第十三話 叔父ダヴィデ
最近、女官たちが色めき立っている。女性が大好きなシュツェルツは彼女たちの会話に加わりたくて、女官の一人に声をかけた。
「ねえ、ゲルタ。最近、みんな楽しそうだよね。どうしたの?」
ゲルタという、最近シュツェルツに仕えるようになった女官は、気弱そうな顔に微笑を浮かべた。
「近々、お隣のイペルセから王族の方がお見えになるそうです。それで、どんな方だろう、と、みなさん、気になっているようで」
「ふーん。イペルセから」
西の隣国イペルセは、母の出身国だ。昔から文化と芸術が成熟した国で、民は明るい人柄の者が多いという。イペルセ産の織物や皮革はマレでも重宝されている。
ということは、来訪するのは自分にとっての親族ということになる。もっとも、シーラムでの親友、マルヴィナ王女もシュツェルツにとっては
それに、親族で自分に優しくしてくれたのは、シーラム出身の亡き祖母とマルヴィナくらいだった。これで期待しろというほうが無理な話だ。
「僕はどんな方が来ようが構わないなあ。もちろん、女性のほうがいいけど」
シュツェルツはそう言ったのだが。
「殿下、たとえ男性であっても、お近づきになっておいて損はございませんよ」
さっそく、目の前に座るアウリールに注意されてしまった。
今、彼はシュツェルツの向かいの長椅子に腰かけている。面会が増えた結果、必要だと判断し、王子用の経費で購入したものだ。背もたれが優雅な曲線を描く逸品で、座っていると立ち上がりたくなくなる。
一緒に買った応接用のローテーブルもすこぶる使い心地がいい。
以前使っていたティーテーブルと椅子はお役御免となり、別室に置いてある。
シュツェルツはローズヒップティーの入った
「そうかなあ。まだ、相手がどんな方か分からないし。めちゃくちゃ性格の悪い人だったらどうするの?」
「将来のためですよ。とりあえず、よい印象を与えておきましょう。そうすれば、何かあった時に助けてくださるかもしれません」
「打算ありきだねえ」
「先方だって、打算という名の外交のためにご訪問なさるのだと思いますよ」
アウリールは爽やかに笑い、お茶を飲んだ。
*
イペルセからの客人の名は、のちほど分かった。
ソーレ王朝のダヴィデ・チェーザレ王子。
母マルガレーテの実弟で、シュツェルツにとっては叔父に当たる。王子といっても、兄王の治世下では「末の王弟殿下」と呼ばれることのほうが多いそうだ。
現在は外務副大臣を務めており、マレとイペルセ、両国の修好の使者として来訪するという。
女官たちから情報を集めたシュツェルツは、叔父の到着の日を待った。
そして、当日。
シュツェルツは国賓である叔父を出迎えるために、本当に珍しく両親と連れ立って車寄せにたたずんでいた。
国王一家のうしろには、ずらりと侍従や女官たちが並び、周囲では近衛騎士たちが警衛している。廷臣たちの中には、もちろんシュツェルツの側近であるアウリールとエリファレットの姿もある。
やがて、イペルセの紋章が描かれた朱色の馬車が入ってきて、車寄せの前で停まった。イペルセの紋章は、上半身が狼、下半身が魚という海神ナヴナトの化身を象ったものだ。
その力強い紋章とは対照的に、馬車から降りてきたのは、際立って背の高い、すらりとした体格の優美な青年だった。繊細な目鼻立ちは母によく似ている。
しかもまた、服装が様になっていた。首にはスカーフが巻かれ、見るからに上質な薄手の外套はこの国のように長すぎず、膝下にかかるくらいだ。履いている
シーラムにいた頃は、周囲の生徒が母親や使用人の選んだ衣服を着ていたせいで、シュツェルツは自分で考えておしゃれをするのには自信があった。
だが、青年を見て軽くその自信が揺さぶられると同時に、是非自分もイペルセのファッションを取り入れたい、と強く思った。
