朝日が新しい幸せを連れてくる

銀色小鳩

朝日が新しい幸せを連れてくる

 目が覚めて、いやな目覚め方だと思った。体の中心にどすんと重い燃えたぎる弾丸がめり込んでいるような感じ。嫌な夢を見た。でもこれは、マシなほうの夢だ。


 人を苦しめる思い出には二種類ある。

 一つはその名の通り、苦しんだ思い出だ。痛い記憶、切ない記憶、思い出せば自分の足元が崩れてしまうような記憶。


 もう一つは、幸福の記憶だ。

 幸せの記憶。苦しい記憶のほうがまだましだ。未来へ向かわせてくれるから。だから、私は幸せな夢から覚めたあと、いますぐ別の痛みを与えてくれと望む。


「あの時に出会ってなかったら、いまの私たちはなかったと思うと、奇跡だなって」


 昨日そんなことを言った女が目の前で眠っている。奇跡を口にした陽子に、私は「そうだね」と答えた。遠くから見るような冷静な感想を彼女には伝えなかった。


 ――恋してる時って、運命がどうとか、出会った奇跡がどうとか思うんだよね。私もそうだった。


 私は彼女に恋していない。ただ、突き放すほど嫌いではない。触れられれば安心するし、近くにいてほしいとも思う。でも、これでいいのだろうか? 彼女がいつも支えてくれようとするから、いつかきちんと突き放さないといけないのではないかと、迷う。その迷いを口にすると、陽子はきまって、笑って言うのだ。あなたに利用されるのは嫌じゃないよと。


 ずっと、あなたとならキスできるって、あなたとならエッチできるって、言ってたでしょ。本気にしてなかったの。いつから、できる、からしたい、に変わったのか自分でもわからないけどね。私を利用していいって、何度も言ったでしょ?


 陽子と寝るようになったのは、翠と別れてからだ。それまではずっと友人としての関係が続いていたが、気が付くと陽子がたびたび、付き合おう、付き合ってほしいと口にするようになっていた。


 翠と一緒にいるときには、私は翠しか目に入らなかった。

 毎日一緒に過ごして、同じものを食べて、今日あったことの報告をして。いつの間にか「食べたいもの」が被るようになり、このままずっと続けばいい、笑顔が見られるなら他の何もいらないと思うようになったその矢先。


「好きな人できたから別れて」


 その一言で、翠は私の幸福な時間をばっさりとおしまいにした。

 私は迷って、一週間してから陽子に泣きついた。


 陽子に本気で望んだのは、ただひとつだけだった。

 ――話をきいてくれること。


 陽子以外に、翠とのことを話せる人がいなかった。翠に近づきすぎて自分のなかが中毒症状を起こした時も、そうだった。

 同性と恋愛していて感じる困りごとの一つに、本気で困っていることを、簡単に相談できないというのがある。ぜんぶ自分の中で処理しなければならない。自分の中に膨れ上がる毒性のある媚薬のような感情を、他の人のように周りに話せない。それは毒消しができないまま体に毒が回っていくのを一人で我慢することに似ていた。

 そして、翠との生活をなくしたことは、ただの失恋というには大きすぎた。私の魂は削り取られた半身を求めて毎晩叫んでいた。この感覚を自分ひとりで処理するのは難しかった。恋愛はいらない。ただ、話をきいてくれる相手がほしい。


 朝目覚めたときに、幸福な夢のなかに引き戻されていたことを感じると、私は陽子にねだるようになった。

 なにかになるようなことして。抱きしめるのでもいい、痛いことならなおいい、セックスでもいい、なんでもいいから私を幸せな過去からひっぱりあげてほしいと。なんなら殺してくれてかまわない。

 陽子は困ったような顔をして、その柔らかい胸の中に私をいつも抱きしめ、じゃあお望みどおりにと、わざと痛くなるように私の肩に爪をたてた。


 いま悪夢から目覚めてみると、この部屋にもう夜の気配はどこにもなかった。


「ねぇ、起きて」


 陽子をゆさぶる。彼女は眉をしかめて呻り、そのまま私の手を探り当てて握る。


「なに、また翠でも思い出したの」

「起きてよ」


 陽子の体が柔らかすぎて、不安になる。この人は私をどこまで許してしまうんだろう。幸福な記憶の中に沈んでそのまま死んでいってしまいそうな私を引き上げつづけるには、あまりにも柔らかい体。

 カーテンの隙間から朝日がまぶしく部屋を照らしている。その光の中で、陽子の眠たげな顔をじっと眺めていたい。きゅうんと胸が締め付けられた。やっぱり早く起きてほしい。昨日と今日は、少しずつちがう。伝えたいことがある。


 一晩たって体に染みた言葉を、私は彼女に返した。


「翠と出会って、別れてなかったら、いまの私たちはなかったと思うと、奇跡だなって。私、翠を、あなたに会うために必要だったと思えそうだよ」


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朝日が新しい幸せを連れてくる 銀色小鳩 @ginnirokobato

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