第10話 御者
<とある乗り合い馬車の御者視点>
ワシが【穏やかな操り手】の加護を授かり、御者となって何十年経っただろうか?
老若男女、それはもう様々な人間を乗せてきた。
お遣いで初めて街へ行くというわくわくした顔の子供や、冒険者になることを夢見る若者、華やかな世界に憧れる娘、街に住む子や孫に会いにいくのだという年寄りなどなど……
それと同時に、夢破れ、疲れ果てた様子の者も、幾人も乗せてきた。
そして今日のように……怯えた顔をした娘もまた、度々乗せてきた。
周囲を常に気にしており、小さな音にも怯える。
頻繁に後ろを振り返り、追手が来ていないことを確認する。
「あ、あの、出発はまだでしょうか?」
そして何度も出発の時間を確認してくる。
(あぁ、またか……)
きっとこの娘は、旦那の暴力から逃げてきたのだろう。
以前も何度かあった。
この娘の場合、小さな子供を連れていないだけまだましだろう。
大抵は着の身着のままで逃げてくるから、路銀も食料も持っていない。
「お腹が空いた」と嘆く子供を「街に着いたら何か食べましょうね」と苦しそうに宥める母親。
……あれは、辛い。
とても見ていられなくて、そんな子供用に、日持ちのする携帯食料を常備するようになっちまった。
(はてさて、どうしたものかな)
時折、旦那に捕まる者もいる。
強引に馬車から降ろされ、その場で殴られる者もいる。
他人の家の事情に介入するなんて、良いことは一つもない。だが、一度でも乗せてしまえば客だ。
客が客じゃない者に乱暴されるのを、黙って見ているわけにもいかない。
ちらっと娘さんの顔を見る。
この時期はまだ肌寒いせいか、厚手の服とコートを着て、フードを被っている。
ちらりと見えた顔には、傷らしきものはなさそうだ。
しかし、だからといって暴力を受けていない証明にはならない。
以前、こんなことがあった。
なかなか整った顔立ちの、爽やかな笑顔の旦那が、嫁だという娘さんを迎えに来た。
娘さんは半狂乱になって泣き叫び、旦那の暴力を訴えた。
しかし、旦那は「妻は精神の病にかかっております。よく取り乱し、妄言をわめき散らすのです」と落ち着いた声で言った。
確かに、娘さんの顔や手など、見える部分に傷はなかった。
周囲にいた者は結局、旦那の落ち着いた物言いを信じた。
しかし、ワシには見えた。僅かに捲れた袖から覗いた腕が、青痣だらけなのが……。
後で知り合いに聞いたところでは、外面だけ整える旦那は意外と多いそうだ。
齟齬が出ないよう、嫁を狂人へ仕立て上げ、精神と肉体両方を暴力で支配するのだという。
……そんなことをして何が楽しいのか、ワシにはさっぱり分からんが。
それにしても、随分と可愛らしい娘さんだ。
ひどく怯えてはいるが、人目を惹くというのか、印象深い顔立ちをしている。こういう娘は街でもそうはお目にかからない。
……厚手の服で気が付くのが遅れたが、えらくおっぱいが大きいな。
年相応にニコニコ笑って自然に振る舞っていれば、村娘どころかやんごとなき方のご令嬢にも見えるかもしれんのに。
「あのぅ、出発は?」
「おぉ、済まん。ほれ、あれが見えるかい」
広場の中心にある、日時計を示す。
「あれが昼を指したら出発じゃよ」
「分かりました。どうも……」
頭を下げた娘さんの目が、ふと何かに吸い寄せられたようだった。
つられて娘さんの視線の先を追うと、日時計の傍に、がりがりに痩せたみすぼらしい子猫が一匹いた。
「何で、一匹だけで……」
娘さんが呟く。普通、あれくらいの子猫なら、母猫が近くにいるものだ。
「母猫に見捨てられたのだろうな。ほれ、前片足が無いじゃろう?」
「……本当だ」
「成長する見込みのない子猫は、母猫に見捨てられることがあるんじゃよ。弱い子供を切り捨てて、他の子供に餌を多く回すんじゃ」
あのような子猫は哀れに思うが、ハンデを背負った者を切り捨てるのは、人の世でも珍しくない。
それを聞くと、あれだけ周囲を気にして怯えていた少女が、子猫ばかりを目で追っていた。
その目には哀れみだけでなく、底知れぬ悲しみがあるようにワシには見えた。
<あとがき>
御者のステータス
Lv 8
職業 御者
HP 10/10
MP 0/0
力 10
素早さ 5
体力 7
器用さ 10
魔力 0
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