17:たとえそれが私のエゴだったとしても
「……ミトラ」
間に割って入るように飛び込んできたミトラにエルシャインが目を見開いて動きを止めた。
ミトラは目を潤ませながら両手を組み合わせて、懇願するようにエルシャインを見つめている。今にもミトラに攻撃しそうなエルシャインの前に出て、手を翳しながら彼女を制する。
「……クリスタルナ?」
「落ち着いて、エルシャイン」
「…………うん」
たっぷりと様々な感情を呑み込みながらエルシャインは頷いてくれた。
それに安堵しつつ、私はミトラへと視線を向ける。
「残念ですが、もうエルシャインは貴方の話には耳を傾けませんよ」
「……ルナ、貴方たちはまだ諦めてないの?」
ミトラが悲しげな表情になりながら私へと問いかけてくる。
ルナと、そう呼ぶ声には親しみがあった。そして、それ以上の悲しみが存在していた。
「諦める理由がありません」
「どうして! もう良いでしょう!? この世界にこんなに迷惑をかけてまで、貴方たちの野望はそんなに果たされなければならないものなの!?」
「ネクローシスは誰一人として、ここで止まるつもりはありません。分霊として貴方を送り出し、その裏にいる女神イヴリース。貴方に奪われた権利を取り戻すまでは」
「そんな……どうして? どうしてそこまで拒むの? エルシャインまで騙して……」
「――エルシャインを騙していたのは貴方も同じでしょう?」
私が突きつけた言葉にミトラの顔が歪む。その表情はまるで傷つき、心から泣いているようにも見える。
そのミトラの表情に苛立たしそうな表情を浮かべているエルシャイン。
ミトラの側にいる魔法少女三人もそれぞれ反応が違う。エルクロノスは困惑したように、エルユラナスは観察するように、エルユピテルはただ静かに様子を窺っている。
「……別に、騙していた訳じゃ」
「私たち、ネクローシスの事情も一切説明しなかったのに?」
「それはこの世界の人間が知らなくても良い事情だから!」
「そうやって一方的に私たちを悪者に仕立て上げたいんですね、それが貴方のやり方なんでしょう?」
「どうしてそんな酷いことばかり言うの? そんな言い方しなくてもいいじゃない……!」
ミトラが遂にぽろぽろと涙を流し始めた。その様子に、そろそろエルシャインの我慢に限界が来そうだ。
――でも、彼女よりも先に私に限界が来てしまったようだった。
「……どうして貴方が泣くんですか。泣きたいのが貴方だけだと思ってるんですか?」
「どうしてわかってくれないの? 私は、ただネクローシスの貴方たちも含めて私の世界を救いたかっただけなのに!」
「――世界を滅ぼしたのは貴方のくせに、よくもそこまで言えたものですねッ!!」
つい、咄嗟に怒りが堪えられなくて普段は出さないような声が出てしまった。
そんな私の声に誰よりも驚いているのがエルシャインだ。他の魔法少女たちも意外だと言わんばかりに私を見つめている。
「何を言うの!? 私は世界なんて滅ぼしていないわ! 言いがかりはやめて!」
「いいえ、それは解釈の問題です。もう私たちの世界は滅びてるんですよ。他ならぬ貴方の手によって」
「どういうこと……?」
困惑したまま、エルシャインが私に視線を向けながら問いかけてくる。
……これではミトラのことばかり責められない。私たちもこの世界の人たちには話す必要はないと思っていたから。
だからエルシャインにも最低限のことしか話していなかった。けれど、必要だと言うなら語ることに躊躇いはない。
「貴方にとって、アレは滅びなんかじゃないんでしょうね。でも、私たちにとっては滅びも同然だった」
「違うわ! だって、誰も死んでないでしょう!? 世界は平和になったじゃない! 誰も争わない世界が実現したのよ!」
「えぇ、実現しましたね。誰も争う理由がない、永遠に平和な世界。――そう言って私たちの肉体も、私たちが住んでいた世界も、魂だけの世界で生きていけるならそれでいいと消し去った」
「世界を、消した……?」
「肉体があって、世界があって、住んでいる国が違って、それぞれ信仰する神も違う。その違いが争いの理由を生んでしまう。お腹が空くから食料を求めて他国を侵略する。相手が自分より上だと嫉妬することで争いに繋がる。それらを全て悪として世界を消し去り、魂だけの楽園を築き上げた。何も変わらない、何の差も生まれない、誰もが望むままに満たされて、ずっと幸福でいられる世界。それが女神イヴリース様が実現し、彼女が平和だと言う世界の真相です」
「――それの何が悪いの? 何が悪かったって言うの?」
心底理解出来ないと言うようにミトラは首を左右に振った。
エルシャインは絶句したように口を半開きにしている。
エルクロノスは困惑が極まったのか、手で口元を抑えている。
エルユラナスは一歩後ろに足を引いて、ミトラと距離を取っている。
エルユピテルは苦しげな表情を浮かべ、剣の切っ先を震わせながら下げている。
「貴方の願った世界の全てを、私は否定しません。かつて貴方に仕える神官として、それだけは確かです」
「……クリスタルナが、女神の神官?」
「えぇ。誰よりもイヴリース様の側で祈りを捧げ、争いで傷ついた人たちのために走り回りました。だから我が子である民が失われていくことに誰よりも耐えられなかったことも気付いていました。その慈悲の心は尊いものです……」
