第54話 国主の呟き(公王夫妻目線)


「塩…だと…?」


 グランダライ公国、その中心地であるダライブルグ城の一室で一人の男性が呟きを洩らした。声の主はラウムス・メディウス・ロクス・ダライブルグ・ドゥクス・グランダライ…、サリナ・ダライブルグの祖父であり公王である。そのフルネームは『グランダライ公爵、ダライブルグ中央家のラウムス』を意味していた。


「サリナが…?それが真実まことならば…」


 公王という事もありあまり喜色を表に出す事はないがその孫娘が8トンもの塩を持ち帰りそのうち6トンを国庫に入れ、残り2トンを領民に下げ渡したいという報告と願いを受けわずかだが表情を崩した。


 公国くにとしての正式な購入取引ならもっと多くの塩を納品をさせた事もある。しかしそれとて何回にも分け、多くの手間暇をかけてのものだ。それを孫娘サリナは単身…、王都のオーディン神殿での戦乙女バルキリーとしての勤めのわずかな合間に8トンも入手してみせた。しかも国庫の金を1ゴルダも使っていない、自身や直属の部下十二人で行ったモンスター討伐で得た魔石で商人から購入したという。


「商業都市セキザンの神殿に巡礼した際に知遇ちぐうを得た商人と聞いたが…」


 新参者も良いところである。聞けばたまたま知り合っただけの氏素性うじすじょうもよく分からぬ者…、それを連れて来て我が国の泣き所である塩を大量に手に入れた。セキザンの大商人でもなかなかこうは出来まい。到底信じられぬ事であった。


「しかも、男試しを見事突破したとか…」


 カツ…。


 足音がした。


 公王ラウムスがその方向を振り向くといつの間にかやって来ていたのか彼の妻の姿があった。自らと同じく年齢を重ねた白いものが混じる髪、長らく共に人生を歩いてきた伴侶であった。


「相手をしたのはフウとライ…、本来なら打ち倒さずとも多少の太刀打ちが出来れば入城を…。いや、サリナの客…。商人なればあの二人を前に立ち向かう勇気を見せただけでも認めたであろうに。それを《簡単にあしらった》と聞く…」


にわかには信じられない話だ…」


 公王妃つまの言葉に公王ラウムスは困惑しながら応じた。ダライブルグ城東城門の守備を任せているサリナ、その留守中は代わりに役目を果たすフウとライは強者つわものである。


 公王として最低限、身を守るくらいは武芸を身につけているラウムスであったがあくまでそれは一般的なもの。最前線で戦う…、時にはモンスターも相手取る達人レベルの戦いとなると最早ついていけない。想像もつかない話であった、少なくとも分かっている事と言えば二人のうち一人だけでも相手にすれば確実に負けるという事。いかに死なないように…、戦闘から離脱にげる事を念頭に立ち回る事になるだろう。


「それとて困難を極めるだろうが…な」


 ラウムスはかすかに自虐的に笑った。


「自ら戦う事が役目ではあるまいて…」


「サイサリス…」


 公王が公王妃つまの名を呼んだ。


公王おうが討ち取られてはいくさ終了まけじゃ。ゆえに…」


「この公国くにでは奥方殿が総大将…」


 このダライブルグでの戦時においての二人の関係はチェスの駒であるキング女王クイーンの関係に似ていた。取られたら負けのキングと最強の駒である女王クイーン公国くにの外ではそう例える者もいるぐらいだ。


「それが槍としての我が役目ならば…」


 結婚を機に戦乙女バルキリーの名は返上したが武人としての役目はいまだ果たしている…。それがサリナの祖母、サイサリスであった。


「申し上げます!東城門内に塩を積んだ荷車が次々と並べられておりまする。お下知げちあればすぐにでも動き出せそうな様子にございます」


「運び入れよ!サリナの希望通り2トンを残し、早急にな!湿気は塩の大敵じゃ、急いでやるのだ」


 報告に来た者にラウムスは素早く返事をして走らせた。その様子を見ながら公王妃サイサリスは口を開いた。


「そう言えば明日、サリナはこの件の報告を兼ねて陛下に帰城の挨拶をするのでありましたな」


「む…?」


此度こたびの働き…、サリナは国庫の金を使わずに自分達の魔石だけで塩を手にして見せた…。名を与えてはいかがかと…」


「名を…」


 名を与える、この公国くにで名を与えるというのは公王の継承権を持つ事を意味する。もちろん継承順位第一位という訳ではないがそれでも一族の中での立ち位置…、その序列は確実に上がる。山国の公国にとって塩とは最大の泣き所であり、大枚をはたいて買う物であった。その金を浮かせられるなら他に買いたい物もあるし、やりたい施策もある。


「そうじゃ、その商人を共に同席させてはいかがじゃ?」


「ぬ…、どこの者とも知れぬが…」


「ほほほ。有能なればかかえる…、それが我が公国くにの方針でありましょう?」


 サイサリスの言葉にラウムスはピクリと反応した。


「我が公国くに領民たみは勤勉、質実剛健しつじつごうけんなれど唯一の悩みは塩…、それを解決出来るならば…。それに聞けば護衛は三人だけ…、フウとライを退けるその力…気にならないはずはなかろうて…」


 バリバリッ!


