清虚の灯火 3/5


 秋が来て、冬が来て、春が来て、夏が来て、そうして一年が過ぎてゆく。


 日々に変化を感じることは難しいが、一年を振り返れば違いは幾つも見つかるものだ。


 清虚せいきょは一年、舟が出ないほどの嵐の日以外には、毎晩あの場所で火をいてきょうを唱えていた。すると春過ぎ頃から、夜の海に舟の明かりを見かけることが増えていった。


 村で声を掛けられることも増えたし、托鉢たくはつで施しを受けることも増え、清虚が足を運ぶ場所も来た頃よりずっと増えていた。



「あれが、一食坊主いちじきぼうずか?」


「一食坊主?」


「あの坊主は米をやってもな飯を一食しか食わんで、あとはみんな薪代まきだいにするらしいんだ。」


なんのためにか?」


念仏埼ねんぶつさきで毎晩火を焚いて舟の無事を祈って、念仏を唱えとるらしい……」



 清虚が最初に訪れた小さな村、そこからもう一つ山を越えたところには別の村があり、そこは広く稲田もあって、昨年の収穫期には多くの米を貰えた。


 今年はその村にも清虚の噂が知れ渡り、信頼からか托鉢の施しはさらに増えている。



「お、一食坊主様がお戻りになられたぞ。」


「失礼な! 清虚様だぞ!」


「来た頃は乞食坊主こじきぼうずと言いよったくせに!」


「へへ……。だけど清虚様が来られてからは、念仏埼で死人が出ん。すごい坊様やど! あの方は。」



 小さな村の方では清虚の信頼はさらなるもので、托鉢の施しだけでなく葬儀の経を頼まれたりと、生業なりわいとして成り立つほどに清虚は村に溶け込んでいた。


 ――しかし、清虚は焦っていた。


 秋が終われば冬が来るが、冬には家々の薪の需要は倍になり、薪代も上がってゆく。それを昨年に学んだ清虚は、冬の訪れが近づくほどに焦りを感じていたのだ。


 昨年はたまたま最初に薪を大量に買い込んだのが功を奏した。薪屋は備えて、多くの薪を仕入れてくれたし、薪代も融通を利かせてくれた。


 それでも、冬には薪が尽きかける。


 托鉢の施しはさすがに冬は減ってしまうし、新たに薪を買おうとすれば、その値は高い。


 清虚が火を焚き続けられたのは、奇跡のようなことがあったから……家に帰ると減った薪の置き場に、木々が増えていたからだ。


 それは薪とは呼べない、葉の付いた枝や生木なまきだったのだが、それでも清虚には十分だった。


『――ありがたいことじゃ。』


 本当に、最初は奇跡かと清虚は思ったが、誰の仕業なのかに薄々と気づく。


 冬のある日、寒さに耐えかね着物を一枚増やそうと小屋に引き返した時、清虚はその相手に出会でくわした。


 それは髭面ひげづらの無愛想な男。清虚が住む小屋の元々のあるじだったきこりが、枝木を抱えてやってきていたのだ。


「――いつも、ありがとうのぉ。」


 清虚は礼をしたが、樵は「知らん!」と怒鳴ってその場に枝木を投げ捨て去っていく。――それでも、春までの間樵が枝木を運んでくれたのだ。





『冬が来る前に薪を買い込まなければ……』


 ――そう、清虚は焦っていた。


 早くに薪を買い込んで、しかも樵に助けて貰い、やっと続けられた冬の火焚きだ。今年は続けられるかわからない。


 だから稲田のある方の村の帰りには、貰えた米をその村の薪屋に全て渡して、冬のために薪を仕入れてくれるように頼んでいた。


 いつもの薪屋に頼む方が運ぶのにも楽なのだが、そちらに頼まないのは顔を合わせづらいから……清虚は今、あの薪屋と喧嘩をしている。


「――そんな米受け取れるか!」


 ある日、清虚からの薪代の米を薪屋は受け取るのを拒否した。


「痩せこけてからに! ちゃんと飯を食わんか!」


 薪欲しさから一食すらまともに口にせず、細くなってゆく清虚に薪屋は怒ったのだ。


「でかい体を細くしてからに! なんでまともに食わんのじゃ! ほら、肉じゃ。肉を食え!

 坊主だから肉は食えんのじゃろ! なら米くらいまともに食わんか!」


 そう干し肉を差し出し怒る薪屋に返す言葉が見つからず、清虚はぼそりと口にする。


「――薪が欲しいのじゃ、譲ってくれ。」


 その小さな言葉を聞いて、薪屋はさらに怒鳴り散らす。


「火を焚いてなんになるか! 念仏がなんの役に立つか! だからおらは坊主が嫌いなんじゃ!

