お父さんへの贈り物


 巨大な三匹の犬……その上で、赤毛の鼻の大きな大男がいやらしく笑う。


 街をニヤニヤと見渡したハンス。


 しかし私たちを見つけると、ハンスは驚いた顔をした。


「お前ら、何でこんなとこにいるんだ!?」


 そう、ハンスは言った。


 私はハンスに聞いた。


「街をどうする気?

 魔王は倒したよ。もう、魔王に言われたみたいに、街なんて襲う必要は無いよ。」


「魔王を倒したぁ? まあ、お前らがここにいるんだ。ありえるかもな……」


 考え込むハンス。


 私は、ハンスに頼む。


「じゃあ、犬たちを下がらせて!」


「何言ってやがる! 魔王が死んだなら俺が最強ってことじゃねえか! 最高、最高。なら、好き勝手やらせてもらうぜ!」


 ハンスは、ハンスらしい宣言をする。


 そのハンスの声と同時……魔王の犬に飛び掛かる影があった。


 黒く長い髪をなびかせる、白いドレスの剣士が一人。


「クソヤローが! 足の恨み、お前の首で払ってもらうぜ!」


 そう叫び、跳躍だけで巨大な犬の上、ハンスに迫るヘルガ。


 ヘルガはハンスの横まで飛ぶ!


 ハンスは隙を突かれ、驚いた表情を浮かべた。


 しかし、ハンスの乗る魔王の犬とは別の黒犬が、手で白い影を弾く。


「ヘルガー!」


 私が叫ぶも、意味はない。


 ヘルガは黒犬の手に吹き飛ばされ、どこかへと飛んでいってしまったのだ!


「ガハハハハハ! 俺に逆らう奴は皆殺しだ。

 逆らわなくても、若い女以外は皆殺しだがな!」


 ハンスが、大犬の上で高々に笑う。


(クソヤローめ! 街の人たちを襲う前に、私が退治してやる!――何か呼ばないと!)


 ――私がそう思った時だ。


 私の周りが、急に暗くなった……


 見上げれば大犬の一匹が、私を押し潰そうと手を振りかぶっている!


 ハンスが言う。


「カイたちが来る前に、お前は殺すぜ!

 厄介者は、少しでも減らさねぇとなあ!」


 ハンスの命令に従って、私を殺そうと魔王の犬の手が迫る。


(あ、やられた……)


 私がそう覚悟した時、私の意識は飛ばされて……




 灯り……



 ロウソクの……



 半分白紙の……本?



 書きかけの、物語……



 男?



 男の声が……


 男の声が外側から、内側から……私自身の声のように話しかけてくる。


「俺の中にある、もう一つの魂よ!

 ――か弱くて哀しい、女の魂よ!」


(可愛くて、可愛い女? 私の事か?)


「契約に従い、お前を異世界へと送ろう!

 ――この俺の、魂を使って!」


(この声、この男は、誰?)


「だが、頼む! 最初は、父の魂を使ってくれ!

 ――俺の中に残る、父さんの魂を!」


(お父……さん?)


 男は叫びながら……泣きながら本に筆を走らせ、何かを必死に書いていた。


「父さんは頭が良くて、優しくて……靴職人の器なんかじゃない!

 貧乏じゃなければ、下民でなければ、もっと凄い人になったはずなんだ!」


 男は父への想いを叫び、そして書く。


(お父さんを、尊敬しているんだね。)


「父さんに、父さんに異世界で、もう一度チャンスを与えてやってくれ!」


 願うように力強く、魂を込めて、男は筆を走らせる。


「そうだ、金がいる! 金、あとは力だ! 父さんに大金を渡そう。金は、金は犬に、全てを蹂躙する巨大な犬に守らせよう!

 父さんなら上手くやる、上手くやるはずだ!」


(巨大な……犬。)


「父さんは異世界で多くの人に慕われて、街を治めるんだ!

 金持ち、貴族、王族! そんなやつらは殺しちまえ! そのための力を、大犬を、お前の魔力と魂、俺の魂で生み出してやる!」


 男の願い、お父さんへの想い。


 とても強烈な、欲望、野心。


 魂は込められて、物語は綴られてゆく……


 本に書かれた文字は、夢に溢れていた。


 お父さんを、子供たちを、誰をも喜ばす夢に溢れていたのだ。


 それは輝いて……



 それは黒く輝いて……



 黒く……




 私の意識が、元の世界に戻った!


 迫る大犬の手に、私は叫ぶ!


「――待て!」


 叫んだ瞬間、大犬の手が止まる。


 不自然な動きに、ハンスは叫ぶ。


「何やってる!? 早くやっちまえ!」


 ハンスの犬への命令……それに対し、私は言ってやる。


「その犬たちはアンデルセンがお父さんに贈ったものだ! ハンス、あんたのもんじゃない!」


 そう言って私は左手を天に上げ、手のひらを広げる……そして、大声で叫んだ!



