ツナ缶工場を襲撃する

ささやか

【検索】 シャリアピンソース 作り方

 ――ええ、そうです。やはりチョモランマプレイは興奮しましたね。

 春うららな月曜日、自宅でのんびり笹倉レインの引退インタビュー動画を見ていると、突如としてドアが破られた。驚いて玄関に視線を向けると、人間サイズのアルマンコブハサミムシがそこにいた。アルマンコブハサミムシがぺこりとお辞儀をするので、つられてぺこりとお辞儀を返す。

「どうも強盗です」

 自己申告ながらどうやらアルマンコブハサミムシは強盗のようであった。凶悪に黒光りする尾の鋏があれば強盗も容易であろう。

「あ、どうも強盗さんですか。お茶飲みます?」

「いえ、お構いなく。それよりお金出してくれませんか?」

 俺は大層困ってしまった。数か月前に失業し、失業保険で糊口をしのぐ身であるため大金など到底持ち合わせていなかった。大金どころか所持金が五桁に届くかも怪しい。無論、口座の預金も幾ばくもない。恥ずべき現状をつまびらかに語ると、アルマンコブハサミムシのハサミがしゅんとしおれた。

「お金、お金がいるんですよ。なんとかなりませんかね。肝臓とかもらえばいいのかな?」

「肝臓って生だからすぐ悪くなると思いますよ」

 そもそもアルマンコブハサミムシは臓器売買できるコネクションを持っていないから売り物にならないだろう。

「というかなんでお金がいるんですか?」

「妹が病気で薬代が必要なんです……」

 ごくありきたりな理由だった。毎年百万人以上の妹が妹だけ罹患する妹病にかかり高価な特効薬を必要としていることは世に広く知られた事実だ。

 新潟県産の食塩をかけられた蛞蝓なめくじみたいにしおしおとしているアルマンコブハサミムシを見て、段々と同情心が湧いてきた。どうせ無職の身、いくら己の息子が笹倉レインの世話になったとしても、インタビュー動画の視聴を中断して、アルマンコブハサミムシの金策を手伝うくらい義理人情に反しないだろう。

「俺も手伝いますよ。なんとかしてまとまったお金を手に入れましょう」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。あ、自己紹介がまだでしたね。僕はけんちん饂飩うどんⅡ世です」

「俺は蕎麦山そばやま米太郎こめたろうです」

 こうして俺達の金策ディスカッションが始まった。白熱した議論は三日三晩続いた。そして、ツナ缶工場を襲撃して大量のツナ缶を奪い、それを駅前で売りさばくことが最善との結論に至った。

「でもやっぱりいいのかな。ツナ缶は庶民のご馳走なのに、そんなもの奪っちゃって」

「悪いも糞もあるものか。だいたいツナ缶が庶民のご馳走だとしても、工場やってる会社のお偉いさんは高層ビルの屋上とかで本マグロの刺身をしゃぶりながら白ワインでもキめてるんだぜ、非道ひどい格差だとは思わないか」

 ツナ缶工場の最寄駅に来てまで尻込みしだしたので、俺はけんちん饂飩Ⅱ世を鼓舞する。

「そりゃあ思うけど、こういうのって法律違反だし」

「法律なんてケツを拭く役にも立たない仮想現実を気にする必要ないって。だいたい理性的で合理的で法律を知悉している人間なんてスーパーマンより非現実な存在を要求する法律は根っこから間違えてるんだ」

「確かに! 人権なんて絵空事で法律は僕達をなんも助けてくれないし、あってもなくても大して変わらないね」

「そうそう、法律なんて高尚なもの人間には早すぎる。もっと野蛮なくらいがちょうどいいんだ。たとえばこうしてツナ缶工場を襲撃することによって、資本主義における再分配を実現するように」

「よしわかった。ツナ缶工場にさあ行こう!」

 ツナ缶工場は毎日見学ツアーを行っているので、俺達はあらかじめツアーに申し込み、見学客としてツナ缶工場に潜入した。がらがらと大きなトランクを持っていたので、お預かりできますよと言われてしまったが「宗教上の理由で」と答えると納得して引き下がってくれた。俺が持っていた金属バットも宗教上の理由で解決した。俺は全日ホームラン教に入信しているのかもしれなかった。

 定員が集まったところでツナ缶工場見学ツアーが始まる。ツアーではツナ缶の製造過程を実際に見ながら、工場の人間が何をしているか説明してくれた。

「我が工場では、ツナフレークの原材料となるツナマグロを最大限有効活用しています。ツナマグロに身割や選別といった作業をさせ、長時間労働で弱ったツナマグロはツナフレークの原材料としているのです」

