第3話 この曲が終わるまで
「僕の好きな人、教えてあげましょうか」
学年1の容姿と謳われる後輩は、口に手を添えて、恥ずかしそうに私の耳元で
「先輩です」
と囁いた。
学生時代、よくモテる方だった。
それは友人たちも少し不思議がる程度で、その反応は失礼だろうとも思っていた。
しかし確かに私がモテる程度の容姿を持ち合わせていないのもまた事実だった。
「先輩、また彼氏変えたんですか?」
久しぶりに会った後輩の第一声はそれだった。
私は愛用の楽器を磨きながらため息をついた。
「あのねぇ、久々の彼氏なのよ。またってなんなの」
「おかしいな、先輩は男を取っ替え引っ替えできるって噂が」
「はいはい噂ね」
多少モテることの代償は大きかった。
孤立することなんてしょっちゅうで、「可愛くないくせに」のレッテルは今でも残るところには残っている。
私は楽器を組み立てながら、リードを口に咥えた。
「珍しいね、コウは練習には来ないと思ってた。電車で2時間だっけ?」
今日は卒業生バンドの練習日。
実は練習後の飲み会がメインだったりするわけだけど、それに行くのは大体30代から。
お兄様お姉様方の邪魔ができない私たち下っ端は、そのまま練習を続けることが多い。
組み立て終わった楽器に軽く息を吹き込んでいると、くるっと椅子を回転させられて、彼と向き合う形になった。
「先輩のその音が聴きたくて来ました」
私は楽器から口を離して、もう一度ため息をついた。
「あんたね、そういうのは彼女に使いな」
「あれ、照れてます?」
「どこがよ」
そりゃあんな良い顔が目の前に現れたら狼狽もするでしょうが…!
心中穏やかではない私は、急いでもう一度椅子を回してロングトーンを始める。
彼の声が後ろから聞こえた。
「僕はやっぱり先輩の音も、好きです」
聞こえないフリをして練習を続ける私は、あれから何も変わっていないのかもしれない。
私の音に惚れてサックスを選んだらしい彼は、首から大きなバリトンサックスを下げている。
初めて熱中できるものに出会った、彼は入部当時そう言っていた。
真摯に楽器と向き合い続ける姿勢に惹かれ、私の全部を注ぐ思いで彼のサックスを育てた。
いつのまにか彼自身に惹かれていたのにも気づいたけど、極力無視した。
大事な後輩をいつもでも可愛がりたいし、そもそも学年1人気の男だ、どうこうなれるとは思わなかった。
彼が私のことを好きだと言ったとき、嬉しさと迷いがちょうど半々だった。
付き合って、別れでもすれば後輩として可愛がることはもうできないだろう。
私の教室の前を通る度に、チラチラと覗いてくる彼が可愛かった。
私が彼の教室を通り過ぎた時は、何かと理由をつけて教室を飛び出してくる彼が可愛かった。
メガネもかっこいいねと言ったせいか、メガネをつけている時に出くわすと、どこか恥ずかしそうな彼が可愛かった。
いつもクールな彼が、初めてのコンクール前に緊張でガチガチになっているのが可愛かった。
余裕ないくせに「1人で抱え込まないでください、頼ってください」って言ってきた彼が、好きだった。
コツンと私の譜面台が揺れた。
ハッと戻ってくると、大先輩の怖すぎる顔と目が合った。
次の曲が始まっていた。
慌てて楽器を構え直す。
先輩に合わせて、柔らかく息を吸う。
『青春の輝き』
先輩のソロ曲、序盤はサックスの見せ場だ。
存在感は醸し出しつつ、邪魔にならないように裏で息を合わせる。
彼を見ると、バチっと目が合った。私の動きを見ていたんだろう。
位置関係的に、現役時代から彼とはよく目が合う。
「高音高い、薄っぺらい」
「すみません」
伴奏中に先輩からのダメ出しが入る。
楽器を調整しながら、もう一度彼を見ると、今度は必死に指揮者を見ていた。
可愛い後輩だな、と素直に思った。
きっと間違ってなかった。
私は、先輩でいたい。
青春の輝きだもん、この曲の間だけ青春を思い返そう。
吹き終わったら、今度こそ、青春に想いを置いてこよう。
私はもう一度楽器に口をつけた。
【短編小説集】ありきたガラクタ 羽澄 @hazumi_
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