統合失調症

 それから二年ほど、Aはいつも通りの生活を送る。朝、食事を食べ、チェスの研究に励み、勉強をして、煙草を時折吸い、XとYと交流を持ち、ついにYに常勝するようになる。大会に出れば、優秀な成績を収め、ついに日本人初のプロとなる。

 さらに数学の天才的な頭脳を生かし、時折数式をノートにつらつらと書き、哲学をし、彼はいったい何者か、知れば知るほど分からなくなる。自慰はする。しかし、女遊びはしない。綺麗な容貌をしているAはチェスの大会に出れば、自然と声がかかるのに、心を開くのに時間がかかる様子である。どこか閉塞的な態度を見せる。何を考えているか分からない時、不意に数式なり、何か文章を書く次第である。Aの書いた数式をXが暗記して、持ち帰り、アメリカの我々の研究所にデータが送られ、それを大学の研究者に見せる。Yとのチェスの棋譜を世界王者が見て、数年でこのレベルは異常だと伝える。

 統合失調症か、霊感か、天才的頭脳か、分からなくなる。

 チェスの世界王者に変装してもらい、Aが大会に出た時、こっそり、二人で指してもらった。世界王者は手を抜きながら、Aの才覚を見出した。

 そしてAがロシアの大会に出た時、プロのリーグに参加し、一敗すると、憎悪の顔が垣間見えた。あんな顔をする人間を見たことがない。日本で言えばさしずめ「鬼」と言ったところか。初めてAから憎悪のようなものを感じ取った。このエネルギーはなんだ。私は畏怖を覚えた。

 そして、部屋の隅で、ひたすら数式に没入するAを観察した。彼は必死に数式を書いているようだった。Aの父親が心配そうに、珈琲を差し出していた。Aは泣いていた。

 悔しかったのだろうと思って見ていたら、Aの父親から、世界のてっぺんを取る、と豪語していたようだ。ますます興味深い被験者になった。これで、統合失調症、霊感、知性、この三つを研究することが出来る。私は思わず、その夜五千ドルの赤ワインを開けて、研究者諸君と乾杯したものだ。

 Aは日本に戻ると、緻密な論理を身に着けるために、論理学を勉強し始めた。チェスじゃないのか? そう思っていると、論理を学ぶことによって、めきめきと知性の上昇がみられた。これは驚異的な知性の持ち主だと、目を見張った。ますますチェスが強くなり、もはやYの腕前じゃ太刀打ちできないほどであった。完全に解けないチェス、数学、哲学を研究するその様子は、まさしく我々の仲間にふさわしいほどであった。のちのち、この観察が終わったら、招聘したい思いであった。アメリカ合衆国のパワーとなるだろう。アインシュタインやノイマンを凌ぐ天才となるだろう。そこまで思っていた。我々の研究者にも、世には知られていないが、相当の業績をあげたエリートがいる。そんな彼が興味深く見つめていたのだから、かなりの逸材だ。ちなみに彼のIQは二百である。

 統合失調症の研究は近年発展した。難病と呼ばれながら、研究者、医者は、かなりのデータを残してくれた。Aは統合失調症の類に当てはまるだろう。しかし、その天才的頭脳が作り出す虚像がどんなものか、カルテを見ながらしか分からない。

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