「お手ぇええええ!」



 ――私の叫び。


 その叫びに、大犬たちの動きが一変する!


 凶悪な牙を剥いていた口からは舌を出し、ヘラヘラとした顔になって……


 そして、巨大な尻尾をフリフリと振り始めた。


 魔王の犬たちは互いに見やり、何かを確認。


 そして、真ん中のハンスが乗る一匹が、私に手を振りかざす!


 大犬の巨大な手が私を押し潰すように、降ろされる。――そして、その肉球が私の左手に触れた瞬間に……止まった。


 その犬が手を戻すと、次だ。


 隣の犬が同じように手を私に当てる。


 そうしたら、次。


 三匹が交互に、ペタペタと私の左手に触れて離してを繰り返す。


(か……、可愛い!)


 さっきまで、恐怖の対象だった三匹の巨大な黒犬……でも、私の見方は変わっていた。


 今は、可愛くてしょうがない。


(だって、肉球プニプニだぜ!)


「何やってんだ、犬ども!?

 ――殺せ! 早くやっちまえよ!!」


 なんか、犬の上で言ってるやつがいるが、私はそれどころじゃなかった。


(ほかにはどんな芸ができるのかなぁ♪)


 そんな疑問で、頭が一杯になっていた。


 ――私は、次の命令をする!


「おすわり!」


「うわぁああああ!!」


 ワンちゃんたちは私の言うことを聞いて、ちゃんとおすわり、その場に座った。


(とっても賢い子たち♪ なんか、ワンちゃんに乗っかってたやつが落ちたらしいが、まあいいや。)


 私は、さらに叫ぶ。


「ちんちん!」


 その命令に、三匹の巨大なワンちゃんたちが立ち上がる。


「おぉ!! でっかい♪」


 私は、感嘆の声を上げる。


 その大きさは、私の想像を超えていた。


「クソぉ! バカ犬ども、戻れ、戻れぇ!」


 ハンスがそう叫ぶ。


 ハンスが持っていた箱をパカパカさせると、ワンちゃんたちが消えてしまった。


(え? ワンちゃんたち?)


 私は、寂しくて叫んだ。


「ワンちゃんたち、出ておいでー!」


 すると、私の左手のブレスレット、そこにある黒く光る石が輝いた。


 三匹の巨大なワンちゃんが、今度はハンスを取り囲むように出現する。


(ワンちゃんたち、お腹空いてるみたい。)


 三匹で、ハンスに口を近づけて、ヨダレをダラダラと垂らしている。


「うわぁぁぁ、戻れ! 戻れ! 戻れよぉ……」


 ハンスは持っている箱を、パカパカと、蓋を開けたり閉めたりしている。


 消え入りそうな叫びと命令をずっと繰り返している。――でも、何も起こらない。


 そこに、褐色の肌の少女がスキップしながらやって来た。


 服はほこりまみれ、顔からは鼻血、とても無事とは言えないけれど、その顔はとても嬉しそうだ。


 ヘルガがハンスに、嬉々として話しかける。


「お前、知らないのかぁ? 召喚士同士が同じものを呼んだら、強い方につくんだぜぇ。

 ――カレンより強い召喚士なんていねーんだよ、クソヤローが!」


 それを聞いたハンスはもう喋らない。


 代わりに、私を涙目で見てくる……ハンスの弱々しい顔。


(ハンス、怖いのか……)


 ヘルガの声が私に言った。――一緒に、あの魔王の声が聞こえてくる。


「やっちまえ、カレン!」


「残酷さと冷酷さに染まれ!

 ――魔王となるのだ、カレンよ!」


 ――私は、感じていた。


 人々を、街を、世界を感じていた。


 失った、怒りと悲しみ。


 他者の死を喜び、楽しむ、冷酷さ。


 生きる事の、残酷さ。


 命を脅かされる、恐怖。


 ハンス、ヘルガ、街の人々……みんなの表情が、心が、たくさんの感情を持っている。



 ――私は、ハンスに言った。


「ハンス……」


 ハンスと目が合った。


 一瞬、時が止まった気がした。


「ハンス……、バイバイ。」


 私がそう呟いた瞬間だ。


 大男はその悲鳴と共に、大犬の口へと飲み込まれる。


 大犬の口からは、バリバリと咀嚼音が響いた。


 私は、ハンスを殺した……それは、街の人たちのためじゃない。


 ハンスの罪を裁いたつもりもない、魔王の心に飲み込まれたわけでもない。


 ――私は、私の心に従っただけだ。


 私は少し悲しくなった。


 悲しくなった私は、呟く。


「ハンス、さよなら。」


 ゴクリと、――飲み干す音を聞いたのは、その呟きと同時のことだった……

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