第13話 急募! 家庭教師

 放課後、閑散とした教室で錬とジエットは顔を突き合わせていた。


 読み書きを覚えるに当たって最初にぶつかる問題。


 それは、教えてくれる人である。


「本で勉強できればいいんだが、まずその本が読めないからな……。こればっかりは誰かにお願いするしかない」


「そうだね。とりあえず先生に教えてもらうのはどう?」


「ま、それが最善だな。エスリ先生か、ノルマン先生辺りなら教えてくれるかもしれない」


「今から行く?」


「ああ。時間が惜しい、すぐ行くぞ!」


 善は急げとばかりに手を引くと、ジエットは頬を染めて微笑むのだった。






 魔法学園の先生達は、授業外は教員室で仕事をしているようだ。


 錬が戸をノックすると、ノルマン先生が顔を出した。


 改めて見ると、くたびれた中年男性といった人物だ。彼の服にもクラブのワッペンがある辺り、平民出身の教師なのだろう。


「……何かね?」


「突然すみません。文字の読み書きを教えて欲しくて来たんですけど」


「読み書きを……?」


「はい。俺達は読み書きができないので、今のままでは授業内容がわからないんです。ノルマン先生、教えてくれませんか?」


「だめだめ、私は忙しいのだよ。授業の資料も作らないといけないし、勉強会の顧問もしているし」


「先生がだめなら、他の人でもいいんですが。学園長のエスリ先生はどちらに?」


「学園長は外出中だよ。あの人は私以上に多忙だからね」


「……誰でもいいんです。教えてくれそうな先生はいませんか?」


「そう言われてもねぇ……」


 ノルマン先生は眉間にシワを寄せ、教員室で書類仕事をしている先生達へ目を向ける。


 だが色良い反応はなかったようだ。


「残念だが、皆忙しいようだ。すまないね」


「待ってください!」


 戸を閉められそうになったところでジエットが足を挟んだ。


「今日じゃなくてもいいんです。空いている日に教えていただけませんか?」


「いや、だから皆忙しいと言っただろう。どうしてもというなら家庭教師でも雇いたまえ。うちの生徒は皆そうしているはずだよ」


 猫でも追い払うようにシッシッと手を振り、ピシャリと戸が閉められる。文字通り門前払いである。


「……だめだったね」


「家庭教師を雇えって言ってたけど、やっぱりお金かかるよなぁ……」


 ポケットの上から皮袋を叩くと、中で銀貨がチャリチャリと音を立てた。


(これを使うべきか……?)


 貨幣価値もわからない内から浪費するわけにはいかないが、読み書きできなければいつまで経っても必要な知識が手に入らない。


 ふと思い立ち、麻袋に入れていた石を手のひらにジャラリと乗せる。


「……これ、売れたりしないかな?」


「クズ魔石と火炎石? 無理じゃないかな……」


「だよなぁ……」


 これに価値があれば、奴隷小屋の横に山積みされたりはしないだろう。


 他に価値がありそうなものといえばポケットに入っている魔石銃だが、こんな物がなくとも魔法が使える世界では、家庭教師を雇えるほどの値段で売れるとも思えない。


(……もしかして、こうなる事を見越して俺達にお金を渡したんだろうか?)


