第14話 魔法を科学せよ(1)
騒動の後、錬達はさっそく勉強を教えてもらう事になった。
諸事情を鑑みて、勉強場所は学園舎の裏手にある花壇付近にする。
中庭ほど景観は豪華ではないものの、テーブルと椅子くらいは置かれている。ここなら人気もないし、おかしな連中に邪魔される事もないだろう。
「あの……家庭教師は構いませんけど、暗くなるまでには帰れるでしょうか……?」
ノーラは不安げに錬とジエットを交互に見る。
「今日はもう夕方だし、そこまで時間をかけなくていい。とりあえず触りだけでも教えてくれればそれで」
「はぁ……」
「ひとまず報酬を先払いしておこう。これでどうかな?」
錬が銀貨を一枚置くと、ノーラの目が皿になった。
「えっ……こんなに?」
「多いのか?」
「それは……はい……。家庭教師の報酬って一日三時間で大銅貨二枚くらいですし。今から一時間教えるとしても、これだと何十日分にもなりますよ」
「そんなに?」
まったく実感が湧かないが、予想より額面は大きいらしい。
「その、疑うわけじゃないんだけど、君の言う金額は間違いないのか? 他の生徒達は誰も相場を知らなかったみたいだけど」
「間違いないです。ここへ入学するために家庭教師代を自分で払っていたので……」
椅子に腰掛けたまま縮こまってうつむくノーラ。どうやら彼女は本当に苦学生らしい。
「君も知っての通り、俺達は奴隷だ。この前まで鉱山で働かされていたから、この国の貨幣価値どころか常識さえよくわかっていない。これでもらいすぎだというなら、それらの情報料も込みとして受け取って欲しい」
「はぁ、そういう事なら……」
ノーラの話によると、この国の貨幣は下から鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、結晶貨があるらしい。
そして銅貨、銀貨、金貨はそれぞれ大中小に分かれ、合計十一種類の硬貨で経済が回っているとの事。
貨幣価値はランクが一つ上がるごとに五倍。参考までに聞いたところ、小銅貨二枚で芋が一個買えるそうだ。
(芋を仮に百円として計算すると……銀貨一枚三万円強!? 学園長、ポンと三十万円くらい渡してくれたのかよ!?)
さすがは貴族というべきか。それだけ期待している事の表れなのだろう。
「それで、勉強は何から教えればいいんでしょうか……?」
「そうだな……ひとまず昨日と今日の授業で写したノートの読み方を教えて欲しい。ジエット、頼む」
「は~い」
ジエットは鞄から木目紙を取り出した。だが紙面を見た途端、ノーラがジト目になる。
「……これ、文章なんですか?」
「ええっ!? 文章だよ! 先生が書いたのをそのまま写したんだから」
「その……字が汚すぎると言いますか……」
「なるほど、これは教材にならないって事か」
「がんばって書いたのに!」
「というか書けるのに読めないのって、もしかして字が汚すぎるからだったんじゃ……?」
「ひどいよ~!」
リスのようにプクッと頬をふくらませる。
「あ、あの……よかったらあたしのノートを使いましょうか……?」
ノーラが鞄からファイリングされた木目紙の束を取り出す。彼女の性格が表れているのか、ていねいに書かれた文字が紙面に整然と並んでいた。
「まず、私達が普段使っているのは大陸語です。母音の数は五つで、三十種類ある文字の組み合わせで単語を構成しているわけですね。例を挙げると――」
たおやかな指で木炭鉛筆を持ち、サラサラと木目紙に文字を綴ってゆく。
大陸語の文法は独特で、主語が一番最後になるようだ。英文の文法を逆にしたものが近い。
(前世で英語は習っていたから、逆並びに注意すれば覚えやすいな)
一から言語を習得するのは大変だが、知っている知識を活用出来るなら難易度は大きく下がる。俄然テンションが上がるというものだ。
「――とりあえずこんな感じです。……今の説明でわかりましたか?」
「ああ、すごくわかりやすかった。後で単語帳でも作るかな」
「タンゴチョウ……今度は一体どんな魔法具なんだろう?」
「何でもかんでも魔法具にするんじゃない」
ジト目で睨むと、「えへへ」とジエットはとぼけるように笑う。
「しかし読み方はある程度わかったけど、確認用の模範解答も欲しいな。今日写した部分は何が書いてあるんだ?」
「今日やったのは魔法の詠唱文に関してですね。フロギスは火、ウィンダーレは風、レクアドは水、ソリドアは土を意味する属性詞で、これに装飾文を加える事で様々な魔法が使える……と」
「そういや詠唱は何度か聞いたな。たしかエルト……何とかかんとかってやつ」
「そうですね。詠唱文は魔法語で読み上げるもので、エルトは魔法を発動させるための定型句だそうです。次にルやラといった、エルトにかかる冠詞。三つ目が魔法の動作を決める動詞。四つ目は魔法の形状や性質を決める形容詞。最後に属性詞を付けて詠唱文は完成です」