そこまで言ってから私は強く唇を噛み締める。震える息を吐き出してから、顔を上げてミトラへと真っ直ぐ視線を向けながら口を開く。
「でも、だからといって世界を無くしてまで作り上げた魂だけの楽園。あれが本当に必要だったんですか? 何故、私たちに一言も相談なく進めてしまったのですか?」
「時は一刻を争っていたのよ! あそこから国を建て直すには時間がかかった! その時間が! 私の子を殺していくのよ!」
「だとしても貴方は私たちに意志を問うべきだった。……私たちは何の覚悟もなく、いきなり全てを奪われたのですよ」
今でも、思い出せば胸が痛い。
失ってしまった日々が、今でも私を苛み続けている。
「何故、私たちを生かしたのですか? 私たちには責任がありました。多くの人が志半ばで倒れて、この手から救いたかった人が零れ落ちていった。時には私たちの力が足りなかったせいで失われた命もあった。貴方だけが民を背負っていたんじゃない。その責任を果たす間もなく、何の清算もしないまま楽になっていいと、何故それが受け入れられると思うのですか?」
「何故苦しもうと言うの? 貴方たちは十分苦しんだのよ! あの世界になって皆が喜んでくれたじゃない! もう争う必要はないんだって! 誰も妬まず、恨まずに生きていけるんだって!」
「その思いは否定しません。それを受け入れる人も否定しません。でも、そこに私たちが失った人はいない。失った命は取り戻せない、たとえ女神の貴方であったとしても」
「だから! 私はもう貴方たちが傷つかないようにと――」
「――貴方のせいで私たちの戦いは、終わらないまま永遠になったんですよ!」
どうしても声が震えてしまう。この魂がずっと覚えている傷が疼いて、血が流れ続けているようだ。
「何の責任を取れないまま、失われてしまった命に背を向けることも出来ないまま。それを、どんな顔で、どんな思いで、あんな世界を受け入れろって言うんですか?」
せめて、世界を変えるなら全ての弔いが終わってからにして欲しかった。
恨みたいと言うなら好きなだけ恨んで欲しかった。あんな世界に変わってしまったから、誰も人を恨む理由がなくなって、誰にも恨まれず、許しもなく、後悔だけが永遠に心に残り続けている。
「何も終わってないんです、何も償えていないんです! 何の責任も果たせていないんです! 貴方は奪ったんだ。私たちから責任を、後悔を、その全てを! これが国を守ろうと、世界を守ろうとした私たちに与えられる報酬ですか? こんなものを望んで生き残った訳じゃない。私たちが生き残ったのは、生き残れなかった人の無念を叶えるためです。決して貴方によって全てが終わらせられた世界であるべきじゃないんです」
「ルナ……」
「これが私たちのワガママだと、エゴだと言うのはわかってます。でも、それでも私たちは失った命を忘れられない。託された責任をこんな形で捨てられない。どれだけあの世界を望む人がいて、私たちの行為も、思いも、全て愚かだと言われても譲れないんです」
「……酷いよ、ルナ」
「同じ言葉をそのまま返します」
ミトラがぽろぽろと涙を流しながら、私を非難するように見ている。
それを私は感情を消し去った淡々とした表情で見返す。
「私にはもう、貴方のように泣く資格なんてありません。どれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても――その痛みは、もう遠い過去。消えた世界に置いてきてしまった。だからどれだけ痛んでも、これは錯覚でしかない」
だから私は泣かない。涙を流すことが出来た私は、世界と共に消えてしまったから。
「だから私たちは悪でいい。この思いが悪だと断じられても構わない。それでも終わってないあの日の終わりを、その責任を果たして、いつか彼等の下に行って許しを請いに行くまで。――私たちは止まらないんです」
いつか、死のその先へ。
先に逝った同志に報いるために。
守れなかった民へ謝罪するために。
私たちの弱さに許しを請うために。
「――安寧なんか要らない。私たちが辿り着く先が、たとえ救いのない地獄だとしても」
……ミトラは、もう何も言わなかった。
誰も言葉を発することが出来ずに、無言の時間だけが過ぎていく。
「……ミトラ、今回は見逃します。その子たちを連れて帰ってください」
「……ルナ」
「私はこの事実を広めたい訳じゃありません。私たちの世界のことは、この世界の住人である魔法少女には関係ないと言えばその通りですから。ただ、何故私たちが止まれないのか。それを知りたいと言うなら、これからは幾らでも語りましょう。卑怯だと言われても、それが目的を叶える道なら私は躊躇いません」
「……どうしても、戻って来てくれないの?」
「戻れません。――もう、戻る場所なんてどこにもありませんから」
最後にそれだけ告げて、私はミトラに背を向ける。
ミトラの側にいるエルクロノスたちも動く気配はない。
「……クリスタルナ」
ふと、隣から声がした。
いつの間にか伸びていたエルシャインの手が、私の手を取った。
「……行こう」
「……はい」
ただ静かに、それでも決別はハッキリと告げて。
私とエルシャインは手を繋ぎながら、その場を後にした。
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