 抜け目の無さそうなエスリの事だ。その可能性は大いにありえる。


 石を袋に突っ込み、錬は深々とため息をついた。


「しょうがない。先生がだめなら家庭教師を雇おう。ここは銀貨を使ってでもやるべきだ」


「アテがあるの?」


「ない。まぁ適当にその辺の生徒を捕まえて頼めばいいだろ」


 だめで元々。何事も挑戦なくして結果は得られないのだ。


 錬はガウンの襟で首輪を隠し、爽やかな営業スマイルを浮かべながら、近くの廊下を歩いているクラブの男子生徒に声をかけた。


「すみません、ちょっといいでしょうか?」


「何?」


「いきなりで申し訳ないんですけど、俺達に文字の読み書きを教えてくれませんか?」


「はぁ? 読み書きって……この学園にいる奴なら普通できるだろ?」


「できないのでお願いしているんです。もちろんタダとは言いませんから」


「……報酬はいくら?」


「えっと……いくらくらいが相場なんですかね……?」


「相場と言われても……う~ん……」


 男子生徒は訝しげに錬を見つめていたが、後ろにいるジエットの白い熊耳に視線が向くと、一転して顔を引きつらせた。


「……お前らあれだろ、噂の編入生ってやつ」


「噂?」


「魔力なしの亜人奴隷二人組がうちに編入してきたって聞いたんだよ。悪いけど、関わるとロクな事にならねぇや! ごめんな!」


 男子生徒はそそくさと逃げ去って行く。


 錬は肩を落としてため息をついた。


「そんなに噂になってたのか……参ったな」


「まぁ、私の耳は目立つしね……」


 苦笑しながら耳を伏せるジエット。少しはショックを受けているらしい。


「でも諦めるつもりはないんだよね?」


「当然だ。次行くぞ!」


 力強く応え、錬は次のターゲットを見定める。


「なぁに、片っ端から声をかければ一人くらい受けてくれるさ。諦めてる場合じゃない!」






「諦めた~……」


 突撃依頼も五十人を超えた辺りで、錬は音を上げた。


「こりゃ就活を思い出すな……」


「シュウカツ?」


「あぁいや、こっちの話」


 黄昏に染まる中庭のベンチにだらしなく腰掛ける。


「クラブの連中は謝りながら逃げるし、ワンドの奴らはバカにしながらやっぱり逃げるし。どうしたらいいんだよ……」


「もう日が暮れてきし、人も少ないからね。今日がだめでも明日があるよ」


 ジエットは隣に腰掛けて慰めてくる。頭を撫でられるのがくすぐったい。


 そんな風にぼんやりと美しい噴水を眺めていた時だった。


「こんなところで何やってるんだ?」


 複数の足音とともに、つる草の巻き付いたトレリスの向こう側から男女の声が聞こえてきた。


「あ、あの……勉強を……」


「勉強? クラブがそんな事をしてどうする?」


「ちょっと見せてよ」


「あっ……」


「何これ、教科書の写本? 途中までしか書いてないわ」


「おやおや、教科書も買えない貧乏人が勉強だと! これは傑作だな!」


「そんなに金がないなら、学園などやめて働いた方がいいんじゃないか?」


「か、返してくださいっ!」


 中庭の草木に隠れて見えないが、何やら穏やかではない様子である。


(これはいくしかない!!)


 錬は体を跳ね起こし、飛び出した。


「ちょっとすみません!」


「あぁ?」


 声をかけるや、不機嫌そうに生徒達が睨んでくる。


 立っているのはワンドの男二人に女が一人。彼らに囲まれるようにして尻を地に着けているのはクラブで、栗色のセミロングに丸眼鏡の少女だ。


 見覚えのある彼らの顔に、錬はあごに手を当てて考え込む。


(クラスメイトの……ノーラとかいう名前の子だったかな? 囲んでるのは足を引っかけようとした奴とその仲間か)