ノーラは腰に下げていた木の短杖を抜き、誰もいない草むらへ向ける。
「例えば火の球を飛ばす魔法だと――エルト・ラ・スロヴ・ボーラ・フロギス」
詠唱した途端、ノーラの短杖から火球が飛んだ。それは少し先にある草を焦がし、炎を上げる。
「……燃えてるけど、いいの?」
「すぐに消せば大丈夫です。さっきの魔法の属性詞を変えてやれば――エルト・ラ・スロヴ・ボーラ・レクアド」
今度は短杖の先に水が集まり、球体となって飛んで弾けた。燃え盛る炎に水がかかり、白煙を上げて鎮火する。
「おぉ~! すごいな」
思わず拍手すると、ノーラは恥ずかしそうに目をそらした。
「ち、ちなみに今の魔法の動詞を変えるとこうです――エルト・ル・パステ・ボーラ・レクアド」
再び短杖の先端に水が集まったが、どういうわけか水球は空中に留まり、ふわふわと浮いていた。
「なんだこれ……触れるとゼリーみたいな弾力がある」
「詠唱文における『パステ』はくっつけるといった意味の動詞なんですけど、くっつく物がない場合は空中に固定されるんです。主に障壁魔法として使われますけど、発動時に物体があればそこにくっつくので、簡易的な付与魔法としても使えたりしますね」
「冠詞がラからルに変わったのはどうして?」
ジエットは小首を傾げて尋ねた。
「動詞に動きが大きいものはラ、動きが小さいものはルを付けるんです。どちらでも発動はしますけど、ちゃんと使い分けた方が魔法はイメージ通りに動いてくれるので」
「ややこしいなぁ……」
「そういうものですから……」
ノーラは半笑いで眉尻を下げる。
「あと形容詞の『ボーラ』は球体を意味するので、ここを変えると魔法の形が変化するはずなんですけど、あたしはまだそこまで習得していないので……すみません」
「いやいや、これだけできれば大したもんだ」
「うん、すごかったよ」
錬とジエットは素直に称賛する。
「それにしても意外としっかり文法が決まってるんだな。魔法なんてそれらしい技名を叫んで奇跡を起こす不思議パワーだと思ってた」
「そんな不思議パワーがあったら苦労しないんだけどねぇ」
ジエットは肩をすくめて苦笑した。
「基本的にはきちんとした並びで詠唱文を読み上げないといけないんですけど、語句の省略はできる場合もあるみたいですよ。動詞を省けば暴発するものの発動はしますし、形容詞を省くと形が定まりませんが火をつけたり風を吹かせるくらいはできます。それに昔の詠唱文には属性詞の更に後ろにも定型句の『エルト』があったとノートに書いてますね」
「最後にもエルト……?」
「はい。例えば火の球を飛ばす魔法の場合、昔は『エルト・ラ・スロヴ・ボーラ・フロギス・エルト』という詠唱でしたけど、最後のエルトは付けなくても問題なく発動するから省略されたみたいです」
ノーラは木目紙に詠唱文を書き並べ、文末の『エルト』と書いているであろう単語を丸で囲んだ。
「ふむ……」
錬はあごに手を当てて考え込む。
その詠唱文の並びには、引っかかるものがあった。そう、例えば色差のある二つの魔石と火炎石で輪を作ると、指向性爆発を起こすような――
(もしかして、魔石と火炎石の並びは詠唱文に相当するんじゃないか……?)
明るい魔石が冠詞の付いたエルト、暗い魔石は文末のエルト、火炎石が属性詞のフロギスだとして、動詞や形容詞に相当するものがないため暴発していると考えればつじつまが合う。
「ノーラさん。この動詞や形容詞に当たる部分って、どんな感じなんだ?」
「どんな感じとは……?」
「発動する時の感じだ。雰囲気で構わない」
「そう言われても……使う魔法によって様々ですけど」
「じゃあそうだな。さっきの火の球を撃ち出す魔法ならどうだろう?」
「それでしたら……どかーん! って感じでしょうか……?」
ノーラは大きく手を広げるジェスチャーで説明してくれる。
「水を空中に浮かべるやつは?」
「うーん……何というかこう……ほわわっとしたイメージで……」
「なるほど、そういう事か!」
「今のでわかったのっ!?」
ジエットが目を丸くして熊耳をピンと立てた。
「わかったというか、仮説が浮かんだというか。とにかく試してみよう!」
錬は魔石銃を取り出し、トリガーに指をかける。そしていつものように一気に引くのではなく、ゆっくりトリガーを引いた。
すると――
「あっ!?」
驚くノーラの目の前で、魔石銃の先から小さな炎が発生した。
何度となく見た指向性爆発現象は起きていない。小さな炎は空中に固定されたように、ふわふわと揺らめきながら浮いている。
ゆっくりとトリガーを引いただけで、結果が変わったのだ。
「そういう事だったのか」
「そういう事って……?」
「俺達はすでに魔法を使っていたんだよ」
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