20:崩れ始める均衡
「はい、理々夢。今日の朝食は私が作ったんだよ」
「うん」
「トーストは何を塗る?」
「いちごジャムで」
「はい、どうぞ」
「ありがとう、
「どういたしまして。えへへ」
「あれ……おかしいわね……? 何もつけてないのにこのトースト甘くない……? 胸焼けしそうなんですけど……?」
蕩けそうなぐらいに幸せそうに微笑む御嘉。その横でもそもそと居心地悪そうに朝食を食べている
まぁ、確かに空気は甘いかもしれない。ここまで来れば認めるしかない訳で。でも御嘉が幸せそうならそれで良いということにしておこう。
「もっと料理上手になりたいから、今度また教えてね? 理々夢」
「えぇ、是非。楽しみにしておきます」
「うん、私も楽しみ!」
「……あ、すいません。コーヒーを一つ、ブラックで」
「自分でお願いします」
「あ、はい。自分で用意します」
「相良さん、私にもブラックでお願いします」
「はい、わかりました」
ペコペコと頭を下げてコーヒーを用意するためにキッチンに向かう相良さん。その背中がちょっと煤けていたのは見なかったことにした。
そんな風に朝食を終えた後、一息を吐きながら三人でテーブルを囲む。
「……空気、甘くない!? あと私はボスなのに顎で使われてなかった!?」
「ここでツッコむんですか……?」
「おかしくない? ここはお姉さんが、おやおや~って初々しい二人をからかう場面では……?」
「残念ながら、ダメな大人にはその権利がなくて……」
「なんですって……」
そんな戯れるようなやり取りをした後、軽く咳払いをしてから相良さんが表情を引き締めた。
「それにしても理々夢ちゃんと御嘉ちゃんによる嫌がらせ、かなり効果が出たみたいね」
「そうなんですか?」
「女神の使いが直接関わってくるってことは、女神がよほど嫌がってるってことでしょう。女神の使いは女神と精神が繋がってるもの。多少の差異はあっても女神が喋ってるも同然なのよ、アレ」
「そういうものなんですか、アレ……」
最早、ミトラについてはもうアレで通じるようになってしまった私たちだ。
「御嘉ちゃんは女神のお気に入りだったでしょうしね」
「……お気に入りですか?」
「あぁ、それはそうでしょうね。魔法少女をやっていた頃の御嘉はかなり気に入られていたと思います」
「ある意味で似てると言えば似てるものね」
「……アレと私がですか?」
御嘉が心底嫌そうな表情を浮かべて眉を顰めている。まるで女神が時折台所に現れる黒光りする奴のような扱いだ。
「今はあんなのだけど、昔はお人好しの女神と呼ばれるぐらい人間には好意的だったのよ」
「狂ってしまったのも人を愛していたからとも言えます。かといって弁護する気は一切ありませんが」
「……私もお人好しに見られてるってこと?」
「「かなり」」
私と相良さんが声を揃えて言うと、御嘉は顰めっ面で黙ってしまった。自覚はあるようで何よりだ。
「ただ御嘉ちゃんは御嘉ちゃんで、女神は女神よ。人と神の違いってのは大きいのよね。どんなにその性質が似ててもね」
「そうですね。それに、今の女神はもう白と黒でしか判別が出来ないのでしょう」
「白と黒……味方か敵かハッキリしてるってこと?」
「そうね。グレーゾーンなんてないでしょう」
「だから御嘉を魔法少女に留めておいたんでしょうしね。魔法少女でなくなれば自分の手を離れてしまうから」
「……なんか、人をコレクションみたいに扱ってるみたいで嫌だな」
両手で持ったコーヒーカップを手の中で回しながら、御嘉は小さく呟いた。
「コレクション、間違えてないのかもね。さっき言った白と黒で分けると、味方と敵というより自分の手の内にあるか、手の内にいないかで判断されてそうなのよね」
「私たちを回収するまで諦めなさそうですしね。だから魔法少女の数を増やしてるんでしょうし。私たちを倒すだけなら御嘉だけで十分と判断されていた可能性もありますし」
「……人の苦労なんて何も考えてないんだね、女神って」
「だから世界だって無くすことが出来たんでしょうね。もう、かつて私たちが崇めていた頃の女神は失われてしまったのよ」
コーヒーを口につけながら、相良さんは目を細めつつそう呟いた。それから重たくなってしまった空気を変えるように口を開く。
「御嘉ちゃんがネクローシスについたことで魔法少女の間でも動揺が広がるでしょう。付け入る隙は今後増えてくるんじゃないかしら? 今の魔法少女の中には御嘉ちゃんに匹敵する魔法少女はいない訳だし」
「エルクロノスちゃんたちがそこそこ良い線は行ってるんですけど、あの子たちも女神の本性を見ちゃってますからね。それでどうなるか……」
「それでも女神につくなら私たちの敵になるだけよ。それにそう簡単に魔法少女なんて辞められないでしょうしね、女神の意志とは関係なく」
「……それは、そうかもしれませんね」
相良さんの言葉に御嘉は視線を落として、少し落ち込んだように頷いた。
