第37話 塩と胡椒と高級宿と(商業ギルドマスターざまあ回)


 朝目覚めるとそこには幸せがあった。やや左向きをした仰向けの姿勢で目が覚めた僕の目にシトリーとアヌビスの姿が飛び込んでくる。シトリーは僕の左胸と肩の境目あたりを、アヌビスは左腕を枕代わりにして可愛い寝姿をさらしている。


「こうしていると神様だ、魔族だなんてとても思えないよ」


 同じ食卓でごはんを食べ、僕の布団で一緒に寝ている。生まれた場所も立場も違う、だけど相容れる事はきっとできるんだ。殺し合いなんてさせない。そんな気持ちで一日を始める事にした。


……………。


………。


…。


 異世界の朝は早い。それこそ日の出と共に街は動き始める。どこにでも街灯が、そして整備された道がある日本とは違い夕暮れを迎えると異世界では活動が止まる。あかりはあるがそれを使うには魔力や薪代が必要となる。ランプならばオイルが要る、その全てに金がかかるのだ。


 だから僕達も朝早くに街を出てグランダライ公国に向かう事にした。街に入ろうとする者にはこの街は不便極まりない、それというのも入場手続きという名の入場料徴収システムが確立しておりその間は足を止められる。だが、街から外に出るというなら話は別だ。出ていく者にこの街は基本無関心、商売に失敗して去りゆく者が後を絶たないからだそうだ。もちろん成功者が出入りする事もあるがそういう時はだいたい護衛が周りを固めている、金品を狙う盗っ人と間違えられるかも知れないなら下手に近づかない方が良いというのが街の人の共通認識コモンセンスなのだそうだ。


 しかし何事にも例外はあるようで街の門を通り過ぎようとした時に呼び止める声…、いや立ち塞がる者がいた。


「ちょ、ちょい待ってんか!?公国グランダライのお姫様ひいさま、お初にお目にかかります」


 ちょっとダミ声の聞き覚えのある声、そこやないたのは商業ギルドのマスターだった。


「いや、お会いできて大変よろしい!ワイはこのセキザン商業ギルドのマスターでムーラ・カミュ・ファンドゥいうモンですわ!以後、お見知りおきを」


 こちらの都合も考えずギルドマスターは一方的に話し続ける。正直、僕の頭には『そこどけよ』という言葉が浮かんでくる。


「それにしても昨夜はどないされたんでっか?ワイ、宿でお迎えするンを今か今かとお待ちしてたんでっせ!どこの宿にもお泊まりにならへんかったみたいやけど…、門兵がウチんトコお伝えせえへんかったんですか?セキザン随一のプラティニ・トゥー…」

「用件はなんだ?」


 両手をこすり合わせながらベラベラとしゃべるギルドマスターの言葉をぶった切るようにサリナさんが短く応じた。その言葉にギルドマスターは片眉をピクリと動かしたがすぐに貼り付いたような笑顔を浮かべ話を再開する。


「ほなら単刀直入に言わせてもらいますわ。お姫様ひいさまは塩買いにセキザンに立ち寄ったんやおまへんか?ワイ、そうおもうてお国許くにもとに届けるだけの塩、大量に用意しましたのや。せやから是非ともワイんトコの商会に…」


「不要だ。塩を買う目処めどはついた。さらなる商談は無用である」


「ンなっ!?」


 心底予想外の反応だったのだろう。あれだけ流暢りゅうちょうに、そして愛想笑いの究極形とも呼べそうな表情をしていた商業ギルドマスターの顔が強張こわばり言葉を失った。


「ま、まさか!?国が必要とする塩でっせ?それは一ヶ月ひとつきやったとしても相当な量や!それを用意できとんのは…」


「自分だけ…、そう言いたいのか?」


「そ、そうだすッ!それにうたモンはお国許くにもとに運ばなならへんでっしゃろ?せやからワイはこん通り…、すでに荷馬車も護衛の冒険者も確保してまんのや!なんなら塩もすでに積み込んでありますのんや!ああ、ああ、お代金なら心配せんでもよろしい!お国許くにもとに着いたらはろうてもろたらえんやから…」


