第6話 居場所がない

 しかし、その幸せは長く続かなかった。


 体育館横の公園を通り抜ける途中に、さっきの四人組の姿が見えたからだ。

 せっかくの上機嫌も冷めてしまう。


 たまたまそこにいたのか、僕を待ち伏せていたのか判断できなかった。

 できれば前者であって欲しい。

 喧嘩は嫌いなのだ。

 鍛えていても殴られると痛いし、一度きりで終わるとも限らない。


 普段なら俯いてやり過ごすところだが、いきなり絡まれるかも分からないうえに、タイミング悪く、今日はとても気が立っていた。


 僕はじっと目を離さず、彼らの座っているベンチの方へ歩いていった。

 目があった。

 四人は会話を止めて、ニヤニヤしながら僕の方を見た。

 それでも四人は動かない。


 地べたに座っている二人と、ベンチに座っている二人の脇を通り抜ける。

 このまま何事もなく通りすぎられれば良いのだが。

 背中に神経を集中させて歩いた。


 突然、何かが脚にぶつかってズボンを濡らした。

 足下にはペットボトルが転がっていた。

 なぜこんなことをするのか全く理解できないし、したくもない。

 僕はペットボトルを拾うと、来た道を戻った。

 宣戦布告と受け止める以外に仕方がなかった。


 「すんませーん、大丈夫ですか。お前がペットボトル振り回すから人に当たっちゃっただろ!謝れよ」

 「すみません。ほんとわざとじゃないんです!すみません!」


 四人は、へらへらと笑いながらそう言って謝った。


 これは、呆気にとられた。


 わざとじゃなかったらなんだというのだ。

 何を言ってるんだこいつらは、と頭が茹だるような怒りが湧いてきた。


 中味の入ったペットボトルを振り回していたら、すっぽ抜けて偶然人にあたった。

 絶対に有り得ない出来事ではないが、今この場で起こりうる出来事ではないだろう。


 「おい、ふざけるなよ。喧嘩したいんだろ。立て」


 僕は、そう言って四人をけしかけた。

 こんな時でも小心者だから、自分から手を出すことはできないのだ。


 「いや、全然そんな気ないですよ!本当にすんません!」

 「こいつ悪気はないですよ。許してやってください。お願いします」


 ヘアバンドをつけた、一番調子のよさそうな奴が、そう言ってペコペコと頭を下げた。

 なんだか毒気を抜かれてしまって、逆に自分が悪いことをしているような錯覚に陥った。


 「もういい……」


 一刻も早くこいつらの存在を忘れたいと願った僕は、やられ損のまま退くことにした。

 背中に笑い声が響いた。


 陰鬱な気持ちを引きずったまま家に帰るのは嫌なので、どこかで時間を潰すことにした。


 とはいっても、濡れたズボンのまま店に入るのは気が引ける。

 少し遠回りになるが、河川敷へと向かった。


 目立たないように橋の下に潜り込み、段差に腰を下ろした。

 濡れたズボンに風があたって冷たい。

 昼間、川のあった場所には黒い闇が溜まり、そこからザアザアと水の流れる音がした。

 時折ピチャっと何かが跳ねる。

 死に遅れた虫が、姿も見せずに鳴いていた。


 暗闇の中じっとしていると、心まで寒くなってくる。

 膝を抱えて寒さをしのぎながら、中学生の頃を思い出していた。


 あの頃の自分は今の自分より幸せだったかもしれない。

 友達がいて、純粋で、何も考えずに他人を受け入れることができた。

 今は他人の気持ちなど重荷としか感じることができない。

 世の中を真っ直ぐに受け入れて、自分に素直だったあの頃にはもう戻れないだろう。


 不意に悲しみに呑まれたが、感傷はすぐに去っていった。

 ここ何年か、涙がでたことはない。感情が鈍くなっている自覚があった。

 悲しいとも感じない変わりに、楽しいとも感じることがないのだ。


 昔の記憶だけが、僕の感情を呼び起こした。

 色付いた思い出と、色あせた現実。


 嫌な感情が次々にわいてくる。

 この場所が悪いのだ。

 とは言っても、僕には他に居場所などなかった。

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