色んな人と出会うのは悪いこと?

結局誰も特別ではないのかもしれないけど

 平日昼間の商店街では、静かに時間が流れる。


 駅前のロータリーを右折してすぐの朝日町あさひまち商店街は、休日ともなればたくさんの地元客で賑わうそこそこの規模の商店街だが、平日の今日は、歩く人も少なく閑散としている。


 その商店街の入り口近く、テナントビルの1Fに入るチェーン回転寿司屋のテーブル席で、支倉佐奈はせくらさな長井雄太ながいゆうたが流れていく寿司を見つめていた。


「サーモンこないね」


「タッチパネルで頼めばいいだろ」


 長井がパネルを操作して、サーモンの項目を探す。まぐろの種類が多すぎて中々辿り着かないが、急いでいるわけでもないのでそのまま指を左に動かしてページを進めた。


「いかきたからいいや。いか食べる」


 レーンを流れてきたいかの皿を掴むと、醤油もつけずにそのまま口へ運ぶ。美味しい、と支倉が少し笑った。


 サーモンといかは全く違うのでは…と、タッチパネルを操作する手を止めて支倉のほうを見てみるが、美味しそうに食べてはいるので、長井も諦めて自分の食べたい寿司を待つことにした。


 すでにお互いそこそこの数食べていたので、腹が減って寿司が食べたい、という気持ちはほぼなかった。今はもうとりあえず、せっかく回転寿司にきたしもう少し食べておくか、という惰性で寿司を選んでいた。


 大学は別だが同じカフェでバイトする2人は、休みが合えばこうして共に食事をしたり、映画を見に行ったりする仲の良い関係だ。


 友人というよりはお互いのことを知りすぎているし、何度かそういう行為もした。しかし、恋人という関係になってしまえばこのぬるくまどろむような心地よい時間がなくなることも理解していたので、どちらもこれ以上関係を進めようとはしない。


 特に支倉は、長井から見れば猫のような女だった。


 気まぐれで気分屋で、好き嫌いがはっきりしている。嫌いなものは完全にシャットアウトだが、好きになれば一気に距離を詰めてくる。仲良くなると見せる、一見クールな印象の彼女の笑顔に勘違いしてしまう男は多い。


 最初はバイト仲間、社員といった身内程度だったが、徐々に店に来店する客、外部デリバリーの配達員等、彼女に懐かれた男は、今ではほとんどが元カレ、という状況だった。


 当然店の雰囲気は悪くなるわけで、入れ替わりの激しいスタッフの中で、2年以上店にいるのは支倉と長井だけだった。


 特に女性スタッフが寄り付かず、店舗スタッフは支倉以外全て男性、という状況がまた終わらない悪循環となっている。


 ただ、終わらない悪循環の原因、支倉自身に特に悪気はないらしかった。数多の男と別れても、特に怒りも悲しみもせず、常に普段通りに過ごしているのが彼女らしいというか、本当のところは誰のことも好きではないのでは、と憶測を呼んだ。


 数えきれないほどの出会いと別れを繰り返し、支倉自身はそれを楽しんでいるようにも見えたし、反対に全く興味がないようにも見えることが、長井にとっては不思議だった。


 彼氏がいるときであっても自分には変わらず来る支倉からの連絡に、内心喜びながら、俺も元カレ達と同じなのだろうか、と長井はぼんやりと前に座る支倉のピアスを見ていた。


「ねえ、私バイト先でなんて呼ばれてたか知ってる?」


「さな、じゃないの」


 座っている席の横のレーンをたまごがカタカタと通過したとき、支倉が長井の目を見て言った。


 急な質問に驚き、長井は最近彼女が仲良くしている年上のバイトの呼び方を咄嗟に口に出した。


 普段は支倉、と呼んでいるが、先週2人で自宅で映画を見ていた時、流れで行為に及んだ際に彼女にせがまれて一度だけ呼んだことがあった下の名前を発音した瞬間、彼女の白い肌の記憶が蘇って、目線を下げる。


「違うよ、悪口みたいなやつ」


 長井の頭には、バイト先の男たちの中で呼ばれていたあまり良くない意味のあだ名が浮かんだが、それを口に出すのはすんでのところで止めた。いかに気を許した関係だとはいえ、相手を傷つけるような単語は自分も笑えない。


「なんて呼ばれてたの」


「回転寿司女だって」


「は?」


「今ここに来て思い出した」


 ださいよねなんか、と支倉が笑う。


「私、いろんな人と付き合ったり別れたりするでしょ」


「まあ…」


「男とっかえひっかえで流れるように相手が変わるから、回転寿司なのかな」


 なのかな、ということは、おそらく支倉自体も本当の意味を知らないのだろう。誰かが話しているのを聞いてしまったのかもしれない。小さいカフェなので、噂はすぐに広まるし、誰かの話声はよく聞こえる。


 長井が何も言えずに支倉の鎖骨のあたりを見ていると、カタ、と音をたてて、横のレーンからえんがわが持ち上げられる。


「私さあ、好き嫌いないの」


「うん」


「食べ物もだけど、優しくしてくれる人はみんな好き」


 みんな好き、という言葉に、長井は複雑な気持ちになった。表情にださないように、すっかり冷えたお茶をすすると、湯呑越しに支倉と目が合う。


 彼女の目はいつもと変わらず、感情が読めない色をしている。口角を上げ、長井をまっすぐ見ていた。


「色んな人と出会うのは、悪いこと?」


 前に座る支倉のスマホが目に入る。小さい緑色の丸が、チカチカと点滅していた。誰かからの連絡だろう。長井は目が離せず、じっと見つめてしまう。


 男からの連絡だろうか、どの男?どういう関係?俺の知ってる人?


 長井は言いたいことをお茶で飲み干し、通知に気付いてスマホを掴んだ支倉にそっと目線を投げる。


「悪くない」


「ふうん」


 スマホの画面を見ながら一瞬長井の方を見た支倉は、少し意外そうな声で返事をした。


 短い沈黙があった後、机が少し揺れたな、とスマホから顔を上げたとき、通知の内容を確認しようとしていた支倉の手を、長井の手が取る。


 同い年のはずなのにどこか達観しているな、と思っていた長井の手は、支倉が思ったより熱く、驚いて長井の顔を見る。穏やかな彼に似合わない、大胆な行動だった。


「悪くないけど」


「けど、なに」


 机を挟んではいるが、さっきより少し近い距離に、お互いが緊張しているのがわかった。ソファの赤い色がやけに目に入る。


 急に、先月この席で、元カレの性欲が強すぎてめんどうだなんて相談をしていたななんて思い出して、一瞬支倉の思考がふわっと宙に浮いた。

 

「…なんでもない」


 浮いた思考が目の前の男に戻ったとき、長井は握られていた手を離し、ソファに座りなおす。


 不機嫌そうにタッチパネルをいじり始めた長井の顔は、母親に怒られた子供のようで、支倉はこの顔がたまらなく好きだった。


 思わず頬が緩んでしまうと同時に、どうしようもなく、目の前の男に抱かれたいと強く感じて、スマホを鞄の中に放り投げる。


「ねえ、部屋で映画観ようよ」


 考え事なんてどうでも良くなるような甘い雰囲気を纏った支倉の声に、ゆっくり脳が溶けるような感覚を覚えた長井は、ふらりと立ち上がる。


 すぐ目の前に座る女の誘うような笑顔を見たとき、出会いの多い回転寿司のような女だとしても、自分は彼女と別れるなんて選択肢はないのだろう、と察して、笑った。


 


 

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