老害


「なんだよこれ?」

目の前に開いた紙には、信じられない言葉が書いてあった。

 しかも差出人はさっき帰ったあの少女。

「あなた死なないでね?って俺、死のうとしてたか?」

少なくても少女にはそう見えたのか。クッキーの袋はかすかに開封した跡が残っていて、メモは人気なウサギキャラが入ったピンクのもの。

 到底、俺の知る限りでは、元カノはそんなもの持っているはずはなかった。彼女は、シンプルなものを好む性格だと知っている。

 川上さんも見た目や性格からして真面目そうな印象だし、むしろ川上さんがこんな発想できる中学生だとは思えない。

 あの少女こそに違いない。

「まあどうでもいいけど・・・」

結局、俺はまだ死ぬつもりないから、メモの内容なんて関係ない。すぐにさっきのメモを手に取り、ビリビリと破いてゴミ箱に捨てることにした。

「クッキーうまっ!」

元カノの手作りクッキーは素朴でなんだか懐かしい味がした。

 形も若干いびつだけど、それはそれで愛らしいものだと感じる。桜の花びらが風に乗って舞い、短い病院生活が過ぎ去った。


蒼林《そうりん》学院大学

都内有数の私立大学でブランド力も、国内トップクラスの教授が勢揃いの大学だ。近頃は駅伝でも名を馳せたこともある。なんといっても渋谷駅からのアクセスの良さとオシャレなキャンパスは、周囲の大学生もオシャレにさせるほどである。

(みんなオシャレだよな・・・)

一方の俺は相変わらずの大きめのモスグリーンのパーカーと黒スキニーといったシンプルなファッションを着て歩く。

彼女と別れて以降、お洒落する気もなくなってしまった。別れた後は大体こんな感じなんですけどね。

俺は授業がある大講堂に向かうことにした。必修の授業をある程度は取り終えてしまった。

とりあえず地政学原論《ちせいがくげんろん》を受けにいく。

「〜であるからにして、ここはこういう歴史があってな」

もはや七十歳近くのおじいさんの授業は退屈だった。昔はテレビでも活躍した若い教授だそうだったが、なにしろうちの生徒に度々セクハラまがいの質問をするせいで業界からも干されたらしい。

もちろん俺もこの人のことは好きでもないし、嫌いでもない。

ただは友達と話してもついていけるの知識はあるので、正直言ってテストで受かる自信はある。

まぁ、ほぼ出席点で単位取れるらしいけど。なにしろの授業ってここしかないらしい。

「どんだけ嫌われてんだよこのジジイ」

「ん?ああ。そうじゃった!おい蒼馬くん」

「へっ!? 」

「へ!?じゃないわい。お前さん、去年の授業でも寝てたらしいのう? 儂の後輩を泣かせおって、お前を注意したら授業全く聞かずに単位取ったのではないか!」

お爺ちゃん、黒川准教授はボロいパソコンをバンバンと叩きながら、俺に怒鳴り散らかしてくる。周りの生徒がざわざわと動揺している。

既に授業どころではない騒ぎのようだったが、黒川は手や足をなんども机にぶつけていた。

「はよこの問題を解けい小僧」

「わ、分かったから!今すぐ降りるから」


この老人、とっとと老人ホームにぶちいれてやりたい。

俺は目立たない後ろの席から、階段を一段ずつ降りていく。

周りの生徒たちはクスクスと俺を笑ったり、この様子を楽しむものもいた。俺に取っては大迷惑なんだけど・・・


「んで?問題はどこだよ老害ろうがい

「な?老害じゃと・・・お前、わしに向かってなんというセリフを。ほんと孫とは大違いじゃ」

「どうみたってそうだろ。てか、あんた孫いたのか・・・」

「ふんっ、儂の偉大なる功績が、孫の人生に影響を与えたいのは避けたいんじゃ」

「確かに、セクハラじいちゃんを持つお孫さんが可哀想だわ」

「誰がセクハラじいちゃんじゃ!はよ問題を解かんかい」


黒川先生に孫がいたことは初耳だった。でも考えてみると、この人に孫がいてもおかしくはない顔立ちだ。かつてのテレビ番組で見た黒川も、おじさんだが顔は整っていて、結婚できる見た目だった。

今じゃ白髪に加え身体中シワやシミだらけだが、キリッとした目や高い鼻のバランスは、昔はイケメンだったのは間違いない。


(ただしボサボサのカーディガンとシワのついたワイシャツは、全くイケメンなイメージ持てないんだが・・・)


