出会いと別れの午後6時

於田縫紀

出会いと別れの午後6時

 玄関扉を開ける。

 中は暗い。

 今日はまだ愛里沙は帰っていないようだ。

 そう思いながら照明のスイッチを入れる。


 部屋が片付いているのは愛里沙のおかげだ。

 彼女はきれい好きで掃除洗濯が得意だから。

 料理は私と同じで出来ないけれども。


 いや、彼女の場合は出来ないのでは無くしないのだった。

 キッチンを汚したくない、そんな理由で。


 私はかつて一人暮らしをしていた頃の自分の部屋を思い出す。


 あれは酷かった。

 いわゆるお部屋という奴だった。

 部分的にひらがなにした理由は察して欲しい。

 つまりはまあ、そういう事だ。


 靴をぬいで部屋に入り、スーパーで買った半額弁当入りの袋をテーブルに置く。

 邪魔な上着と靴下とスカートも脱ぐ。

 これでようやく一息。


 バッグは玄関に置きっぱなしだ。

 どうせ明日もそのまま持って会社に行く。

 だからそれでいい。

 なんて思っていると愛里沙がバッグを拭いて、玄関横の棚の上に置いてくれたりするのだけれども。

 

 さて、それでは弁当と缶ビールで夕食と行こう。

 そう思ってキッチンに箸と缶ビールを取り行った時だった。


 カサカサ、カサカサ。

 気配を感じる。


 音源に視線を向けた。

 つややかな焦茶色の紡錘形が目に入った。

 間違いない、愛里沙が一般名すら呼べないアレだ。


 きれい好きの愛里沙はアレを大の苦手としている。

 出て、そして始末できないままならば引っ越すとまで言い出しかねない。


 だから私が倒すしかないのだ。

 あのゴキブリを。


 この部屋にゴキが出たのははじめてだ。

 だから殺虫剤なんて用意していない。

 しかし私はお部屋に住んでいた事もあるから知っている。

 奴には下手な殺虫剤より洗剤の方が有効である事を。


 あいにく食器用洗剤はゴキのすぐ近くだ。

 取ろうとすれば奴に逃げられてしまうだろう。

 しかしもっと強力かつ凶悪な洗剤が風呂にある。


 私はゴキが逃げないよう気配と足音を殺して風呂へ。

 あったあった、塩素系のカビ取り洗剤が。 

 私はそのスプレー容器を右手に取り、静かにキッチンに戻る。


 カサコソ、カサコソ。

 奴は先程の場所から少しだけ動いていた。

 しかし大丈夫、狙える範囲だ。

 

 隙間に入られる前にカタをつけよう。

 私は静かに右手と右腕を動かし、狙いをつけて引き金、いやスプレーのレバーを絞る。


 命中、しかしゴキはしぶどい。

 逃げるのを追ってスプレー連射! どうだ! これでもか!


 80cm位逃走したがそこまでだった。

 奴は白い泡の中でもがいて、そして動きを止める。

 塩素の臭いの中、私は勝利を確信しつつ最後のダメ押し。

 よし、これで大丈夫だろう。


 トイレへ行って、トイレットペーパーをぐるぐると長めにだしてまとめる。

 そのペーパーごしに動かなくなったゴキをつかみ、トイレの中へ。


 さらばゴキよ。

 そう思いながらトイレのレバーをひねる。

 奴はトイレットペーパーに包まれたまま水流に巻き込まれ姿を消した。

 

 これにて一件落着。

 そう思いながら私はトイレを出て部屋に戻る。


 もうもうこんな不幸な出会いが無ければいい。

 愛里沙の為にもゴキの為にも。

 そんな事を思いながらキッチンに戻り、引き出しから箸を、冷蔵庫からビールを取り出す。


 夕食にしよう、腹が減った。


 ◇◇◇


 1時間後。

 この出会いと別れの件、帰ってきた愛里沙にバレてしまった。

  ○ カビ取りスプレーがキッチンに残されたままだった事

  ○ 奴と戦った痕跡が完全に消されていなかった事

が原因との事だ。


「でも晴美が始末してくれたんだからもう出ないよね」


 そう言っていたので引っ越しの心配はしなくていい模様。


 しかし……私は思う。

 残念な事に奴らは1回出たら、また出てくる代物なのだ。


 幸い私は過去の経験から比較的効果の高い対策法を知っている。

 今度、こっそり毒餌系のゴキ対策品、買ってこよう。

 愛里沙が気づかないような場所にこっそり置いておけば大丈夫だろう。

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出会いと別れの午後6時 於田縫紀 @otanuki

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