「女神が最も力を与えやすく、そして女神の啓蒙を受けやすい。うまく条件に当て嵌まっちゃってるのよね、魔法少女たちって」
「正義のため、平和のため、世界のため。その気にさせる言葉が響くのでしょうね」
「実態を知ればそこまで単純な話ではないんだけど、かといって全部間違っているとも言い切れないのが女神の質の悪いところよ」
「他者を都合良く利用しているという点では私たちも女神も変わりませんよ。女神は神であるが故に自分を善として肯定出来るので開き直ってるとは思いますが」
「ろくでもない……」
「その点についてはお互い様ですね」
口に合わないものを噛んでしまったかのような顔を浮かべる御嘉、そんな御嘉の髪を指で掬ってなぞる。
すると照れたように御嘉が身を捩ってしまい、髪が手から離れていってしまった。残念。
「ある意味で女神の信徒とも言えるのよね、魔法少女は。だからこそ、その信仰を揺らぐ一撃を御嘉ちゃんは与えられる。魔法少女たちが動揺すればその動きは乱れるし、上手く行けば活動を縮小にまで追い込めるかもしれない」
「後はこちらの手に落ちてくるまで計画を練って待ち受けると」
「時間が過ぎれば過ぎる程、こちらに味方するもの。子供はいつか大人になるの、いつまでも保護者の庇護下にいる訳じゃないのよ」
ほほほ、と楽しそうに笑いながら相良さんが笑う。そんな相良さんを見て、御嘉が微笑ましそうに表情を緩めている。
なんだか二人の関係も以前より良くなったような気がする。どうも腹を割って話をしたようだし、これからを思えば良いことだと思う。
「ただ油断をしてはダメよ。しっかり確実にこちらの勝利のために手を打っていきましょう」
「……そうは言いますが、相良さんって何か役に立ってます?」
「えっ?」
「……まぁ、実際に動いているの私と理々夢だしね」
「待って待って、こんなにアドバイスしてるでしょー!? ボス! 私はボスだからね! はーい! ボスからの指令ですー! ボスの待遇改善を要求しまーす!」
「はいはい」
「偉い偉い」
「雑ぅー!?」
そうして、私たちは誰からと言う訳でもなく笑い出してしまう。
心の底から本当に楽しくて、幸せと思える時間が今、ここにはあったんだ。
* * *
エルクロノスたちとの遭遇から、二週間ほどの時間が流れた。
あれから私と御嘉は暗躍のために街を歩き回っていた。その間にあった変化と言えば、魔法少女の姿を見かけなくなったことだ。
お陰でネクロシードをばらまくことに障害がなく、次々と宿主たちを見つけている。まだ宿主を見つけられていない個体も順調に育っていて、今日も人に知られず町を徘徊している。
「魔法少女、出てこなくなったねぇ」
「そうですねぇ」
まだ宿主を見つけられていないネクロシードの獣が腹を見せる犬のように御嘉の前で転がっている。
のっぺりとしたラクガキのようなネクロシードの獣を御嘉はわしゃわしゃと撫でている。どことなくネクロシードの獣が嬉しそうに見えるのは錯覚なのだろうか。こんなに愛嬌があるような存在だったかな、この子たち。
「順調に育つのは良いけれど、潜伏されるとそれはそれで気持ち悪いですね」
「自分たちがやるのは良いけれど、他人にされるのは嫌だね」
「ふむ……気にはなりますが、妨害がないならこのまま進めてしまうのが良いでしょう」
御嘉は未だにネクロシードの獣を構っている。嬉しいのか、興奮しているのか、先ほどから撫でられているネクロシードの獣が動きを激しくしている。ますます生き物っぽくなっているような気がする。
そんな興味深い光景を見ていると、首筋にちりっと何かが突き刺さるような気配を感じた。
「理々夢」
「えぇ、御嘉」
御嘉が立ち上がって私を見つめる。私も御嘉に頷いてから振り返った。
ここは人気の薄い路地裏だ。その路地の影から出てくるように彼女は現れた。
「……それを構って遊んでるなんて、普通の人じゃないですよね。やはり貴方たちがエルシャインさんとクリスタルナですか?」
「やぁ、全然魔法少女に遭遇しないから全員逃げちゃったのかと思ったよ。二週間ぶりかな? ――エルユラナスちゃん」
御嘉がそう声をかけると、彼女――エルユラナスは眼鏡を指でそっと押し上げる仕草をした。
「……こちら側にも色々あったので」
「ふぅん。それで貴方一人で姿を見せた理由はなにかな?」
御嘉がそう問いかけると、エルユラナスは一瞬だけ動きを止めた。
それからゆっくりと息を吐き出すと、彼女の身体が光に包まれる。
その光はゆっくりと解けていき、ブロンドの髪色は黒髪へ、水色の瞳は焦げ茶の色へと変わっていく。
光が収まると、そこには眼鏡をかけた真面目そうな少女が立っていた。
「――こちらに戦う意志はありません。私は貴方たちと交渉をしに来ました」
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