青年の短い髪は黒く、瞳はセルリアンブルーだ。もしかして、イペルセの空の色はこれほど美しいのではないか、と想像し、シュツェルツは思わず見惚れた。男に見惚れるなど、生まれて初めてだった。
青年は歩いてくると、父に向け、恭しくお辞儀をする。
「お初にお目にかかります、国王陛下。イペルセの王弟にして外務副大臣のダヴィデ・チェーザレと申します。この度はマレとイペルセ、両国の修好の機会を設けていただき、深く御礼申し上げます」
「マレ国王、メルヒオーア・ルードルフだ。ダヴィデ殿下、此度のご滞在は長期間に渡るそうだが、ごゆるりとくつろがれるとよい。王宮の東殿に部屋は用意してある」
父とダヴィデの挨拶が終わると、母が待ちかねていたように、久しぶりに会う弟に話しかけた。
「ダヴィデ、久しぶりね。すっかり立派になって……」
ダヴィデは甘いほほえみを湛えつつ、母にもお辞儀をした。
「姉上もすっかり淑女におなりだ」
母は「まあ……」と応えたあとで、膝を折ってお辞儀をする。少女のように高揚を隠せずにいる母を見るのは初めてだった。母はマレに嫁ぐために十八で去った故国に飢えていたのだ。
ダヴィデは二、三言、母と会話を交わすと、こちらに歩いてきた。シュツェルツは緊張をこらえながら、ダヴィデにお辞儀をした。
「叔父上、はじめまして。マレの第二王子、シュツェルツ・アルベルト・イグナーツと申します」
お辞儀を返したあとで、ダヴィデのセルリアンブルーの瞳が優しく細められる。
「こちらこそはじめまして。君がシュツェルツか。会いたかったよ。姉上によく似ているね。君はイペルセの血が濃いのかな」
シュツェルツは我知らず、ほうっと息をついた。もし、そうだったらどんなにいいだろう。あの父の血ではなく、この叔父と同じイペルセ王室の血を色濃く引いているならどんなにか……。
ダヴィデはシュツェルツのうしろに控える女官や侍従たちを見渡して笑った。
「この国の女官はみな美しいし、侍従も勤勉そうだ」
女官たちが年齢を問わず、「きゃあ」と言いたげな顔になる。ニコニコとそんな女官たちの様子を眺めていたダヴィデの視線が、ある一点で止まった。
「ん……?」
ダヴィデが目を留めたのは、なんとアウリールだった。近くまで歩いていくと、叔父は残念そうな顔をする。
「なんだ。背の高い、ものすごい美女がいると思ったら、男だったとはね。いやあ、世界は広いなあ」
アウリールの青筋がピキピキと音を立てて浮き上がる様が、シュツェルツには見えるような気がした。
(それ、一番、アウリールに言っちゃいけないやつだ……)
アウリールと初対面の時、自分も彼に「女性のような顔をしているな」と言ってしまったが、あれが辛うじて許されたのはまだ子どもだったからで。
シュツェルツはアウリールに一目散に駆け寄った。
「ア、アウリール? 抑えて! 抑えて!」
憤怒の形相をしていたアウリールは、こちらを見て少し冷静になったようだ。
にっこりとシュツェルツに笑いかける様子は、いつもの彼だ。しかし、ダヴィデのほうは見ようともしない。
ダヴィデは陽気に笑った。
「ははっ、わたしは君を怒らせてしまったようだね。この埋め合わせはあとでさせてもらうよ。シュツェルツ、君の侍従かい?」
「……えーと、侍従ではなく侍医なのです」
「そうか。話が合いそうだね。わたしも大学で医学を中心に学んだのだよ」
(医学……)
それならば、叔父はイペルセ固有の毒についてある程度知っているはずだ。彼と仲良くなって毒のことを訊けるようになれば、膠着状態にある毒の調査が少しでも進むかもしれない。
ダヴィデへの憧れとは別の打算的な考えを、シュツェルツはわずかにうしろめたく思った。
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