 公王妃サイサリスの傍に一筋の雷が落ちた、次の瞬間にはその手に槍が握られていた。長い間、彼女と共に戦場を駆けた稲妻のような形の刃先を持った槍…。神オーディンより下賜されたという神聖な雷の力を宿したという魔法の槍である。


うてから決めるが…、是非とも試してみたいものじゃ…。その商人おとこの強さとやらを…」


 そう考えていたサイサリスだが、翌日の謁見の際に傳次郎でんじろうには近づく事が出来なかった。実際に近付こうとはしたが傳次郎が持つ威圧感のようなものが彼女の足を止めさせた。実際には不可視インビジビリティの魔法で目に見えない状態で傳次郎について来たシトリーとアヌビスの得体の知れない気配であったが、それをサイサリスは敏感に感じ取り踏み止まったのだ。



 謁見の後、彼女サイサリスはこう述懐する。


「あの商人もの…。デンジ殿には私も近付く事さえ出来なんだ。あの周囲にまとう神気のようなもの…、わたくしに到底太刀打ち出来るものではない。それを床に片膝を着いたまま…、武器も構える事なくやってのけるとは…私の力ではどうにもならぬ」


「歴代最強と呼ばれた其方そなたであってもか…?戦乙女バルキリー殿」


 夫であるラウムスの言葉にサイサリスは静かに頷いた。


「勝負にもならぬであろう、かすり傷一つ負わせられたら上出来…」


「そ、そんなに…」


 公王妃つまの言葉にラウムスの背中に冷たい物が走った。自分の目には新兵よりも頼りない一人の若者にしか見えなかったからだ。…実際のところ、傳次郎自身の強さとしてはその見立てが正解であるのだが…。その傳次郎自身の強さへの誤解は人間レベルでは強すぎるほど強いサイサリスの見立てのせいだったがそれが今は傳次郎に対する公王夫妻の認識であった。


「ふ、ふ、ふ…。欲しいのう…。強くて地位にも興味を示さぬあの男…」


 サイサリスは笑う。その姿は老女のそれではなく無垢な少女が心の底から欲しい物を見つけた時のような笑顔であった。


「表には出さぬようにしているがサリナスはあの者を気に入っておるように思う。オーディン一筋、槍一筋で来たあの娘がじゃ…。さらにはこの公国くにの泣き所をたちどころに解決してみせるところとか…。逃がす訳にはいかんのう…」


 得体の知れぬ強さ、それだけでも傳次郎はサイサリスの興味を引いた。ましてや公国にとって最大の泣き所、塩を安価に素早く供給してくれる点も評価するポイントだった。商業都市セキザンが総出で塩を納品しようとしてもこうはなるまい。


「欲しいのう…、孫の為にも…。呼びたいのう…、婿殿むこどのと…。貴族の子女の婚姻こんいんなどは御家おいえ大事、国大事…。されどあの者…、デンジ殿なら何より国の為になる…。取引もサリナスを通じてなら良いと言うなら決して憎く思うておらぬはず、サリナスもまた…」


 聞けばサリナスはさらなる塩を買う為にとあるダンジョンに向かうという。あの若者と連れ立って…。


「何かあると良いのう…、何かが…」


 サイサリスは呟く。


「そう言えば先程、侍女を使いを出していたな…。あれは何を…?」


 公王ラウムスは妻であるサイサリスに尋ねた。


「あれかえ?あれは…」


 その問いにサイサリスはニンマリと笑って応じた。それはまるでとっておきの悪戯いたずらを思いついたような笑顔であった。


 その老女の名はサイサリス・メディウス・ロクス・ダライブルグ・ドゥクス・グランダライ…、サリナ・ダライブルグの祖母にしてグランダライ公王ラウムスを入り婿むことして迎えたこの公国くにの真の主と噂される人物である。



三章終了です。


次章で傳次郎はサリナ改めサリナス達と常光のダンジョンに向かう事になるのですが果たしてそこでは何が待つのか…。


第四章『常光のダンジョン』。


お楽しみに。


三章冒頭に公王ラウムスと公王妃サイサリスの記事を追加しました。是非ご覧下さい。


 それではサヨナラ、サヨナラ、…サヨナラ。

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