「なんだ、編入生じゃないか。何か用かな?」


 男子生徒の一人が憎たらしい笑みを浮かべて前に出る。


 そんな彼の横を素通りし、錬はノーラの前で膝をついた。


「ノーラさんって言ったな。君、勉強好きなのか?」


「えっ……?」


 突然の事に頭が追い付かないのか、ノーラは目を白黒させる。


「あぁ、いきなりごめん。授業はもうとっくに終わったのにがんばってるみたいだから、勉強好きなのかと思って」


「それは……嫌いではないですけど……」


「素晴らしい! 君のような人を探していたんだ!」


 呆気にとられるノーラ。対するワンドの面々は目を吊り上げて睨んでいた。


「おい貴様、無視するな!」


「あんた誰?」


 ビキビキ、と青筋を立てる男子生徒。


「アークレイ子爵家の跡継ぎであるこのバートン様に向かってその態度とは……良い度胸だな」


「バートンさんって言うんですか、自己紹介どうも。でも今ちょっと忙しいんですよ。後にしてもらえません?」


 面倒くさそうに錬が言うと、バートンなる男子生徒は怒りに顔を真っ赤にしながら腰の短杖を抜いた。


「貴様……亜人の分際で我らを愚弄した事、後悔させてやるぞ……! エルト・ラ・スロヴ・ボーラ――ぶわっ!?」


 詠唱の途中で錬は足元目掛けて魔石銃をぶっ放した。地面がえぐり取られて草木をうがち、土がバートンに降り注ぐ。


「おえっ……ぺっぺっ! 亜人が魔法を!?」


「そんなまさか! 詠唱しなかったわよ!?」


「くそ、魔力なしじゃなかったのかよ! エルト・ラ・シュタル・ダーテス――!?」


 もう一人の男子生徒の詠唱中に、またも耳をつんざく爆発音が響いた。錬が撃ったものより数段大きな炎と衝撃波が彼の頬をかすめ、短杖を吹き飛ばす。


 顔面蒼白で尻餅をつく男子生徒の向こうでは、ジエットが魔石銃を構えていた。


「獣人が魔法を使った……だとっ!?」


「私はハーフだよ!」


「ハーフでも魔力はないはずだろう!?」


「へへ~ん!」


 どや顔で胸を反らすジエットに、ワンドの彼らは驚愕に打ちひしがれているようだ。


 彼らに魔石銃を向けて、錬は冷たい目を装いながら追い打ちをかける。


「どうする? まだやるか?」


「く、くそっ……覚えてろ!!」


 走り去るワンドの生徒達。いかにもな小悪党の捨てゼリフに苦笑いしか出てこない。


 そんな彼らを尻目に、錬はノーラへ向き直った。


「大丈夫ですか? 怪我はない?」


「あ……はい……」


 ノーラはへたり込んだまま、ためらいがちに会釈する。


「それならよかった」


 錬が落ちていた教科書の写本を拾って差し出す。ジエットが魔石銃をぶっ放した先にあったためか、少し焦げ目が付いていた。


「これ汚してしまったみたいで申し訳ない」


「いえ、そんな……それより助けてくれてありがとうございます」


「いえいえ、そんな。このお礼はきっちりいただきますから大丈夫です!」


「お礼……!? あ、あのあの……あたしあんまりお金持ってないんですけど……っ」


「お金なんてとんでもない! むしろこちらが払いますよ!」


「ひっ……」


 ノーラは血相を変えてぷるぷる震え出した。なぜかずれた眼鏡を直そうともしない。


「こらっ、レン! 怖がらせちゃだめじゃない」


「ノーラさんって最初からこんな感じじゃなかったか?」


「そんな事ないよ! ほら、謝って!」


「その前に君は教科書を焦がした事を謝るべきだな」


「あぅぅ……」


 痛いところを突かれたとばかりにジエットは熊耳を塞いでうずくまる。どうやら邪魔者はいなくなったようだ。


「――さて、ノーラさん。助けたお礼の件なんですが」


「ひぃぃっ!?」


 小動物のように怯えながらノーラが後ずさった。


 そんな彼女へ、錬は全力で頭を下げて言う。


「どうか俺達に文字の読み書きを教えてくださいっ!!」


「……読み……書き?」


 呆けたようにつぶやいた直後、ノーラの眼鏡が地面にポトリと落ちたのだった。




 ***




「カインツ様!」


 慌ただしく男女三人の生徒が駆け込んできたのは、カインツ=シャルドレイテが貴族寮の娯楽室でカードゲームを楽しんでいた時だった。


「騒がしいな。どうした?」


「編入生の亜人奴隷どもに魔法でやられてしまい、ご報告をと思いまして……!」


「何を言うのだ。魔力なしが魔法を使えるわけがないだろう」


「ほ、本当なんです! 現に中庭の地面が吹き飛ばされまして……」


「ほう……?」


 カインツは興味を引かれ、生徒達へ目を向ける。皆焦った様子で、男子生徒の片方は草と土まみれに、もう片方はもみあげがチリチリになっていた。


「ずいぶんと手酷くやられたようだが、どんな魔法を使われたのだ?」


「それが……よくわからないのです。詠唱もありませんでしたし……」


「詠唱なしだと? それは本当に魔法なのか?」


「何もないところで爆風を起こしたのです! 魔法としか思えません!」


「そうです! それに奴らは木の杖を構えておりましたゆえ……!」


 必死に訴えかけるワンドの三人。とても演技をしているようには見えない。


「……なるほど。お前達がそこまで言うなら確かめてみるのもまた一興か」


 そう言って持っていたカードをテーブルに置き、席を立つ。


「カインツ様、どちらへ?」


「教員室だ。魔法を使わせたいなら、使わざるを得ない状況を作ればいい。奴らが本当に魔法を使えるのであればそこで判明するだろうさ」


 カインツは口元を歪めて笑い、扉のノブに手をかけた。

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