「長時間労働をさせているとツナの味が落ちませんか?」

「ご安心ください。ツナマグロは労働させればさせるほど身が引き締まり美味しくなるのです。もっとも、油分という点では労働させないツナマグロの方が勝るので、油分の少ないツナマグロが多すぎるときは、無職のツナマグロを混ぜることもあります」

「なるほどー」

 けんちん饂飩Ⅱ世の質問にも工場の人間はよどみなく答える。ガラス越しの世界では死んだ魚のような目をしたツナマグロが同胞の死体を切り分けていた。

 俺達はいち見学客としてツナ缶ツアーを存分に楽しんだ。そしてツナフレークが缶詰めされ、検品後に包装された段階で、けんちん饂飩Ⅱ世が持ち前の立派なハサミで工場の人間を首ちょんぱする。その隙に俺は金属バットでガラスをぶち割り、トランクに入るだけのツナ缶をかき集める。完璧な連携だった。三日三晩のディスカッションを経て、俺達の絆はポールダンスのポールよりも太くなっていた。

「よし、詰め終えた! 撤退だ!」

「了解!」

 無事にトランクいっぱいにツナ缶を詰め、俺達は工場を脱出する。血も涙もない工場ホモサピエンスが襲いかかってくるが、彼らはことごとくけんちん饂飩Ⅱ世のハサミのサビとなった。かくして襲撃成功である。俺達は電車内で成功を祝った。

「これだけのツナ缶があれば妹さんの薬代だけじゃなく、ちょっとした贅沢もできるな。何か美味いもの食べようか」

「それならシャリアピンソースのかかったステーキとか食べたいなあ。というかシャリアピンソースが食べたくて」

「名前はわかるんだけど、あれなんだろな」

「そう、シャリアピンってなんかお洒落で高級っぽいけどよくわかんないから一度は思う存分堪能してみたかったんだよね。フランスのソースとかなのかな、名前がお洒落だし」

「いいね、そうしよう」

 そんな未来計画を立てているうちに、ここらで一番大きな駅に到着する。俺達はゲットしたツナ缶を路上で売り始めた。ツナ缶は庶民のご馳走なのでちょっと値段を下げてやると皆がダボハゼのように買ってくれる。売れ行きは極めて順調だった。そしてあと少しで完売という頃合になって思わぬ事態が起こった。警察官がやってきたのだ。

「ちょっと、ちゃんと許可取ってます?」

「許可? そんなくだらないルールばかり作るから世の中が息苦しくなってしまうんだ。自由でいいじゃないか」

 俺は精一杯の反駁を試みた。賄賂も試みた。だが奮闘虚しく、無許可販売は違法との理由で警察署に連行された。俗に言う逮捕である。

 それから俺は警察署で何時間も取り調べを受け、そのまま留置所に数日宿泊するハメになった。だが幸いにして起訴されることもなく釈放される。

「あの、けんちん饂飩Ⅱ世は?」

 釈放時に警察官に尋ねる。当然と言えば当然だが、逮捕以来けんちん饂飩Ⅱ世と会うことはなかった。

「けんちん饂飩Ⅱ世?」

「俺と一緒に捕まったアルマンコブハサミムシです」

「ああ、あの虫けら」

 警察官はようやく理解できたとばかりに頷く。

「あれならとうの昔に殺処分したよ。人間に危害を加えるような虫けらは早く処分ないと危険だからな」

 殺、処分? 竹馬の友と永遠に別れてしまったことを俺は上手く理解できなかった。舌をたどたどしく動かして尋ねる。

「で、でも、あいつは、ちゃんと知性があって、妹思いで、それで――」

「それだからなんだっていうんだ? 結局は虫けらだろ。。それが全てだ」

 くそが。

 その言葉に我慢できず、気づけば俺は警察官に殴りかかっていた。黄金の右ストレートが火を噴いた。

 もちろんそれでハイさよならというわけにはいかない。またしても逮捕された俺は、前回よりも長い間留置所にお泊まりすることになった。そして、今後はしっかり起訴された。裁判の結果、なんやかんやで執行猶予になった。これからしばらく再度犯罪に走らなければOKですよ、というわけだ。釈放後、あいつの妹を探したが彼女は妹病で既に亡くなっていた。どうしようもないことにどうしようもない感情が湧いた。

 判決が出るまでに失業保険が切れてしまったので、俺は仕方なく労働に従事して生計を立てる。なんの意味もない退屈な人生の再開だ。

 そのくそくだらない人生の中で時折けんちん饂飩Ⅱ世のことを思い出す。そして、あいつが食べたがっていたシャリアピンソースは玉ねぎや赤ワインに醤油を加えて作るソースで、日本のホテルが発祥だという豆知識や自分でも意外と簡単に作れるという体験を伝えられないことに深々とした喪失を覚える。

 俺はシャリアピンソースの作り方がずいぶんと上手になってしまった。

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