30:それでも、手放さないと決めたから

「それで話って何? 真珠。わざわざこんなところでしなきゃいけない話なの?」


 場所は人通りが少ない寂れた公園。近くに新しくて大きな公園が出来てから、遊びに来る子供もほとんどいなくなってしまった。

 文恵ちゃんはやや古びた鉄棒の上に器用に座りながら、笑みを浮かべながら私を見ている。


「……文恵ちゃん」

「なに?」

「――様子がおかしいのは、何で? 何があったの?」


 私の問いかけに文恵ちゃんは笑みを崩さないままだ。むしろ、どこか楽しげで。


「様子がおかしい、ね。いつからおかしいと思ってたの?」

「……瑪瑙ちゃんがいなくなる前の日から」

「あははは! そっかぁ!」


 文恵ちゃんは、遂に声を上げて笑った。

 ……あぁ。その反応で確信してしまった。それでも認めたくないように彼女から目を逸らして、弱々しく首を振ってしまう。


「どうしたの? 真珠。もっとお話をしてよ。私に聞きたいことがあったんじゃないの?」

「……」

「今度は私から話した方が良い? ――それとも、こうした方が良いかな? ねぇ、〝瑪衣〟?」

「瑪衣……?」


 誰の名前かと思っていると、突然後ろから気配がした。咄嗟に避けるために身体を反らしたけれど、そのまま転んでしまう。

 尻餅をつきながら顔を上げると、文恵ちゃんの側にはいつの間にか大きな犬がいた。


「リュコス、連れてきてくれてありがとうねー」

「わふ」

「……文恵ちゃんが、犬を触ってる……?」


 あの犬嫌いで、小型犬ですら自分の側にくると完全に固まってしまっていた文恵ちゃんが?

 そして、そんな文恵ちゃんの側に誰かが歩み寄って行く。その姿に私は座り込んだまま目を見開いてしまう。


「……瑪瑙ちゃん? なんで、メイド服……? いや、そうじゃなくて! なんでここに!?」


 そこにいたのは行方不明になっていた筈の瑪瑙ちゃんがいた。何故かメイド服を纏って、無表情で佇んでいる。

 瑪瑙ちゃんは私の声に反応して私の方を見た。そして、スカートの端を持ち上げるようにして一礼をする。


「〝お初にお目にかかります〟、真珠様。私は瑪瑙ではなく、瑪衣と申します」

「……瑪衣? 瑪瑙ちゃんじゃ、ない?」

「〝身体〟は瑪瑙ちゃんだよ? でもメイド服も似合うでしょ? お嬢様だったのに!」


 文恵ちゃんは鉄棒から降りて、犬に頬ずりをするように抱きながら笑っている。

 その笑顔は私が全然見たことのない表情で。そんな文恵ちゃんを見ていると身体から力が抜けて、手足が震えてしまう。


「どうして……」

「どうして? じゃあ、答え合わせしようか。ねぇ? 瑪衣」


 そうして、二人が示し合わせたように胸元に当てた手から黒い光が零れた。

 直視したくはなかった。だって、その黒い光はまさしく私が目を背けたかった答えそのものだったから。



「「――クリファ・フォールダウン」」



 友達の声が、重なって聞こえた。

 瑪衣と名乗った瑪瑙ちゃんは、その顔半分を隠すようなバイザーに覆われて、黒尽くめのドレスと軽鎧を纏っていた。

 かつて美しかった筈の剣も姿を変えていて、禍々しい漆黒の剣に変わっている。まるで、今までのエルユピテルの姿が黒く染め上げられてしまったかのようだ。

 気を遣って手入れしていた肌は、美しいというよりは不健康にさえ思えてしまう程に白く、生気を感じない。黒く染まった色彩も相まって葬式を連想してしまいそうになる。


 文恵ちゃんは今までの魔法使いのようだったローブがボロボロになったかのような姿で、その手足を晒していた。各所に自分の身体を縛り付けるようにベルトが巻いていて、身体のラインを際立たせている。

 そして今までとの大きな違い。それは狼のような耳と尻尾、そして獣のように縦に裂けた瞳孔の瞳。にたり、と笑った口元から鋭く尖った犬歯が除いていた。

 目立つほどの大きな首輪も、彼女が何よりも恐れて嫌っていた犬そのものになってしまったかのようだった。



「――エルユピテル・スレイブ」

「――エルユラナス・リュカオン」

「我ら、ネクローシスに魂を捧げた走狗」

「そういうことなんだよね、真珠ちゃん?」



 ここぞと言う時は頼りになるけれど普段は控え目だった文恵ちゃん。

 淡々としていたけれど、真剣に話を聞いて諭してくれた瑪瑙ちゃん。

 そんな二人との思い出が、無邪気で残酷に笑う笑顔と感情さえも凍てついてしまったかのような声に塗り潰されていく。


「――あぁ、泣きそうな真珠! 可愛いぃ!」

「……」

「良いんだよ? 泣いてもいいよ、どんな真珠でも可愛いから許してあげる! 全部、全部許してあげる! 痛いよね、苦しいよね、悲しいよね! それとも辛い? 憎い? 悔しい? それもいいねぇ!」


