 「おいしいです」


 料理は好きだ。

 しかし、客観的な評価に乏しかった。

 一度誰かに食べさせてみたいと思っていたが、めぼしい相手がいなかったのだ。

 簡単な料理でも、おいしいと言われると妙に嬉しかった。

 千里が食べ終えるまで眺めていた。


 「ごちそうさまでした」

 「どういたしまして」


 立ち上がって食器を下げようとすると、千里が自分でやると言うので任せた。

 彼女は、戻ってくるとまた椅子に腰掛けてにこっと微笑んだ。


 「具合は悪くない?」

 「大丈夫ですよ」

 「やっぱり一度病院行ったほうがいいと思うんだけど」

 「病院はダメです。保険証もないし」

 「そうは言っても気絶していた訳だからね。そういえば君、親はどうしているの。連絡しなくて大丈夫?」

 「両親は今連絡取れないです」

 「嘘でしょ」

 「嘘じゃないんです。色々あって、その」


 怪しい。どう考えても怪しい。

 家出とかそういうあれなのか。

 この子の言ってることが嘘だとしたら、僕はなんらかの罪に問われそうな気がする。

 もう捜索願いがだされているかもしれない。


 もしかすると、飛び降りたことを僕がバラさないかと疑っているのか。

 あまりそこには触れたくなかったけど、切り込んでみるしかなかった。


 「どうして君は……その、自殺なんてしようとしたのかな。それが理由で家に帰れないというなら、僕は誰かに話たりしないけど」

 「自殺なんてしていませんよ」


 千里はケラケラ笑いながら言った。

 途端に真面目に訪ねたことが恥ずかしくなった。


 「仕方がないですね……なるべく秘密にしないといけないんですけど、実はわたし事情があって未来から来たんです」


 つかの間の沈黙が流れた。


 「やっぱり病院行ったほうがいいんじゃない?」

 「まともですよ!」


 千里は、声を荒げた。

 あまり関わってはいけない人だったのかもしれない。

 僕は、彼女を家に招き入れたことを後悔した。


 「ふーん、で事情っていうのは」

 「人捜しです。川俣敏という人を探しているの。写真もありますよ」


 広い世界だ、同姓同名の男子の一人くらいいるだろう。

 けど、彼女が口にしたのは間違いなく僕の名前だという予感がした。


 どこかで名前を知られたのか。

 関わってはいけないどころか、危ない人物なのではないか。

 ますます、嫌な予感がしてきた。

 知らない女に探られている。

 誰かに恨みをかった覚えはないが油断できない。

 そう言う世の中だ。


 「僕の知ってる人かもしれないな。写真見せてよ」

 「取ってくるからちょっと待ってて」


 そう言って千里は、風呂場へ駆けていった。

 戻って来た彼女の手には、薄汚れた写真がぶらさがっていた。


 「濡れていたけど見れますよ。アナログの物って丈夫ですね」


 写真には中学生の頃の僕が写っていた。

 中学生活の最後に写した卒業写真だ。

 僕も同じものを持っている。

 いったいどこから仕入れてきたのか。

 写真の僕は、まだ屈託のない表情をしていた。

 髪が長く伸びて、無精髭が生えている今の僕を見ても同一人物だとは気づくまい。


 「……その人を探してどうするの?」

 「そこから先は黙秘します。この町に住んでるはずなんですけど」

 「そっか、見つかるといいね。それで君、家はどこ?」

 「家は中央区の三の六」

 「なんだ、近いじゃないか」

 「80年後の住所ですけどね」


 ふざけている。

 さっさとこの野良猫を放り出そう。

 居座られたらたまらない。

 女性というのは社会に無数に仕掛けられた爆弾みたいなものだ。

 扱いを間違えれば社会的に死んでしまう。

 おまけに彼女は何かよからぬことを企んでいる。


 「あのね、僕は君を家に帰さないとまずいんだ。ふざけるのはそろそろやめにしよう。両親も心配してるだろうし」

 「親には話してあるから大丈夫。夏休みを利用してこっちにきたの」

 「今は秋だよ」

 「秋ですね。紅葉がきれいだもの」

 「そういう話しをしてるんじゃなくて」

 「……あの、ちょっとの間泊めて貰えませんか?二三日でいいんです。川俣さんに会えたら泊めてもらえるはずなので、探してる間だけでも」


 僕はいつこの子を家に泊めると約束したのだろうか。

 頭がひどく混乱してきた。


 「知らない男の家に泊まるなんて良くないんじゃないかな」

 「大丈夫、えと……そういえば、名前聞いてなかったです」

 「ん?ああそうだね。山田たけるです」

 「山田さんは、悪いことできなさそうですから」


 思わず嘘をついてしまった。

 僕が川俣だと知れたらどうなってしまうのか分からない。

 それにしても、大した観察眼だ。

 僕が男として劣る生物だと一瞬で見抜かれてしまった。

 女が危機感を感じない男。

 なんだかプライドが傷ついた。

 どうなろうと、もう知ったことではない。


 「……わかった。泊まっていいよ」

 「やった!ありがとう山田さん」

 「服乾いたら上着買いに行こう。あの服で歩き回るのは寒いだろ」

 「わたしお金持ってないですよ」

 「買ってあげるよ。ただし安いのね」

 「うん」


 この無邪気な笑顔をぶち壊してやるのだ。

 そう考えると少し心が痛んだ。

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