第十二話 公爵家の裏事情

 ベティカ公に婚約話を持ちかけられたシュツェルツは、面会が終わると相当疲れた様子で「中庭に行ってくる」とだけ言い残し、部屋を出ていった。


 もちろん、大物との面会で極度の緊張を強いられたせいもあるのだろう。幻影宮の中庭は美しく、心身ともにリフレッシュするにはうってつけの場所だ。今の季節はちょうどラヴェンダーが咲き始めている。


 彼女ベアトリーセは中庭のラヴェンダーを愛でるのが好きだった。

 思い出に囚われそうになる前に、アウリールはシュツェルツを迎えにいくことにした。シュツェルツが出ていってから、もう三十分くらいはたっているから構わないだろう。


 いつ襲撃されるか分からない状況だからエリファレットも付き添っているとはいえ、自分が呼びにいったほうがシュツェルツは喜ぶのだ。

 廊下から回廊に続く扉を開ける。回廊沿いに広がる中庭の緑が眩しい。回廊にたたずむホワイトブロンドの親友の姿はすぐ見つかった。エリファレットは顎に手を当て、何やら考え込んでいる。


「エリファレット、どうした?」


 アウリールが声をかけると、エリファレットは感慨深げな顔で答える。


「……いや、殿下もすっかり『お兄さん』になられたな……と思ってな」


 意味が分からないので、アウリールは何も言わずにシュツェルツの姿を捜すことにした。

 シュツェルツはラヴェンダーの花を眺めていた。近づくと、ほどなくこちらに気づく。


「アウリール! 聞いてよ! さっき、ここにすごく可愛い女の子がいたんだ!」


 やれやれ、また始まったか、と思いつつ、アウリールは話を合わせる。


「今度はおいくつくらい年上の方ですか」


「年下だよ! 僕より四つくらい下かな? こっちを警戒して近寄ってくれない仔猫みたいな子だった。あんな可愛い子がこの世にはいるんだねえ」


 これは珍しい。アウリールは興味を惹かれた。


「お名前はお訊きになれたのですか?」


「いいや。訊く前にその子の侍女が迎えに来ちゃってさ。父親か家族と一緒に幻影宮に来たみたい。僕や兄上のことを知りたがっていたよ。でも、おかしいんだ。その子、僕が王子だって知らなかったんだよ」


 父親と王宮に参内し、王子たちのことを気にしている美少女。それは、もしかして──。


(まさかなあ……)


 あまりにも出来過ぎたことを思いついてしまい、アウリールは心の中で苦笑した。


   *


 いなくなった妹が見つかって、ツァハリーアスはほっとしていた。父と自分がシュツェルツに謁見している間に、侍女の目を盗んでふらりと中庭に出ていた、ということだった。


 シュツェルツとの謁見のあと、ツァハリーアスは父とともに国王と王太子とも謁見した。その直後に、妹の姿が見当たらない、と侍女から聞いた時、ツァハリーアスは心臓が止まるかと思ったものだ。


 侍女と手分けして捜したが、なかなか見つからず、焦りながら東殿の応接室に戻ったら妹がいた。

 妹のロスヴィータは実の兄の目から見ても、このマレ一、いや、世界一可愛い。豊かな長い黒髪に、ちょっと気の強そうな大きな瑠璃色の瞳、薔薇色の小さな口。自分を慕ってくれるところも、また可愛さに拍車をかけていた。

 それなのに、戻ってきたロスヴィータを目にしたとたん、父は言ったのだ。


「ローズィ、お前はシュツェルツ殿下と婚約しろ」


「嫌です」


(よく言った! さすがローズィ!)


 ツァハリーアスはシュツェルツが気に食わなかった。軟弱そうだし、口が達者なだけではないか。あれだったら、王太子のほうが性格はよさそうだ。本当に、彼が病弱でさえなかったら。

 父はロスヴィータを前にため息をつく。


「お会いする前からそんなことを言うな。シュツェルツ殿下は見どころのあるお方だ。将来は素晴らしい王太子、いや、国王におなりだろう。お前はそのお妃となるのだ」


 ツァハリーアスは口を挟まずにはいられない。


「父上、そうはおっしゃっても、ローズィの意思というものがありますし」


「ベティカ公家に生まれたからには、それ相応の家に嫁がねばならぬ。それならば、最上の相手を選ぶ必要があるだろう」


「いえ、ですから、シュツェルツ殿下が最上の相手かどうかは再考の余地があるかと」


「では、王太子殿下を選べというのか」


 ツァハリーアスは息を呑んだ。父の顔が沈痛な色を湛えていたからだ。


「それは……」


 自分だって、嫁にいく前に婚約者を亡くすような悲しみをロスヴィータに味わって欲しくない。だからといって、可愛い妹を無理やり「なんとなくムカつく」第二王子に嫁がせるのもどうなのか。

 ツァハリーアスが苦悩していると、ロスヴィータが父に尋ねた。


「……どうしても、シュツェルツ殿下と婚約しなければなりませんの?」


「そうだ。それがお前にとって最善の道だ」


「それなら、わたくしも色々と考えさせていただきます」


 どういう意味だろう。

 ツァハリーアスはロスヴィータを観察したが、彼女はそれ以上、何も言うことはなかった。


 ツァハリーアスはまだ知るよしもない。ロスヴィータが、結婚前に世間を知りたいから女官になりたい、と言い出し、二年後に父の策略によってシュツェルツ付きの衣装係女官となることを。

 そして、何やかやの末、シュツェルツと恋に落ち、彼の妃となることを。

 それは何年も先の、また別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る