 未だに立ち上がれないままの私に歩み寄ってきて、そのまま膝をついて覗き込んでくるエルユラナス。

 私の親友……だった子。


「もう頑張らなくても良いんだよ? ねぇ、真珠。貴方もこっちに来ようよ、また一緒に楽しくやろう?」

「……」

「ミトラだって正しいだけじゃない。ネクローシスだって間違いばかりじゃない。だったら、あとはどっちが楽しいかでしょう? 私は気付かせて貰ったの。だからね? 真珠も気付こう? ――魔法少女なんて頑張ったところで何にもならないんだって!」


 私の頬を両側から包むように触れて、そのまま吐息が触れ合いそうな程に距離を詰めてくるエルユラナス。



「――だから、一緒に行こう? ね?」



 そう呼びかける声も、お願いする表情も、その時だけはかつての彼女のようで。

……だから、私は――。



「――セフィラ・ライトアップ」



 ――まだ、この光を握り締めることが出来る。

 彼女が完全に変わってしまった訳じゃないのなら。何もかも全て失った訳じゃないのなら、私はこの輝く光を信じる。


「ッ!?」

「たとえ、魔法少女の全てが正しくなくても!」


 魔法少女の姿へと変わった瞬間、エルユラナスは俊敏に後退るように距離を取った。

 変身を終えて、握り慣れた大鎌を構えながら私は彼女を真っ直ぐに見据える。


「それでも、私が思う正しさを捨てる理由にはならない!」

「……エルクロノス」

「どうしたらいいかなんてわからない。この先に何があるかなんてわからない。自分に何が出来るのかもわからない。わからないことだらけで、確かなものなんて何もないけれど! それでも! 友達を大事にしたいって思うこの気持ちは、何も間違ってないって信じてるから!!」

「……そんなに大事にしたいなら、一緒に来ればいいのに」

「私はまだ貴方たちの話を聞いてないから。どうしてネクローシスに寝返ったのか、どうしてそうならなきゃいけなかったのか。それを知らない限りは、私だって自分を曲げられない! 何も知らないまま言いなりになるのは、友達なんかじゃない!」


 だから私は知らなきゃいけない。二人のことも、魔法少女のことも、ネクローシスのことも。

 そして――誰よりも憧れていたあの人が、エルシャインさんもネクローシスに堕ちた理由も。

 知ることが出来なきゃ、真っ正面から向き合うなんて出来ないから!



「……ふふ、ふふふっ、あははっ、あははははっ! アハハハハハハハ――ッ!!」

「……エルユラナス」

「これだから貴方が大好きなのよ! 好きで、好きで、堪らなくなるのよ、エルクロノス――ッ!!」


 牙を剥いて、エルユラナスが飛び込んでくる。大鎌の柄で彼女が振るった手を受け止める。その手には鋭利な爪が飛び出していて、こちらを今にも斬り刻みたいと言わんばかりの鋭さを見せ付けている。

 エルユラナスは目を限界まで見開いて、それこそ興奮した獣のように私を爛々とした目で見つめていた。そのまま力を込めて私を押し倒す勢いで迫ってくる。


「好きよ、好き、好き、好きなの、好きだからぁ! やっぱり堕ちてきてよぉ、エルクロノス! 私の下で這い蹲って、もっと許しを請うて? 痛いって、辛いって、助けてって縋って! 私だけ見て! 貴方の身体にも、心にも、私がつけた傷でいっぱいになって、全部私のものになってよォ!!」

「うっ、ぐぅ……!」

「そしたら大事にするから! いっぱい、いっぱい、たくさん愛してあげるからぁ! 私がいないと生きていけなくなるぐらい蕩けて、何もかも気持ちよくなるようにしてあげるからぁ! いいでしょ、いいよねぇ! だって、好きなんだからぁッ!! 貴方が、これだけ苦しいぐらい好きなのよぉッ!!」


 支離滅裂な感情が一方的な言葉と暴力になって私を襲う。

 抑えきれなくてずれた彼女の爪が私の頬を掠って、血が流れ落ちる。無理矢理足を割り込ませて、エルユラナスと距離を取る。

 エルユラナスは蹈鞴を踏みながら後ろへと下がるけれど、私の血がついた爪を愛おしそうにぺろりと舐める。


「……甘くて、愛しくて、おかしくなりそう」

「エルユラナス……」

「だから……本当におかしくなる前に早く私のものになってよ、エルクロノス――ッ!!」


 泣き喚くような声を上げながら、でも心から嬉しそうな表情のままエルユラナスは私へと向かってくる。

 そんな私たちを、さも興味なさそうにエルユピテルは見つめていた。

 あぁ、泣けるものなら私だって泣きたい。でも、今は泣く時ではないから。奮い立たせるように私も声を張りあげる。


「うぁああああああああっ!!」


 教えてよ、二人とも。私、どうしたら貴方たちを助けられるのかな?


  

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