現代恋愛短編「重い返し」

西城文岳

本編


 暗い部屋の中、二人の男女が重なり合う。


「好き……好き……」


 彼女の息を切らすタイミングと同時に、一方的な愛の押しつけが男に降りかかる。その蕩けた目は一心不乱に男を見つめる。


 一方、男はそれをただ何をするわけでもなくされるがまま受け入れる。


(あ~どうしてこうなったかな)


 男はただ天井を見つめ過去を思い返す。




 最初は何だっただろうか?ただの男の気まぐれというには違うが、愛というには感情が足りない。ただ、女とはそういう深い関係では無かったはずだった。


 


 男はこれと言って目立つような人間では無いし、女の方も大してパッとする印象では無い。初めての酒の席で隅に二人はいた。サークルの主メンバーが集まる席とは少し離れた位置にどういう経緯なのか、たった二人だけ。


 お互い何をしに此処に来たか疑問に思うほど会話が無かった。当たり障りのない話でも話が膨らむこと無く打ち切られる程、会話下手な人間達だった。


 隅でひっそりとしている分、余計な邪魔無くそれぞれのペースで飲めていたのが二人にとっては楽しかったのかも知れない。

 だが、ゆっくりと飲んでいる内に酔いは回る。

 

 その時は魔が差したと言うのが正しかっただろうか?


 長いこと飲んでいる内に人は正常な判断が出来なくなる。女が酔いつぶれ寝てしまう前に家まで送るが、声を掛けてもまともに返事が出来ない異性の家で二人きり。


 その……つまり、そこで男は欲を一方的にぶつけた。言ってしまえば襲ったのだ。


 初めてだった。お互い。


 酒で昏倒した彼女にそこまで劣情を抱いたのも、ぼんやりとした意識ではあったがそこまで男に求められた経験も。


 酒がお互いの理性や倫理、痛みを鈍らせ、大いに狂わせる。女が途中で気が付いて抵抗として伸ばされた細い腕が、受容の抱擁として認識されより一層快楽の沼に引きずり込まれる。


 訂正しようのない間違いを犯したこの男の人生で一番の幸運だったのは、相手がその後に訴えて来なかった事だろう。だがその相手が今までからの態度からは信じられない程、執着し始めたことはその男の罰となった。


 今のように。




「好き……好き……」


 機械のように同じうわ言を繰り返しながら男に縋る。爪を立て、歯を食い込ませ、しがみつく。

 

 男の背中にはいくつもの爪痕や噛み傷が罪の後として残る。


 ただ膨らんでいくだけだった罪悪感に穴を開けたのは女のだ。

 彼女の許容あって今、男は社会で生きている。


「好き……なのに……」


 一滴、目から落ちる。


「なんで……死んだんだよ……」


 だが、男の一生で何よりも不幸だったのはその彼女からのを失ってしまった事だろう。間違いから始まったというのに、いや間違いからだったからこそ深く心に深く喪失感を残す。


 罪人刑務官から解放された。だが罪人は罰を求め虚空に縋ろとする。


 女の姿は男が瞬きをすると同時に消え去り、そこに誰かがいたという形跡は無い。

ベッドの横に転がる酒瓶を煽り、再び幸せだった情景を再び夢見る。

 

 暗い部屋の中、黒い喪服を着た男の泣き声だけが静かに聞こえる。


 

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現代恋愛短編「重い返し」 西城文岳 @NishishiroBunngaku

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