第3話 川の外の世界

 意識が簡単に飛べばよかったのに。かつては褒められさえした底無しの体力が今は恨めしい。どこが前で、後ろなのか。今何が起こっているのか全くわからない。まるで真っ暗な洗濯機の中にいるような気分だった。

 苦しい。苦しいけど、今意識を手放せば死んでしまうかもしれない。

 気合でつないでいると、不意に光が差し込んできた。


 太陽だ。上だ。


 必死に水を掴み、光を目指す。

 私は一気に水を突き破った。口の中に酸素と水が流れ込んでくる。

 しかし気づけばまた水の中で、がむしゃらにも一度頭を突き出す。今度はもう少し多く酸素が入り込んできた。それでも苦しい。まだまだ苦しい。再び体が沈んだ時だった。目の前に何かが飛び込んできて、私のお腹に何かが巻きついた。


 次の瞬間私の体は水を離れ、その次の瞬間には地面に転がっていた。肺に入ってしまった水を押し出すように、激しい咳が出る。しばらくむせこんで、やっと治って肩で息をしていると、私を助けてくれたであろう人の姿が目に入って、ぎょっとした。


 真っ黒のローブで体全体が覆われている。フードは深く、襟元は立っているため目元も口元もよく見えない。不気味さを感じながら、笑いかけてみた。


「あの…ありがとうございます、本当に…可愛い、噂の原宿ファッションですか…?」

「…嫌じゃないの?」


 少し間を開けて、その人が柔らかい声を発した。原宿ファッションについては触れられなかったことが少し恥ずかしい。


「嫌って何が…?」

「僕なんかに、助けられて」


 今まで奇抜なファッションが理由で人に煙たがられてきたのかな、と考えてみる。確かに不気味ではあるけど、この人は私の命の恩人であることに変わりはない。


「私、あなたに助けてもらえてよかった」


 ありがとうと頭を下げると、また少し間を開けて、その人がフードを下ろした。綺麗な白髪と色素の薄い目の色が露わになる。


「この格好をしているときに、そう言ってもらえるなんてね」


 彼は声の通り、柔らかく笑った。


「僕はクレナイ」


 独特な名前だなぁ、俗に言うキラキラネームってやつだろうか。なんだか素敵で少し羨ましい。

 差し出してもらった手に引っ張られながら私も立ち上がる。


「私、宮本レイです」

「…それにしても、どうしてあんなところに?この一帯は流れが早くて危険なのに」


 私はきょとんとして首を傾げた。


「確かに流れが速い時もあるけど、いつもは全然緩やかで泳げるようなところもあるよ」

「でも、緩やかなところには魔物がいるし」

「うん…うん…?」


 クレナイが言っていることが理解できない。え、もしかして緩やかなところにいる魔物って私たちのこと?魔物級に騒がしいってこと?これって突っ込んだ方がいいの?


「レイ、護身用の剣や盾は…」


 クレナイが何かを言いかけた時、目の前で突然黒いモヤのようなものが巻き、ズドンと空気が重くなる感覚に陥った。

 瞬きをした次の瞬間には、クレナイと同じ格好をした大柄の人が姿を現していた。

 今、何が起こって…?


「おい、なぜ顔を見せている」


 クレナイとは全く違う冷たい声に、体が少し強張った。


「え…?」


 クレナイが困惑したような表情を浮かべる。


「何故顔を見せているのかと聞いている」

「…兵長、彼女は一般人です。警戒しなくても、」

「そりゃそうだ。こんなところにいるにも関わらず剣の一つも所持していないなんて、一般人かつ馬鹿しかおらんだろう」

「いやいやいや、川に剣って必要ですか?」


 知らない間に馬鹿にされていることに怒りつつ、突っ込んでみたはいいものの、私はとんでもないことに気がついてしまった。

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