「え〜と中国と隣接する国を全て答えなさい」

「どうじゃ?普通の学生じゃ分からんだろ?」

「まあ大学生って合コンかサークルに打ち込んだりしてますもんね。あと飲み会がえげつなくて二日酔いだとか」

黒川は腕を組み自信満々に高笑いしている。その様子を見て、すぐにコイツはアホだと分かった。一刻も早く定年退職制度を設けて欲しい。

俺はドシっと脚で血を叩き、一歩一歩、真顔で黒川に詰め寄ることにした。怒りも悲しみも感じさせない表情で、ただ単に答えをいうことは、まさに恐ろしい行動だろう。

(無言で詰められるほど、怖いものはないからな)


「はぁ。答えはロシア連邦、朝鮮民主主義人民共和国、モンゴル、ベトナム、ラオス、カザフスタン、キルギスタン、タジギスタン、ネパール、ブータン、ウイグル、チベット、台湾、香港、インド、ミャンマー、パキスタン、フィリピン、まあ韓国もインドですね。もうめんどくさいので、まとめて答えましたけどどうです?」

「うっ、分かった分かった。そんな近づかなくてもええわい」

「わかってもらえて嬉しいですよ?」

「本当にお前さんには、ワシの孫娘の爪の垢でも飲ませてやりたいわい」

「誰が老害の孫なんか・・・あっ」

「出てけっ!」


こうして俺は久しぶりの授業を追い出されてしまった。クスクスと笑っていた生徒は全員静まり返り、数日間、学内のとして俺の話は持ちきりになった。

その後、黒川先生はあとで後輩の教授たちにみっちりしごかれたらしく、俺も無事に出席はもらえた。


学生食堂 

自然あふれる芝生とベンチが印象に残るテラス席で、唯一の親友と話すことにした。親友の名前は双葉七海ふたばななみ、学年は1つ違うけど、同い年で学内のミスターコンで入学以来トップを取り続けてきた男だ。キリッとした大きな目にワックスで遊ばせた髪、身長も俺と数センチ違いだが、あっちはガチのイケメンで常に授業もトップの成績を取っている。フツメンの俺とは違う。

「ってなことがあったんだけどさ、どう思う七海〜?」

「ははは、めちゃくちゃクレイジーなことしたね」

「もうあいつに巻き込まれるのは懲り懲りだわ」

「そもそもカイリがちゃんと授業受ければ、いいってだけの話なんだけどね?」

「んぐっ、それはあれだよ。大学の授業は面白くなってからでしょ?」


俺は誤魔化しつつ、ランチのハムエッグサンドを口に入れる。素朴で家で作れそうな味が大好きな理由だ。

その様子を少し楽しむように、七海はツンツンと俺のほっぺたを触ってきたが、いつも通り無視することにした。


「このこの〜、いつになったら

「なんだよ!今日はやけにほっぺを突くな〜、彼女と上手くいってないのか?夜の営みとか」

、そういうカイリはどうなの?」

「別れたわ、あいつのせいで縒りを戻すチャンスさえなくなったよ」

「あいつって?」

「あっ、言ってなかったけ?この前、俺さ過労で入院してたじゃん。そん時に、病室間違えて入ってきた子がいて。勝手に彼女とかいって、俺の復縁をなくしてしまったんだよ」

 

その後、俺は七海に病室での出来事の詳細を包み隠さず伝えた。・・・俺が死ぬことを心配したメモの内容を除いて話した。

何度も言うけど、今死ぬつもりは毛頭ない。


「そっか・・・なんていうかお疲れ様だね。ぐっすり寝れてるかい?」

「ああ、退院してからはしっかり寝ることにしたよ」


俺は心配してくれた親友にそう答えを返す。

ふと俺が革製のシンプルな腕時計で時間を確認すると、七海はハッと我に帰ったかのように目を見開いた。


「そうだ!俺、みこちゃんからクッキーもらう約束してたんだわ」

「お、おいおい!それはヤバイな。早く高等部行ってこい」

「う、うん!もう授業始まるギリギリだから、ちょっとダッシュして行ってくる」

「おう、気をつけてな七海」


隣の高等部までダッシュして向かう七海を見て、俺はどことなく息を吐いてしまった。この吐いた息の正体は何だか知っている。


するよ、七海」


心の奥にある闇を浮き上がらせて、今日もまた退屈な授業を受ける。



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