 飯を食わんなら極楽に行けるのか! 念仏を唱えりゃ極楽に行けるのか! 肉を食う木樵は地獄に堕ちると言うか! 念仏を唱えんもんは地獄に堕ちると言うのか! 

 ちゃんと飯食ってちゃんと生きとるもんの、何が悪いと言うとるのか!」


 その言葉に、清虚は言葉を返せない。


「違う! そんなことは無い!」と、そう答えたかったが、それでも薪が欲しく無理をしようとする自分には、言い返す資格が無いことをわかっていた。


『薪屋の言うことは正しい。わしが間違えとるんだ。十分に米を食べて、それでも薪を買うだけの余裕があれば……だけど、わしに大したことはできんのだ。

 汗水流して働いている者たちから施しを受け、それでなんとかやっていけとる。わし自身はなんもできん。大したことは、なんにも……』





 冬が近づいてきて、清虚は結局、十分に薪を買っておくことはできなかった。


 色づんだ葉も抜け落ちて、木枯こがらしの吹くとある日、空虚な気持ちで清虚が帰り道を歩いていたら、ふと栗の木が目にはいる。


 その前で立ち止まってみると、落ち葉やいがの茶色が地面に落ちていた。――そして腹が鳴った。


 するとその時、老婆がそこの家から出てくる。清虚がここに来て最初の施しをくれた老婆だ。


 あれから何度も清虚はこの老婆から施しを受けている。今日もまた米を貰い経を詠んでいたら、最初にここで施しを受けた時のことが思い出された。


『――わしは何を焦っておるんだ。最初よりずっと良い方に進んでいるではないか。

 毎日のように施しをたまわれ、誰もがわしを助けてくれる。冬が来ても、なんとかやっていけるかも知れんではないか……

 わしに奇跡はおこせはせん。だけど、続ければこうも変わっていくし、その内に……続けていれば奇跡は起こる。今までも、今も、これからも……』



 ――帰りには必ず、あの薪屋の横を通る。


 老婆に貰った米を薪に替えようかと考えたが、怒られるだろうと躊躇ためらって……清虚が薪屋の横で立ち止まると、そこには大量の薪が積まれていた。


 それに驚いて、清虚は薪屋の店に飛び込んだ。


「薪屋よ、あの薪はいったい!?」


 清虚が突然に駆けこんできたが、薪屋は待ってましたとばかりに笑いかけ、清虚の問いに答えるのだ。


「久しいな坊様、待ってたよ。

 ――この前の、村に廻船問屋かいせんどんやの使いが来ての、あんたにお礼がしたいと訪ねて来たのよ。

 それで金をくれると言うとったが、おらたちが断った。だって坊様はどうせ薪を買うじゃろ? 銭は使いにくいしの。だから、礼なら薪の方がいいと言ったんじゃ。そしたら今日に薪が仰山ぎょうさん届いてな。あれはみんな坊様の薪だぜ!」


 清虚は目を丸くした。


 言葉の出ない清虚に、薪屋は質問する。


「坊様の焚き火のおかげで、舟の数を増やせて商売が繁盛しとるらしい。あんな海を照らせもせん火でも、そんなに役に立つんやのお?」


 その質問に、清虚は声を震わせながら答える。


「続けていればな……そのことに、意味があるんじゃ……。お前様が、樵が、村の者たちが助けてくれて、こうして薪を手にできた。

 またわしに奇跡が起こってくれた。ありがたいことじゃ。ありがたいことじゃ……」





 ――夜。清虚は変わらず火を焚いた。


「もったいのうございます。もったいのうございます。今日は格別に、奇跡のようなさちをくださいまして、本当にありがたきことと存じます。

 どうか今日もここを無事に舟が通れますよう、お力をお貸しくださいませ。

 生きていれば奇跡は起こる。幸は巡ってくる……わしなんぞにも……だから誰もが生きていけるように、人々の命をお守りくださいませ。」


 夜の中の火を見つめる清虚の目には、涙が溢れてきていた。


 それは今日起こったことへの喜びとともに、自分に起こる奇跡への、申し訳ない気持ちが溢たからだ。


「生きていれば……なのに、わしはその命を奪った……そんなわしなんぞに、このような奇跡を……」


 清虚は昔に人をあやめたことを思い出していた。――それはずっと昔のこと。


 それはまだ清虚が太兵衛たへえと呼ばれていた、若き日のことだった……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る