 ギルドマスターが門の外を指差すとそこには荷馬車の列とそれを護衛する冒険者らしき者達の姿が見える。


「必要ない」


 バルキリーと呼ばれるサリナさんはさすがに騎士である。ピシッとした姿勢のままハッキリとした口調で商業ギルドマスターの口上を切って捨てた。


「せ、せやけど!?」


「しつこい!」


 淡々と対応していたサリナさんだったが初めて感情が乗ったような声を上げた。


「どこに泊まろうと、誰から何を買おうとそれは私の自由」


「そ、それやったら…よ、他所よそで買うたにしても運ぶんは荷馬車が要りまっしゃろ!?見れば特に荷を持ってもおらへんし…」


「時間を無駄にしたな。行こう、デンジ殿」


 そう言うとサリナさんは歩き始めた。僕達もそれに続く。そんな僕達に商業ギルドマスターが気づいた。


「お、お前は昨日の胡椒こしょう売りの小僧ッ…!!」


「ん、ああ!デンジ殿、あのは大変素晴らしいものだった。願わくば胡椒こしょう、それ以外にも色々あるのであろう?可能ならば是非それも売ってもらいたい」


 商業ギルドマスターが僕に向けた言葉からカレーの美味しさを思い出したのだろう。サリナさんが香辛料を買いたいと言ってきた。


「姫様の御心おこころのままに…」


 普段ならサリナさんと呼んでいるが今は他人が見てる前、だから気安く名前では呼ばない。僕もそのくらいの気は使う。


「うむ、楽しみだ。そなたの素晴らしい宿、いかなる高級宿としても勝るとも劣るまい。さあ参るとするか、礼になるかは分からぬが私が自ら城を案内あないいたそう」


「これは身に余る光栄…」


「なっ…、お姫様ひいさまが自らやて…?そ、それより…し、城の中やて…。し、信じられへん。ワイなんて交易所こうえきじょとか限られたトコしか足ィ踏み入れた事があらへんのに…」


「無論、城内でもあきないをしてもらいたい。その話もいたそう、塩以外にも色々取り扱いができるのであろう?」


 そう言いながら僕を隣に招き歩き始めたサリナさん、別れの言葉もなく商業ギルドマスターをそこに残したまま視線はすでに街の外に向けられていた。


「ま、待っとくんなはれ、お姫様ひいさま!ワ、ワイんトコは塩だけやおまへん!海の向こう、そっから石鹸サボンとかえ茶葉とかも丁度入って来てまんのや!伝統あるトコの舶来物はくらいモンでっせ!?ぜ、ぜひ話だけでも…」


「…いつもの品々という事か?」


 歩き始めた足をピタリと止めサリナさんが視線はそちらに向けず商業ギルドマスターに問いかけた。


「い、いつもの?そ、そうだすッ!いつもの品物しなモンでっせ!」


 取りつく島を見つけたとばかりにギルドマスターは嬉しそうな声をあげた。


「ならば無用だ、すでにより良い物に目星はついておる」


「そ、そんな!?い、いったいどっからそんなモンが…」


 その問いにサリナさんは応じず歩き始めた。僕達も後を追う、門を抜けた。


「ワ、ワイのボロ儲けへの道筋が…」


 後ろからそんなギルドマスターの呟きが聞こえた。なるほど僕の胡椒こしょうの時と同じく仕入れる時は買い叩き、売る時は高値をふっかけるつもりだったのだろう。


 まあ確かにこの街の店などには値札なんて付いてない。買い手と売り手がその場で決める。昨日、道端の屋台でも価格交渉をしてる場面があったっけ。


「おっさん、これナンボや?」

「ん?450ゴルダや」

「そら高いわ!350にしとき」

「アカン、440や」

「しゃあないなー、360…」


 そんな掛け合いがそこかしこで行われていた。なるべく安く仕入れ、なるべく高く売る…それが商売の基本である。だけど素人だますようなマネしてくれたあのギルドマスターは気に入らない。


「残念だったね。少なくとも宿に泊まらせないなんてマネしなきゃ…」


 公園で寝泊りしようなんて思わなかったかも知れない。だけど売られたからには買う事にしたよ、このケンカ。アンタが得たであろう売り上げ、こちらでキッチリいただくよ。


「ふにゃー」

「くぅん」


 足元でシトリーとアヌビスが鳴いた、まるで早く行くぞとかしているかのようだ。


「うん、行こう行こう」


 そう言って僕は昨日あれだけ長い時間を並んで入った門をあっさりと後にした。門の外には街に入ろうと行列する人々、そしてギルドマスターが手配した荷馬車と冒険者達が所在なさげに立ち尽くしていた。




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